水の中の呼び声
龍は神の遣いだという。
神は龍に力を与えた。自分とは似て非なる力を。魔力を。
それは神が与えたものではないとも言われる。龍自身が元から持っていた力だとも。
昔の話過ぎてどれも信憑性はないけれど、龍は万物に勝る魔力を有していて、彼らは誰も従わせないし、誰にも従わない。
ただ唯一の生命だとして、世界では一線を画していた。
龍は元々は凶暴であるし、人間ほど理性があるわけではない。ただ、野生動物ほど無秩序でもない。正には正で返し、負には負で返す。
浅ましく愚かな人間よりもずっと篤実で誠実な生き物だ。
そんな龍がたった一つ、傅く存在があった。
まるで臣下のように、従属となるように、その存在の前でだけは頭を垂れた。
それは見た目では龍がその存在に従っているかのようだが、実際は違う。
ただ、親交の意を示しているだけなのだ。
お前にだけは、意を交わそうと。
「────…ロ、」
光も届かぬほど深い深い水底から、段々と浮かんでくる。
「──…イロ」
キラキラと光る水面が遠くに見え始め、視界を刺激する。
万華鏡のように、きらきら、
きらきら、
きらきら、
「ヒイロ」
「────…っ!」
掬い上げられたように、急激に意識が浮上する。
本当に今の今まで水中にいたかのように、我慢していた呼吸を再開し、肺いっぱいに空気を取り込む。酸欠の頭はぼーっとして、視界もぼやける。まさか本当に水の中に落ちてしまっていたのかと思うが、周りに水辺などなく、寧ろ地面も空気もカラカラに渇いているくらいで、服だって肌だってどこも濡れていない。
濡れているのは冷たいタオルが押し当てられている額だけだった。
「……えっ…と、私…どうし…」
タオルを手に握り込みながら身を起こすと、ノアが隣で、急に倒れたんだボケが、と教えてくれた。怒っている割には背中を支えてくれている手が温かい。
「倒れたって、あのまま…?」
「びっくりしたよ。ノアがいなかったら岩に激突してたところだった」
ローウェンが流した視線の先には結構な大きさの岩が転がっている。横に傾いた緋彩の身体をノアが手を伸ばして支えなければ、あそこに頭をぶつけた上に、打ち所が悪くて死んでいたらさらにノアに怒られていただろう。
何かすみません、と言いながら押さえる緋彩の頭は、まだ時々痛みと眩暈が襲っている。状況は変わっていなかった。
ただ、分かったことがある。
緋彩は、思いついたように鞄を手に取った。
「ヒイロちゃん?一体何を…」
「このズキズキクラクラの原因が分かったんです」
「え?」
時々ぼやける視界に眉を寄せながら、荷物を漁って鞄の底のほうに手を伸ばす。食料や薬草などが雑多に入っている中から、冷たい温度の無機質なそれに触れる。
指が触れたそこが、一瞬火傷しそうなほどに熱を持った。
「っ!」
思わず手を引っ込め、もう一度漁ろうとすると、横から鞄を奪われた。
訝し気な表情をしたノアが代わりに鞄の中へ手を突っ込む。緋彩が何を取ろうとしていたのか分かっていたかのように、ノアはすぐにそれを手に握って鞄から取り出した。
「法玉……?」
不可解を声に滲ませたローウェンは、ノアの手の中に納まる水晶をまじまじと見る。ただの水晶というには違和感があるくらいには不思議な物体だ。握り拳くらいの大きさしかないのに、質量はあり、ずっしりと重たいので、鞄の中に法玉が仲間入りしてからは緋彩の肩こりが悪化した。
緋彩は、平然と握るノアが不思議だと言いそうなくらいに、法玉に苦悶の表情を向けていた。
「…それ…、その法玉が鳴るんです」
「鳴る?…何も聞こえないが?」
「実際に耳で聞こえてるわけじゃないです。何というか、頭に響いてくるって、いう、か…、っ、」
振り払うように、緋彩は目を瞑ってその一瞬に耐える。鐘のような、鈴のような、空気を震わせる音なのに、耳では感じない。脳を直接小突かれているような感覚だった。
思えば、法玉を探し当てた時も似たような感覚だった気がする。あの時は痛みが強すぎて気にする余裕などなかったけれど、身体中の臓器が水の中へ押し込まれているような圧迫感は確かに一緒だ。
「道を進む度、頻度が多くなっている気がします。法玉を見つけた時もそうでしたが、何かが近づくと法玉が反応するんじゃないでしょうか」
「法玉が反応するとヒイロちゃんにも伝わる、ってこと?」
「確証はないですけど、そうだと思います。何故私だけが感じるか分かりませんけど」
ノアもローウェンも、法玉を凝視しようが触ろうが特に変化は感じていない。法玉に込められている魔法が関係あるとしたら不老不死の体質に反応しているかもしれなかったが、緋彩の片割れであるはずところのノアには何も影響はない。緋彩だけであるということで言うと、原因として残る要素は緋彩がこの世界の人間でないということだけだが、そもそも緋彩がこの世界に喚ばれた論理的な理由は分かっていない。
「歩く度って言うなら、これから向かう先に何かあるってことか?」
「そういうことになるね。これから向かうのは…ルイエオ、か…。確かに、何かあってもおかしくないか」
ふむ、と顎に手を当てるローウェンと遠く先を見つめるノア。二人とも何か思い当たる音があるようで、何も理解できていないのは緋彩だけだった。疑問符をたくさん浮かべたが、ノアもローウェンも行って見た方が早い、と詳しいことは話してくれなかった。




