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強制ニコイチ  作者: 咲乃いろは
第八章 歴史に埋もれる力
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刹那の違和感

朝起きたら、何故かノアがいつも以上にご機嫌麗しくない。緋彩は念の為自分の行動を振り返ってみるが、ノアを怒らせるようなことをした覚えは…ないこともない。あれもこれも、もしかしたらノアにとってはアウトだったかもしれないと思うとキリがなかった。しかしこれは完全に緋彩の感覚が狂っているだけで、傍から見れば特に緋彩に非はない。

ローウェンに確認してみると、多分昨夜ローウェンに色んな話を聞き出されたことが気に食わなかったんだろうねぇ、なんて呑気に言っていたが、その内容までは教えてくれなかった。ノア本人に直接訊くのだけはやめた方がいい殺されるから、と忠告を受けただけだ。

とりあえずは緋彩の所為ではないということは、話しかけても大丈夫だろうか。もしかしてノアが不機嫌だというのも緋彩の勘違いで、元からああいう顔だと言われればそうだったかもしれない。元気に挨拶すれば爽やかな笑顔が返ってくるかもしれない。


「ノアさん、おはようございます!いい天気ですね!」

「………………くそが」

「!?」


そんなわけなかった。

そもそもノアの笑顔なんて数えるほどしか見たことがなかったのを忘れていた。誰も傷つかないはずの天気の話は、緋彩を盛大に傷つけた。ちょっと曇っているのにいい天気、なんて盛ってしまったのが悪かっただろうか。


「すみません、間違えました。まあまあの天気ですね!」

「………………あ?」

「じゃあどういえばいいんですか!」


正しい天気を言っても睨んでくるんだから、逆ギレしかもう方法はない。ノアの八つ当たりは慣れているけれど、理由の分からない八つ当たりは、知らず知らずのうちに地雷を踏みそうで恐ろしくて仕方ない。だからこその天気の話だったのに、もはやノアには赤ちゃんはどうやってできるの?という純粋な子どもの質問にすら怒り狂いそうである。彼には、コウノトリが運んでくるという夢のような答えは言えないと思われる。

ローウェンは暫くそっとしておいたほうがいいと言うが、あんたのせいで不機嫌になっているのではなかったか。そしてそっとしておくといっても、緋彩にはノアに言わなければならないことがたくさんあるのだ。


「………あ、あの、ノアさん」

「………………何だ」

「怒らないで聞いてください」

「別に最初から怒ってないだろ」

「誰からどう見ても怒っていますけど。鏡見ます?」


ポケットから取り出した手鏡のケースを開いてノアに向けると、即座に閉められた。隙間に手の肉が挟まって非常に痛い。

いいから要件を言えと急かすノアに、緋彩はおずおずと言葉を紡ぐ。探すように、間違えないように、丁寧に、彼に伝わる言葉を。






「あの…、み、み、水を飲ませてくれて、ありがとうございました!」


「っ!?」






機嫌の悪さで吊り上がっていたノアの目は、ギョッと丸められた。頬を染め、肩を竦め、恥じらい、それでも真っ直ぐにノアを見ながら、一体何を言い出すのか、と。緋彩の背中側、ちょうど延長線上でローウェンがピタリと動きを止めた。


「な…何、を…」

「えっと、あの時は気が動転してて、ちゃんとお礼も言ってなかったなぁと思って。その…、やり方はどうあれ、世話を焼いてくれたのに私、失礼な態度取ってたんじゃないかと思い直しまして。あの時はああするしか多分なかったし、看病の一つですもんね!」

「え…、は?」

「わ、私は初めてでしたけど、ノアさんにとっては一億万回分の一に過ぎないですよね。人工呼吸だって人命救助のうちですし、私が気にしなければ口移しだって人命きゅむぐぐぐぐぐぐぐぐ!!!」


突然にノアの手が緋彩の口を塞ぐ。何かとノアの顔をよく見れば、彼の瞳孔はかっ開いて『黙れ』と言っていた。何かいけないことを言ってしまったのかは分からないが、緋彩の後ろでローウェンが目を細めてにんまりしている姿がノアの瞳に反射していた。


「ふぁんふぁんふぇふふぁ!」

「あ!?何言ってんだ!」

「っぷはっ!っ何なんですかって言ってるんですよ!挨拶すれば睨まれるし、人が素直にお礼を言えば口塞がれるし!いくらノアさんの片割れである私でも、言葉にしないと分からないことだってあるんですよ!」

「誰が片割れだ!気色の悪い!」

「はぁぁぁ!?」


夜通し緋彩の面倒を見てくれていたこととか、薄い意識の中でノアが謝っていたような気がすることとか、暑がるときには氷を当ててくれたり、寒がる時には自分の夜具まで被せてくれたり、汗を拭い、涙を拾い、痛くて痛くて苦しくて苦しくて気が狂いそうになれば優しい声を聞かせてくれた。

全部緋彩が知っているノアと同一人物だとは思えないけれど、全部緋彩が知っている感触で、体温で、声で、空気だった。きっとそんなノアも彼の中にはあって、いざという時には聖人君子ノアが顔を出してくれるんだろうと期待していたのに、気色が悪いとまで言われたら、そんな期待は一気に崩れ落ちる。気色の悪い女とよく唇を触れ合わせられたな。


「大体てめぇはいつもいつも余計な事しか言わねぇんだからちょっと黙ってろ!」

「そういうノアさんは言葉にしなさすぎるんですよ!人間言葉にしないと分かんないことだってあるんですからね!」

「言っていいことと悪いこととあるだろうが!俺はちゃんと取捨選択して喋ってるだけだ!」

「しゅしゃせんたくぅぅ?全部捨ててるくせに!」

「あぁ!?」


緋彩はノアを怖がるくせに噛みつく時は思いっきり噛みつくよなぁ、なんてニコニコしたローウェンが後ろで呟いていた。二人の喧嘩には飽き飽きしているが、今日はいいことを聞けたのでこんな不毛なやり取りでも難なく見ていられるようだ。

今回は緋彩も言いたいことが溜まっていたのか、いつもより長い。緋彩の手は興奮余ってノアの胸倉まで掴んでいた。


「新月のことだってですねぇっ、教えてくれていたら────…、」

「っ?」


ふ、と緋彩の手が緩められ、突如力の抜けた身体がノアに寄りかかってくる。ノアは反射的に緋彩の腰を支え、肩口に埋める彼女の顔を覗き込んだ。





「…おい?」

「…っ、すみませ…、大丈夫です」





突然気でも失ったかと思ったが、緋彩はすぐに自分で立つ。だが少し顔色が悪い気もする。不死の負荷と風邪はもう治ったはずだったのだが。

ローウェンもニヤついた笑みをしまい、緋彩に駆け寄った。


「どうした?ヒイロちゃん」

「…いえ…、何か…、」

「何だ。言え」

「……」


黙ってろと言ったり、言えと言ったり。横暴が行き過ぎていると緋彩は恨みがましい目でノアを見るが、今は意地を張っている状況ではない。

緋彩は目眩を抑えるようにして目元を手で覆い、軽く頭を振る。


「…なん、か…、よく分かんないんですけど、一瞬目眩のような、意識が遠退くような…、でも本当に一瞬で、エレベーターに乗った時のような浮遊感によく似た感じが襲ってきて…」


ノアもローウェンも『エレベーター?』と首を傾げているが、とりあえず浮遊感という言葉だけを取り上げたようだ。

ローウェンは緋彩の熱が上がっていないのを確認して、顔色を見る。


「それで、気分が悪いとか?」

「いえ、全くないです。どちらかといえば少し頭痛は感じましたが、今は何とも」


緋彩の言葉通り、一時は悪くも見えた彼女の顔色は普通に戻っている。本当に刹那の時間だったのだろう。

だが、そんな気に留めるほどでもない一瞬の出来事でも、繰り返せば見過ごせないものとなる。







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