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よろしくね、エバちゃん

 旧約聖書の創世記をご存知だろうか。

 まぁ簡単に言えば、この世界の成り立ちや神が最初に創り出した人間たちについてなんてことが書かれている。

「ねぇ、エバちゃん?」

 解釈は様々あるが、『原初の人間』は父なるアダムと母なるイヴの二人とするのが最も広く知られている解釈だろう。だが、この『原初の人間』というテーマについてはもう一つの解釈が存在する。

「本当にそんなんで、リリのこと殺せるの?」

 『夜の魔女』『淫魔の祖』――大魔女リリスを『原初の人間』の一人として数える解釈だ。

「この……クソ魔女が……」

 アタシは今、傷だらけの状態で教卓ひとつを挟み、大魔女リリスと対峙している。

「クソ魔女だなんてひっどーい。同じ楽園で生まれた者同士なのになぁ」

 目の前で楽しそうに笑う彼女が悪戯に寄越した時間を使い、アタシは回転式拳銃の弾倉に銀の弾丸その最後の一発を込める。残された時間はあと三十秒。次の一撃で決めなければ今回の任務の失敗、そして延長が確定する。

「――地獄へ帰れぇぇぇ!」

 アタシは叫び、彼女に銃口を向けて引き金を引いた。


 ――これは、この世界の始まりから続く大魔女の呪いを解く物語だ。




 アタシは一つ深呼吸をして教室の扉の前に立つ。教室の中から生徒たちのざわめきが聞こえて、――上手く出来るだろうか、どう接すれば良いのだろうか。そもそもこんな大役、アタシに務まるのだろうか。――そんな不安がより一層強くアタシの胸中に押し寄せてきた。

 ……え、やっぱりもう帰っていいかな。というか帰りたい。絶対人選ミスだろこれ。よし、帰ろう。人選ミスだ人選ミス。アタシを選任した教会のジジイどもが悪い。うん、帰ろう。

 そう自分に言い聞かせて踵を返したとき、背後にあった窓ガラスに反射して映る自分が見えた。寝不足か、はたまた体調不良かというくらいに顔が青ざめていて、機嫌でも悪いのかというくらいに目つきが悪い。それらは全部、不安と自身の無さによるものだ。酷い顔すぎてまるで見ていられない。それにまたブロンドの長髪を鎖骨あたりで無意識にいじっている。不安なときに髪を触るのはアタシの悪い癖だ。そんな自分の姿を改めて自覚して、自分より十歳も歳下の高校生たち相手にビビり散らしているのが途端に情けなく思えた。……まぁ、約一名はアタシより遥かに歳上だけれど。

「……あぁ、もう」

 正直めちゃくちゃ怖い。世代の異なる人間なんて何考えてるのか分からないし、その中に平然と人間よりもずっと何を考えているのか計り知れないヤツまで紛れ込んでるんだ。そんなの怖くて仕方ないし緊張で吐きそうにもなってきた。それでも、自分が情けないって思うことをやるのは気に食わない。今すぐ逃げてしまいたいのに逃げるのはダサいから嫌だなんて、矛盾する心に板挟みにされていたら段々ハイになってきた。

「いける……よし、いける……!」

 もういいよ。やってやるよクソったれ。

 振り返って再び教室の扉に向き直り、深呼吸をしつつ真っ白なロングカーディガンで隠している腰に携えた得物を触る。そこには確かに愛用している回転式拳銃と予備の弾丸たちが入っているポーチの手触りが確認できて、それがアタシをいくらか落ち着かせてくれた。

 ――よし、いける。

 そう心の中で呟いて、アタシは教室の扉を開ける。

「み、皆さんおはようございます」

 アタシがそう行って教室に入った瞬間、生徒たちの視線がいっぺんにアタシを撃ち抜いた。先程まで私語でざわついていた空間に沈黙が訪れる。あぁどうしよう。やっぱり帰りたい。頭が真っ白になって何も言えずにいると、後ろの方の席に座っている女子生徒がアタシを見て言った。

「あ、もしかして新しい担任の先生?」

「えっ、あっ……はい」

 アタシが返事をすると、教室が再びざわめき出した。皆アタシの話題で話しているらしく、「めっちゃ美人じゃん」「え、外国の人? スタイル超良いじゃん」とか聞こえてきて調子に乗りそうになる。

 教卓の前に黒板を背にして立ち、偉そうに咳払いを一つしてからアタシは生徒たちに言う。

「これから朝のホームルームを始めます。本日の日直の方、号令をお願いします」

「はーい。……起立、気を付けー。礼。おはざーす」

 日直の男子生徒が気怠そうにかける号令に沿って生徒たちが席を立ち挨拶をする。アタシも「おはようございます」と言って礼をした。生徒たちが着席したのを確認し、アタシは話し始める。

「B組の皆さん、おはようございます。それと、初めまして。既に今朝の朝礼で聞いたかとは思いますが、一身上の都合で転勤された佐藤先生に代わり今年度の皆さんの担任を務めさせていただきます。エバ・ヘヴンラックです。担当教科は英語です。急なことで困惑されているかとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」

 事前に練習した通りの挨拶を済ませると、生徒たちが次々に手を挙げて「エバ先生って外国の人? 日本語上手いっすね!」「彼氏はいますか!」等と矢継ぎ早に言ってくる。アタシが「ええと……」と吃っていると、入室時の沈黙を破ってくれた女子生徒が「ちょっとー、先生困ってるじゃーん」と皆を制してくれた。ハーフツインに結い上げた黒髪に大胆に入っているピンク色のメッシュカラー。机の横に掛けられているのは、蝙蝠の羽の装飾が施されたレザー素材のミニリュック。いわゆる『地雷系』という印象を受ける彼女。ああいうファッションを好む人間とは相容れないと勝手に身構えていたが、案外良い子なのかもしれない。

「ありがとうございます。……とりあえず出席を取っていくので、呼ばれたら返事ついでに軽く自己紹介をしてくれると嬉しいです」

 アタシは出席簿を開き、出席番号順に名前を呼んでいく。生徒たちの自己紹介を聞きながらアタシは彼らの名前と顔を確認していく。……この子は違う。この子も違う。……来た。次だ。

「では次。……花園(はなぞの)リリさん」

「はぁい」

 軽い返事と席を立つ音を聞いて、アタシは出席簿から顔を上げる。そのとき立っていたのは、先程の地雷系の彼女だった。

「花園リリでーす。好きなものは可愛いものと自由。よろしくねー、エバちゃん♡」

 これがアタシ、聖教会の祓魔師(ふつまし)エバ・ヘヴンラックと花園リリ――大魔女リリスの出会いだった。



 ここで一度アタシ、エバの本来の仕事について説明させてほしい。

 まず聖教会というのは表向きには神を讃える教会だ。しかしその実、この世に跳梁跋扈する悪魔たちを地獄へと強制送還させることで現世の平穏を守る組織。つまりは悪魔祓いを生業とする祓魔師たちの組合だ。そしてアタシはその聖教会の祓魔師の一人である。

 祓魔師はそれこそ紀元前から存在するが、現代では悪魔の存在自体が一般人には知られていない。人間を堕落させようとしたり散歩がてらに人類を根絶しようとしたりする悪魔たちと戦う仕事――と言えば聞こえが良いが、今の時代に「悪魔は実在する」などと言おうものならばやれ「非科学的だ」やれ「狂人だ」と後ろ指を指され、挙げ句には「中二病乙www」などと鼻で笑われて見下される。全く誰がお前らの平穏な暮らしの根底を築いていると思ってんだ。アタシら祓魔師がいなかったら人類はとっくに滅びて現世はとうに地獄に呑まれているというのに。

 とはいえ仕方ない。そういう時代だ。

 そんな祓魔師のアタシが何故いきなり高校のクラス担任になった (させられた) のかというと、時は少しだけ遡る。

 アタシが高校生相手にビビり散らしたり大魔女リリスと出会ったりする一週間ほど前。アタシは聖教会の司教たち (一般企業で言うところの社長とか幹部たちと考えてくれ) に呼び出され、資料を渡されてこう告げられた。

「エバ・ヘヴンラック。貴君に『大魔女リリス』の監視、及び祓除を任せる」

 ……ちょっと待て。今何て言った?『大魔女リリス』? オイオイオイ、大魔女リリスといえば旧約聖書にも名を残す原初の大魔女じゃないか。そんなのをアタシに祓えと? 馬鹿を言っちゃあいけないよ。下位の悪魔しか祓ったことの無いアタシに、最上位のクソやべぇ女と殺り合ってこいだなんて、とうとうボケたのかこのジジイどもは。

 そう思いアタシは司教たちに抗議した。

「えっ……と……仰る意味が……」

 そう。これは抗議だ。いいか? これは抗議だ。決して司教たちの謎の威圧感に日和ったとかじゃない。いいな?

「言った通りだ。詳しくは渡した資料を見てくれ」

 言われた通りに資料へ目をやると、そこには「日本の高校に教員として潜入し、そこに人間として通う大魔女リリスを監視せよ。可能なら祓え。というか祓うまで帰ってくるな」と、ざっくり言うとそんなことが書いてあった。勘弁してくれ。

「ま、待ってください! 何故アタシなのですか? アタシより強い祓魔師なら他に沢山……それに、日本には日本在住の祓魔師がいるはずでは……」

「その日本の祓魔師から報告が入ってな。――「大魔女リリスが「名にエバと入った祓魔師を寄越せ。さもなくば現世を地獄へと変える」と言っている」――と。ちなみにリリスの存在に気付き祓除を試みた日本の祓魔師たちは、命こそ取り留めたものの当分は一人で起き上がることすら難しいほどだそうだ。リリスがもし殺すつもりであったなら、彼らは今頃殉職していただろうな。……というわけだ。行ってこい」

 どうやらアタシはあの大魔女に、面識も無いのに指名されたらしい。アタシが「それって、生贄ってことですか……?」と問うた際にジジイどもが「大魔女リリスからの直々の指名だ。……あの大魔女をどうにかしてくれ」と一斉に頭を抱えていたのは忘れていない。

 因みにこのクラスの元々いた担任は、聖教会があり得ないほどの額を提示したらとびきりの笑顔でアタシと担任を交代する話を快諾し、現在はシンガポールに別荘を購入して旅行中だという。ふざけるな。そのカネをアタシに寄越せ。今すぐに。

 ……そんな経緯でアタシは今、大魔女リリス――花園リリのいる高校でリリの担任として潜入し、リリを監視している。

「ねぇエバちゃん、放課後って暇〜?」

「……エバ先生と呼びなさい、リリさん。あと暇じゃないです」

 恋人かというくらいの距離感で隣を歩いてくるリリに、アタシは内心ビビり散らしながらあくまで『教師』として冷静を装う。一度も会ったことが無いのにアタシを指名したこともアタシの名前が知られていたことも怖いが、何よりこうして親しげに接してくるところがとてつもなく怖い。彼女の真意が全く読めないのだ。アタシみたいな弱小祓魔師に大魔女様が何の用だよ……アタシが知らないうちに何かやらかしていたなら、謝るから許してくれよ……。悪魔相手に頭を下げようとしているのは祓魔師としてどうかとは自分でも思うが、何せ今回の相手は聖教会の最古且つ最上位教典とされる旧約聖書にも名を残す大魔女リリスだ。祓魔師としてとかそんなこと言ってられない。少しでも返答を間違えれば、たとえ地球の裏側にいてもこの首が物理的に飛びかねない。首が飛ぶどころか、下手すれば一瞬のうちにエバ・ヘヴンラックという存在が塵一つ残さずにこの世から消え失せる。もう嫌だ帰りたい。

「えー。エバちゃんと仲良くなりたかったのになー」

 リリはそう言って可愛らしく頬を膨らませて言った。人間に擬態しているのかこれが本来の姿そのままなのかは定かではないが、大魔女であるという事実を知らなければ本当にただの可愛い女子高生に見える。

「あなた、部活とかは無いの? ……それと先生を付けなさい」

 アタシがそう返すと、「リリ、部活入ってないもーん」と彼女は言って続けた。

「ネムっちはバイトでアンリちゃんは彼ピとデートだし、他の子たちは部活あるから今日めっちゃ暇なんだよねー。だ、か、らっ! 今世のエバちゃんと仲良しになるために、放課後デートしたいなって。……だめ?」

 なるほど。友達は皆予定が入っていてつまらないから暇つぶしに付き合えということか。……待て。いま何て言った? 「今世の」アタシ? どういうことだ?

 困惑するアタシに小柄なリリは背伸びをして、声を潜めてアタシの耳元で囁いた。

「だめって言ったら……リリ、拗ねてそこら辺に地獄の門とか開いちゃうかも。……なんてね♡」

 その言葉にアタシはゾッとする。地獄の門を開くなんてそんなことをされたら、人間の暮らす現世に地獄から悪魔たちが押し寄せてくる。そうなればアタシの責任問題どころか人類が余裕で滅びかねない。……というか、コイツ今さらっと自身が悪魔であることをカミングアウトしたな。……え? もしかしてアタシが祓魔師だってことバレてます?

 リリの顔を見たまま硬直しているアタシに、彼女はいたずらっぽく笑って言う。

「そんなことになっても良いのかな? 祓魔師のエバちゃん♡」

 あ、これバレてます。アタシが祓魔師だってバレバレです。おしまいです。お疲れ様でした。さようなら。潜入任務の失敗、からの祓魔師クビ。しかも大魔女に目をつけられている。ということでアタシの人生は終わりです。エバ・ヘヴンラック、二六歳。思ってたより短い人生だったなぁ……。

「な、何でアタシが祓魔師だって……」

 アタシが震える声でそう問うと、彼女は一瞬「え?」という顔をした後に笑いながら「あはは、もしかしてバレてないとか思ってたの?」と言った。

「アタシに気づいて無礼にも祓おうとしてきたザコ祓魔師どもにエバちゃん連れてこいって言ったのはリリだよ? それに匂いもするしね」

「匂い……?」

「うん。火薬と、聖水で清めた銀の匂い。……カーディガンで隠してる腰のそれは、銃と銀の弾丸かな? 悪魔だからさ、悪魔祓いがよく使うモノの匂いくらいすぐ分かっちゃうんだよね」

 アタシが祓魔師だとバレてる上に手の内まで知られている。どうする? ――アタシは視線だけを動かして周りを見渡した。今は昼休みということもあって、アタシたちがいる廊下にもまばらに生徒たちがいる。誰もいない空き教室も近くには無い。いや、仮に無人の教室があったとしてもリリとの戦闘になれば、彼女が指一本動かすだけでこの階にいる人間全員が消し炭になりかねない。アタシは祓魔師、目の前には大魔女。だが他は全てただの人間だ。祓魔師の仕事は悪魔を祓うことだが、その目的の本質は人類の安寧を守ることにある。

 手段と目的を見誤るなエバ・ヘヴンラック。アタシが今するべきことはコイツとの戦闘ではない。大魔女を刺激せずにこの場を収め、他の人間たちの命を守ることだ。――アタシは腰の拳銃へと伸ばしかけていた手を引っ込め、リリの目を見て言う。

「放課後、あなたに付き合うわ。だから、他の人間には手を出さないで」

「それって、愛の告白?」

「……は?」

 いきなり言われたその言葉に、アタシは思わず気の抜けた変な声を出した。アンタが「地獄の門を開く」なんて言った上にこちらの持ち得る武器も知られているものだからアタシは覚悟を決めたのに、それを「愛の告白」だと? いきなり何を頓痴気なこと言いだすんだこの大魔女は。

「だってー、付き合うとか他の人間には手を出すなとかー、そんなの告白じゃん? 今世のエバちゃんは大胆なんだね。ふふ。リリ照れちゃーう」

 リリは両手を頬に当ててわざとらしく体を揺らして照れる素振りを見せる。理解が追いつかずに何も言えないアタシに、彼女は微笑んで「良いよ。放課後デートしてくれるなら、地獄の門開かないでおいてあげる」と言った。

「そもそもリリ、別に人類と敵対する気とか無いし」

「あっ、えっ!? そうなの!?」

 驚くアタシに「そだよー」と軽く返事をするリリ。彼女が続ける。

「リリ自身は別に人類が存在しようが滅びようが割りとどうでもいいかな―。あ、でも学校は楽しくて好きだから、無くなっちゃうのは嫌かな。ひとりぼっちじゃなくてエバちゃんと会えるなら、人類全員地獄堕ちには反対かもー」

 旧約聖書による創世記――つまりはこの世界が神によって創られたそのときに神々がいる楽園から追放された『原初の人間』。その後『夜の魔女』や『淫魔の祖』――『大魔女』と恐れられている。そういった情報から、彼女のことを勝手に人類に仇なす者と思っていた。でも本人が言うにはそうでもないらしい。ひとまずは安心したが、その真意が読めないところがアタシにはやはり不気味に思えた。

「でも何故――」

 でも何故、他の悪魔たちとは違って人類の敵ではないと言うのか。そう問おうとしたとき、昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴った。

「あ、予鈴鳴っちゃった。じゃあ、また放課後にねエバちゃん」

 そう言ってリリはやや駆け足で教室の方へと行ってしまう。大魔女リリスはどうやら人類の敵ではないらしいこと。聞きたいことや理解が追いついていないことがいくつもあること。――そのことから数秒呆けていたが、今のアタシは英語教師だったと思い出し、五限目の授業がある教室へと急いだ。

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