エバちゃんに殺してほしいの
Cafe・Faustを出てから、アタシたちはリリの要望で駅前にあるゲームセンターへと向かっていた。空は既に茜色に染まっていて、学校帰りの学生たちの姿が多く見えて久しく感じることの無かった哀愁に駆られる。
「ねぇ、そういえばエバちゃんっていま何歳なの?」
そう問うてくるリリに「二六歳よ」と学生たちを眺めながら答える。すると彼女は「もっと早く見つけたかったなぁ」と言った。
「何故?」
「だってそうすれば、一緒に学生時代とか過ごせたなぁって」
「何でアナタがアタシをずっと探していたのかは知らないけど、アタシと同じ学生時代を過ごすとなると、聖教会直属の祓魔師養成の学校になるわよ」
アタシが返すと、「えー、それは嫌だなー。あそこってクソ神の加護ちょー強いんでしょ? 吐き気しちゃう。おえー」と彼女は吐き出す真似をしながら言う。楽園を追放された身としては神々のことを良く思っていないのは分かるが、それでも「クソ神」は中々に不敬だろう。そういえば、リリスはどうして楽園を追われたんだっけ。学生時代にもう少し真面目に勉学に励めば良かったなんて思った。
「ゲームセンターって、アタシ行ったこと無いのよね。……何があるの?」
「え、そうなの? ならプリクラとかも知らない?」
信じられない、というテンションで言うリリに、アタシはやや気圧されながら「ええ……存在は何となく知っているのだけれど……」と答える。彼女は「じゃあ後で撮ろうね!」とはしゃいで言った。
「あとはクレーンゲームとかー、メダルゲームとか色々! リリがやりたいのもだけど、エバちゃんがやりたいのも全部やろうね!」
「まぁ、いいけど……」
本当にただの女子高生みたいだなぁと思っていた、その時だった。アタシは先程のメフィストフェレスが放った悪魔の気配を感じる。肌を冷たく刺す冥府の空気。隣のリリを見ると、リリもそれを感じているらしく「チッ……エバちゃんとデートだってのにさぁ」と静かに苛立っていた。
「エバちゃん、祓魔師的にはコレ、知らんぷりは出来ないよねー」
「ええ、そうね。さすがに無視してアナタとデート続行、というわけには」
「だよねー……仕方ない。さっさと片付けてゲーセン行こ。……こっち」
リリが踵を返して路地裏の方へと歩き出す。アタシは彼女の後を追って行く。人通りの多い表通りから少し離れた路地裏。排気口から香るラーメンの匂いに混じって、確かに饐えた鉄のような血の匂いがした。
「悪魔を喚ぶのはいつだって人間。魔の類は、基本的に招かれないと来れない仕組みだからねー」
彼女の言う通りだ。悪魔や霊といった魔性の類は原則として、招かれない限りは区切られた先に侵入することが出来ない。ホラー映画などで悪霊が扉の先で中にいる人間の知り合いの声を真似て「この扉を開けてくれないか」「入っても良いか」と語り掛ける描写を見たことはあるだろうか。アレはそういう仕組みに由来するものだ。ただ、悪魔の類は人間が強制的に喚び出す方法が存在する。それがいわゆる『召喚』といわれる技法。大きな代償と引き換えに、その悪魔の持つ知恵や力を利用するために地獄から強制的に現世へと渡来させるものだ。だがその大半は代償として魂を喰らわれたり、代償を踏み倒そうとした為に殺されたりとして、悪魔が現世に留まるだけとなる。
「喚んだ人間がいるわね。……せめて無事だといいけど」
「ま、無理だろうねー。……ほら」
辿り着いた先で人間の死体を焼きながら貪る、背中に逆さ五芒星が描かれた黒いライダースーツの男がいた。――悪魔だ。
焼ける肉の匂いと血なまぐさい臓物の匂いがアタシを不快にさせる。アタシは腰のポーチから銃を取り出して弾倉を確認した。――よし、弾は六発全て装填されている。開けた弾倉を戻し、銃口を悪魔ヘ向けて撃鉄を上げた。その音に気がついたのか、悪魔が人間を貪る手を止めてアタシたちの方へと振り向く。
「――ア? あぁ、祓魔師か。面倒だな……ん?」
口周りに血をべったりと付けた悪魔はリリを見るなり口を手で拭い、礼儀正しく姿勢を正した。ライダースーツに身を包んだ悪魔が綺麗な姿勢で彼女に頭を下げる。
「これはリリス様。お久しぶりでございます」
「……デカちゃんか。悪いんだけれどさ、地獄に帰ってくれない?」
リリはデカちゃんと呼んだ悪魔に不機嫌そうに言った。対する悪魔は、「そういうわけにもいきません。せっかくこちらへ喚ばれたのですから、あなたに地獄へお戻りいただくよう呼び掛けろと申し付けられております」と答える。それを聞いたリリが舌打ちをした。
「ルシフェルに、そう言われたの?」
「……ええ。サタン様に「現世に行くなら、ついでに連れ戻してこい」と」
「ついでに、ねぇ。……じゃあさ、ルシフェルのバカに伝えといてくれる? 「誰が戻るかこのクソガキ」って。じゃ、帰って」
悪魔は顔を上げ「……その人間がいるから、ですか?」と今度はアタシを見る。リリは「エバちゃん。祓える?」と悪魔の問い掛けには答えずにアタシに言った。
「……名前が分かれば」
悪魔を祓うにはその悪魔の名前を知らなければ祓えない。悪魔ごとに持つ『権能』と呼ばれる異能や対処の方法が変わってくるのと、最後のトドメを刺す際に名を唱えるというのが悪魔祓いの方法だからだ。
アタシが答えると、リリが「そっか。祓うには名前、知らないとだよね」と呟いてから話し始める。
「デカちゃんは序列六九位の侯爵、デカラビア。権能は『暴火』。炎を自在に操る異能だよ。……結界くらいは張ってあげるけど、いけそう?」
序列は最高位に君臨する魔王サタンを除いた悪魔たちの地獄でのヒエラルキー順であり、直接的な実力を表すバロメータにはならない。それを表すのは爵位や王位である。地獄の頂点に君臨する魔王サタンに続き上から王、王子、侯爵、統領、伯爵、騎士、無位と位置づけされ、王に近づくほど強く無位に近づくほど弱いとされる。聖教会では王と王子を「上位」、侯爵から伯爵を「中位」、騎士より下を「下位」と分類している。
アタシの目の前にいるコイツは侯爵デカラビア。上位に近い、中位の悪魔。それも侯爵クラスだ。
「……ちょっとキツいかも」
今まで下位しか祓ったことの無いアタシはそう答える。アタシの今の実力で中位の侯爵クラスを祓えるのだろうか。いや、やるしかない。それが祓魔師たるアタシの仕事だ。
「アタシはエバちゃんが現時点でどの程度の力を持ってるのか知りたいから、ヤバくなるまで直接的な手出しはしないからね」
そう言ってリリは宙に小さな魔法陣を描き、指で弾く。すると途端に表通りの人々の喧騒が止み、世界からアタシたち三人は除外された。
彼女が結界を張ってくれたのだと理解する。結界とは、悪魔祓いにおける戦闘行為に他の人間を巻き込まないようにするための簡易魔術だ。街並みは結界を張る前と変わらないが、結界を張った本人とその者が認識している悪魔と祓魔師以外は結界内から除外される。正確には結界内にいる者たちが世界から隔絶されると言う方が正しく、結界内であれば建物を損壊しても現実世界には何も影響が無い。
戦闘中に建物を壊しても大丈夫なうえ関係の無い一般人への被害も無い。そのことから、祓魔師が悪魔祓いを行う際には結界を張ることがほとんどだ。祓魔師特有の技術であるはずの結界を何故リリが張れるのかは疑問だが、結界を張るのも中々疲れるのでやっておいてくれるのはありがたい。
というか人間に協力的であるならば、リリがコイツを祓ってくれればいいのに。そんなことをふと思うがリリだって悪魔だ。もしかしたら彼女が悪魔祓いを手助けしてくれるかもなんて思うのがそもそもの間違いだった。他の人間を巻き込まないための結界を張ってくれるだけでもありがたいと思おう。
「やはりその人間がいる限り、あなたは……。分かりました。ならばサタン様が示された掟に従い、『イヴの魂』を持つ人間は殺させていただきます」
「――来るよ、エバちゃん!」
デカラビアは言い切るや否や、一気に距離を詰めてアタシに殴りかかって来る。燃ゆる拳に顔を殴られるのを両腕を盾に防ぐが、その威力の強さにアタシは表通りまで軽く吹き飛ばされてしまった。
「エバちゃん!」
「痛っ……強い……!」
殴られた腕は軋み、袖はカーディガンの袖ごとシャツまでが焼けて灰になっていた。先程の衝撃で銃を手放さなかっただけよく堪えたほうだ。アタシは体制を立て直して銃を構える。
「現代の祓魔師は挨拶代わりの拳も避けられねぇのか。雑魚が」
路地裏から体表に炎を纏うデカラビアが姿を見せた。アタシはその胸に向けて引き金を引く。銃声を轟かせて銀の弾丸が放たれた。が、弾丸はデカラビアに当たる寸前でヤツの纏った炎に灼かれてしまう。
「真正面から撃つとか、アホか貴様は。……リリス様。俺がこの者を灼き轢き殺しますので、どうか諦めて地獄へお戻りください」
路地裏から様子を窺うリリにデカラビアが言い、自身の眼前に火の玉を放つ。デカラビアが放った炎は大きく形づくり、やがてボディの至るところに逆さ五芒星の装飾を施した業炎を纏うバイクとして顕現した。デカラビアがそれに跨り、暴走族の改造車並みにうるさいエンジン音を鳴らす。
「行くぞ祓魔師。次も避けんじゃねぇぞ」
ひときわ大きなエンジン音が轟いたかと思うと、デカラビアはそのバイクを走らせてアタシの方に突っ込んできた。アタシはそれを躱し、すぐさまデカラビアの乗るバイクの後輪へ向けて引き金を引く。
「ったく、学べよ祓魔師」
だが、またもその弾丸は纏う炎に灼かれ溶け落ちてしまった。後輪で弧を描くようにドリフトして強引にこちらへ向き直したデカラビアが、エンジンを吹かして言う。
「そいつァ銀だな。悪ぃが、銀なら俺は余裕で溶かせるんだわ。つまり、今のお前に俺は祓えねぇ。――大人しく轢かれてくれや」
大きなエンジン音を轟かせ、デカラビアがまたバイクを走らせた。アタシは躱そうと試みるが、アタシが避ける寸前でデカラビアが車体をドリフトさせるようにして回転させる。
「無駄だウスノロがァ!」
「ぐっ……!」
その予想外の動きに、アタシは躱せずに跳ね飛ばされてしまう。何とか受け身は取ったものの、衣服は焼け落ち、車体が当たった部位の皮膚は焼け爛れていた。
火傷の痛みと己の持つ武器が通じない絶望。デカラビアの言う通り、今のアタシにヤツを祓う手立ては無い。どうにかしてヤツの纏う炎を退けて、剥き出しになった心臓に弾丸を撃ち込めれば……いや、まずあの炎をどうにもできないのだ。アタシにヤツは、祓えない。
「もうやめとけ祓魔師。お前に俺が祓えねぇことは分かったろう。潔く、轢かれて灼かれてくたばれカスがァ!」
デカラビアが再びエンジンを吹かし、真正面から走ってくる。通用しないと分かっていながらもアタシは銃を構えた。例え攻撃が通らなくとも、例えアタシに祓うことが出来ずとも。それでも最期のその時まで悪魔を祓おうとする。それが祓魔師だ。――そう心の中で強く唱えて、アタシは引き金に指を掛けた。
「死ね、祓魔師ィィィ!」
この身を灼かれながらデカラビアに密着して撃ち込めば、もしかしたら心臓に届くのではないか。そんなことを考え、アタシはヤツを待った。車体が当たるまであと一メートル。あと三十センチ。あと――車体の纏う炎の熱がヒリヒリと肌を灼くほど肉薄した、その時。
「―――はい、そこまで」
アタシはデカラビアの乗り回すバイクに轢かれることなく、デカラビアが停止する。その車輪はギャリギャリと音を立てて火花を散らしながら空回っていて、無理矢理にその進みを堰き止められていた。
見ると、アタシの背後から脚を伸ばしたリリが片脚でデカラビアのバイクを押し止めていた。華奢で小柄な彼女がいとも簡単そうにバイクを止めている様に、アタシは絶句する。
「――!? リリス様、何を――」
「はい、バーン!」
「なっ――」
リリが指で銃の形を作って撃つ真似をすると、デカラビアがバイクごと大きく吹き飛んだ。吹き飛ばされたデカラビアは、バイク事故にあったライダーのようにバイクからその身が離れて転げ出される。悶えながら立ち上がるデカラビア。その身に纏った炎はリリの一撃とともに消えていた。
「エバちゃん、これは大サービスだよ。ほら、心臓はあそこ」
そう言う彼女が指さす先に、胸元が露呈したデカラビアの心臓が見えた。砕けた胸の中の爛々と燃ゆる逆さ五芒星の心臓。アタシはそれに銃口を向ける。
「な、何故ですかリリス様……あなたは仮にも悪魔でしょうに!!」
「んー、エバちゃんをいじめる奴はぁ――ちょっと許せないんだよねぇ」
「ふざけんな……ふざけんなや大魔女リリス!! こんのクソアマがァ!」
激昂するデカラビアの拳が炎を纏い、自らの足で駆けてくる。アタシは引き金を引き、向かってくるデカラビアの心臓に銀の弾丸を撃ち放った。
「―――侯爵デカラビア! 汝、地獄へと還りたまえッ!!」
無防備になった悪魔の心臓を、煌めく銀の弾丸が撃ち抜いた。
「――っ!!! あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ! 貴様ァ! 許さねぇ、許さねぇぞ祓魔師ィ!! お前もだリリス! 必ず、必ず貴様を灼き殺して―――」
咆哮にも似た呻き声とともに、デカラビアが大きな火柱を上げて霧散した。気付けばデカラビアの出したバイクも消え失せていて、それがデカラビアの祓除成功――つまりは地獄へとヤツを強制送還したことを表していた。
「や、やった……」
「お疲れー、エバちゃん。大丈夫?」
腰が抜けてへたり込むアタシを覗き込むようにしてリリが言う。火傷が痛むアタシは「大丈夫……ではないかも」と掠れる声で答えた。
「もうちょっと強いかと思ってたんだけどー……エバちゃんって弱いんだね。残念。これじゃあ、今回もダメっぽいかなー」
どこか寂しそうに言う彼女に、アタシは浮かんだ疑問をぶつける。
「今回も、とか今世の、とか。何なのよ……。それに結界を張ってくれたり、最後の最後で手助けしてくれたり。……花園リリ、いいえ、大魔女リリス。あなたの目的は何?」
アタシが問うと、彼女は指をパチンと鳴らして結界を解きつつ笑って答えた。
「リリね、エバちゃんに殺してほしいの」
結界が解かれたことで現世にアタシたちの存在が返還され、日常生活を営む人間たちの姿と喧騒が戻る。
「……は?」
アタシたちの側を通り過ぎる人々の、傷だらけのアタシと笑顔のリリを見る視線が火傷の次に痛く思えた。