038
「いよいよだ。」
「あっ、うん。そうだね。」
昼食の時間も終わり、体育祭の午後の部が始まる。そんな時に体育祭の練習で少しは仲良くなった例の名も知らないモブAが話しかけてきた。そう。まだ、名前を知らないのだ。というか、今更名前を聞けない雰囲気もある。
「いやー、楽しみだな。なんといっても姫路さんのチアを見れるんだから。」
「あはは。そうだねー。」
「なんだ?あまり楽しみじゃないのか?」
「えっ、と。そんなことないけど。」
意外……でもないけど、なんだか同級生のミーハーな部分を見せられると微妙な気分になる。特にその対象がトモダチの愛理さんだとなおさらだ。愛理さんがそういう対象なのは理解しているんだけどね。
それはそれとして、もうそれだけじゃないというか。一年の頃とかだったら、自分もそっち側だったと思うと特にそう思ったりもする。まぁ、これは俺の我がままみたいなものだから、ミーハーであることを否定したりする気はないけど。
「ふーん。そうか。」
「そうだよ。愛理さんのチアが楽しみじゃないわけないじゃないか。」
「それでこそファンクラブNO.341だ。」
「ええ?なんでそれ知っているの?」
こっわ。友達になれるかもと思ったときにこれだ。怖すぎるよ。何故そんな情報を知っているって言うんだ?理由を知りたいけど知りたくないような、兎にも角にも恐ろしいものだ。
「君のことは今では常識だ。ファンクラブに入っているにもかかわらず、姫路さんと仲良くなろうだなんて男の情報はさ。」
「そ、そっすか。」
「そうさ。これからも君の情報は全部筒抜けだよ。覚悟しておくんだね。」
ストーカーかな?あっ、最初からこいつらストーカみたいなものだったわ。愛理さんの追っかけだもんな。ミーハーを否定しないって言うのを後悔しそう。情報を共有されているって考えると、普通に気持ち悪いわ。春馬や愛理さんは常にこうなのか。すごいわ。
「……覚悟しておくよ。」
「さて、お喋りもここまでだ。そろそろ始まるみたいだ。」
「プログラム7。青葉学園チア。入場。」
モブAの言葉と同時に校内アナウンスが入る。面白二人組の片側だ。先ほどは完全になめているとしか思えなかったけど、仕事は真面目にやるみたいだ。さっきのもそれが仕事みたいなものかもしれないけど、こっちとしてはいい迷惑である。
「うおぉおおおおおおお。」
登場だけでもこの盛り上がり。男子というのは何とも単純なものだ。やれやれ。……えっ?お前はどうなんだって?それはもちろん歓声をあげた一人だけど何か?言わせんなよ。恥ずかしい。俺だって男なんだぞ。
「いいな。」
「いいね。」
心の友よ。分かっているとも。俺もそう思うよ。しかし、今は黙っていてくれないかな?見るのに集中したいんだ。別にひらひらした短いスカートなんかに目を奪われていないし、服から露出している肩なんかに目線なんかいっていないけど。心の友なら分かってくれるはずだよな。
それより愛理さんは何処やろ?いつもなら簡単に見つけられるはずなんだけど。おっ、曲が始まったみたいだな。アップテンポのJ-ポップだ。軽快な音に釣られて、こっちも楽しい気分になる。
「っ……。」
チアのダンスが開始したみたいだが、その瞬間に愛理さんのオーラが爆発したみたいで愛理さんから目が離せなくなった。どうしてだろう。いつもの何十倍も輝いて見える。それだけじゃなくて、もう感情がぐちゃぐちゃだ。
そのダンスにすっと視線を吸い込まれたまま周りの一切の音が消えたみたいな、そんな錯覚を覚えた。それほど愛理さんのオーラに目線を吸い取られてしまった。もう目を離そうとしても、離せないだろう。
「……ぇっ。」
これこそ錯覚だろうけど、愛理さんと視線が合ったみたいだ。そのタイミングでにこっと微笑んで、……ってそんな訳ないだろうけど。まさかそんな訳、ね。しかし、自分の視線は愛理さんを捉えて離さないままだ。それ以外の周りの景色の一切を省くように。
中盤まで何度も同じような感覚に陥ったが、それは愛理さんの持つオーラゆえか、自分にも分からない。分からないけど、今の愛理さんに目線を奪われているのは確かだ。それを悪くないなんて思う自分が確かに存在するのを感じる。
「おぉ。」
幕引きは、それはもう静かなものだった。曲が終わりチアが終わっても、会場の誰もがただ圧倒されたかのように音の一切がない。歓声の一つさえない。本当に感動したときはこうなるのだろうか。かく言う自分は喉の奥からひとつ音が漏れたのみで、それ以外はなかった。
今も愛理さん以外の景色は目に入らず、その一点のみを見続けている。音もなく、風もなく、愛理さん以外が隔絶されて存在しないみたいな、こんな感覚はすごく、すごくなんだろうか……いいものだ。
「……おい。」
「えっ?」
モブAが何故か焦ったかのように声をかけてきた。どうしたんだろうか?ああ、感想を言い合いたいみたいな感じかな?でも、今は余裕がないんだよね。ずっと愛理さんの姿が頭から離れないみたいな。それほど感動したというわけなんだろうな。
「おい。大丈夫か?」
「あえっ?何が?」
「いや、さっきから何も反応がないから。」
「あ、ああ。大丈夫だよ。皆も同じようなものでしょ?」
何を言っているんだか。皆、歓声の一つもあげられず圧倒されたかのようだったのは同じじゃないか。それなのにさも何もないのをおかしいみたいな。そんな風に言うなんてさ。
「はぁ?お前だけだぞ。ずっと歓声一つあげずに視線を固定してたのは。」
「うっそだぁ。だって、そんな歓声聞いてないよ。」
「おまっ……。本当に大丈夫か?疲れているなら休めよ。」
「あはは。変なこと言うね。大丈夫だよ。」
あはは。まさか、愛理さんの姿に見惚れてて、音さえも聞こえていないなんてことあるわけないんだから、そんな心配しているみたいに言われてもね。ずっと頭に愛理さんの姿が思い浮かんで消えない方が、ずっと深刻だよ。
時が経てば収まるだろうから心配ないさ。それよりも心配だよ。こう言っては何だけど、愛理さんには耐性があるんだ。逆に皆は耐性があまりないはずだから、そっちの方が心配だよ。
「ならいいけど。」
そこからの体育祭の記憶はない。ずっと愛理さんの姿が頭から離れず、いつもよりも時間が過ぎるのが早かったぐらいだ。優勝したから祝賀会でもするなんて話もあったみたいだけど、辞退させてもらった。
それから家に帰って眠れぬ夜を過ごした。……なんてことはなく、すぐに寝ついて体育祭が完全に終わった。




