真の主導者
梟の鳴き声が何処かで響く時間帯、火の前で毛布に包まって見張りをしているローウェンの横に、替わる、と言ってノアが腰を下ろす。
「ヒイロちゃんは?」
「寝た」
「いつもより随分早いね」
「病み上がりで疲れたんだろ」
「ノアってヒイロちゃんがいなければ多少素直になるよね」
クスッと笑うローウェンに、ノアは煩わし気な視線を飛ばす。肯定も否定もしないけれど、間違ってはいないのが現実だ。ノア自身が認めているかどうかは別にして。
「彼女のこと、心配してるんならそうと言ってあげればいいのに」
「あいつは調子乗るから駄目だ」
「ははっ、駄目って何だよ。いいじゃん、別に」
「調子乗った挙句、無茶して俺の負担が増える」
「どうしたって守ってあげなきゃいけないもんね?」
「………」
何だかんだ言っても、ノアが人を見捨てきれないことはローウェンにも分かっている。ローウェンとて、ノアに助けられた一人だ。
それが彼の調子を崩す面倒な女であっても、事あるごとに視界に入り、邪魔をする存在であってもそれは変わらないし、だからこそ余計に放っておけなくなる。
それはローウェンには分かるけれど、恐らく緋彩には分からないし一生気付かない。言葉にし、態度で示さなければ多分ずっと拗ねた顔を戻さないだろう。
想像してローウェンは、眉を下げて笑い混じりにノアの肩に手を置く。
「ノアってさ、女の扱いには百戦錬磨、みたいな顔してるのに、結構不器用だよね」
「…逆にお前は慣れてるよな」
「そりゃもう、酸いも甘いも噛み分けましたし?」
「引くわ」
「本気の軽蔑やめて」
ローウェンに向けるノアの目が、これまでのどれよりも引いている。
実際、ローウェンの女関係の事情は然程特化したものでもない。その辺のちょっと顔がいい男なら、そのくらいの経験はしているだろうというくらいのレベルだ。ノアとて本気の純粋無垢な経験ばかりを重ねてきたわけでもないだろう。二十七ともなれば、それなりの経験はしているはずである。
「ヒイロちゃんみたいなのは初めて?」
「…何が」
唐突なローウェンの質問に、ノアは疑問で返すけれど、ローウェンの訊きたいことが理解出来ていないわけではない。理解したくなかっただけだ。答えない為に。
だがローウェンは、それも分かって噛み砕いて質問を重ねる。
「ヒイロちゃんみたいなタイプを相手にするのは初めてかって訊いてんの」
「…………」
単細胞で、トラブル気質で、馬鹿がつくほど他人主義。やり辛いったらない女は、ノアの止まっている人生の中で、かつていただろうか。
ノアは思考を巡らし、いつの間にか割と真剣に考えていた。
「さあ…。憶えてないな」
結果、曖昧な答えに、ローウェンは納得しなかったものの、あっそうと呟いただけで、それ以上の追及はしなかった。
「まあ何にせよ、ヒイロちゃんはノアの中で特別な存在になっているのは確かだ。大事な存在として、ね」
「そりゃ、不老不死の片割れだからな」
「そうじゃないよ。ヒイロちゃんに不死が渡っていなくとも、ノアはヒイロちゃんから離れられたと思う?」
「…それは…」
即答出来ないノアの複雑な表情に、ローウェンは口端を上げた。また弄れるといけないので、笑いは声に出さないでおく。
「僕は彼女に惹かれて君たちに付いてきたけどさ、僕みたいな目に遭った人を助けたいという理由も強ち嘘じゃない。ヴィム達を見て、余計そう思ったよ」
あんな苦しみの淵で暮らしているような家族にまで、ガンドラ教の手が及ぶ。そんなことがあってはならない。
「だけど、それを感化したしたのはヒイロちゃんだ。彼女は実際、巻き込まれた側。足を突っ込まなくてもいいはずなのに、じっとしていれば遭遇しなくていい危険があるはずなのに、彼女は人が目の前で傷付くことを許さない。特別に強いわけでも、敵に対抗する武器も持っていないのに。そんな人を見て、鍛錬して鍛えてきた男の僕達が黙って見ていろとでも?」
ご冗談を、とローウェンは自嘲気味に笑った。
「ノアだって、ヒイロちゃんのそんなとこに惹かれたんでしょ」
僕の感情とは少し違うけど、と注釈を入れたのは、ノアが勘違いするといけないからだ。
ローウェンの緋彩に対する想いは、特別ではあるけれど、ノアと同じものではない。ごく一般的な、憧れというものだ。
ノアのそれとは違う。
「…あいつは…、」
ノアの声は、煩わしくも諦めたような色を滲ませる。力など持たぬただの少女に負けたような。
「あいつは、単細胞の癖に、人のことには妙に頭が回る。人の心を見透かしたように、そんなこと知らなくていいということも」
「見透かされた経験が?」
「…俺の呪いの原因をあいつに話した時、正直あいつの反応には驚いた」
「呪いの原因ってラインフェルト家の?」
不老不死は親から受け継いだことはローウェンも聞いている。それは数奇な運命を与えられたね、とかそんな反応をしたような気がするが、こんな重い話は誰であっても同情してあげることしか返す反応はない。ノアも話す相手は当然選んでいるし、話をする時はそれを分かっている。大体誰も同じ反応であるし、特に希望する反応の仕方はない。望めばそれは、辛い運命を背負った自分に酔っている、自己陶酔というものだ。
だからこそ、緋彩の反応はノアにとって意外で、自分でも気付かないくらいの小さな棘を抜かれたようだったのだ。
「あいつは俺の呪いに同情するというよりも、その過程に反応した。…それは、初めてだったな」
ノアに呪いを引き渡してしまった両親の気持ちを慮るなんて。勿論ノアに同情の意がなかったわけではないだろう。けれど、あの時ノアは気付かされたのだ。
自分が、思った以上に両親のことを気にしていたこと。
呪いを受け継いだあの日、訳も分からず死んでしまった両親を自分はどんな感情で見ていたのか。自身が死ぬと言う時に、涙ながらに謝り続ける両親を、どんな思いで受け止めたのか。
呪いを自分に託した両親を決して憎みはしなかったと、緋彩には見透かされていた。
「まるであの日のことを見てきたように、あいつは俺のことも、両親のことも、全て分かっているようだった」
片手で覆ったノアの顔は、どんなものなのかよく見えない。もしかして泣いていて、もしかして怒っていて、もしかして笑っているのかもしれない。
「ノア、」
「敵わない、と思った。誰もが羨ましがる不老不死を、あいつは最初から嫌だと言っていたし、あいつが不死にならなくとも、この呪いがどんな厄介なものかは、あいつにバレていたんだと思う」
不老不死などなるようなものではないと、緋彩は最初からその意見を変えなかっただろう。
そしてノアがこれまでどんな思いで不老不死を抱えてきたのかも、一瞬で察してしまったのだ。
「同時に不死を背負ったことで、あいつは俺が今まで同じ辛さを背負ってきたと感じる。…だから、危うい」
「ヒイロちゃんは、ノアも自分の辛さを分かると分かれば、どうあっても辛くないと言うだろうね」
お互いに、唯一不老不死の苦痛を共感できる存在だというのに。
「無頓着な人間にならともかく、そんな繊細な奴に不死なんて拷問だ。痛いとも苦しいとも叫べずに生きていかなければならないんだから」
「だからノアは責任を感じていると?」
「それもある。だが、あいつは繊細ではあっても弱くはない。俺が感じる責任など剥ぎ取られそうになるほどにな」
それが厄介だ、と顔から手を離したノアの表情は、心底困っているように見える。
「責任を感じたくとも、それをさせてはくれない。それどころか不死を背負わせたのがヒイロで良かったとさえ思わせてくる。…そんな奴、まともに相手にできるかよ」
「ははっ、それもそうだ」
僕だってごめんだね、とローウェンは他人事だと笑った。ノアの気持ちは充分すぎるほど共感できるから、尚更ノアを揶揄いたくもなる。
やはりノアは緋彩がいないところでは素直だと、ローウェンは満面の笑みを浮かべた。
「まあ僕は二人の噛み合わないやり取りを見てるのも楽しいからいいけど」
「お前まじで何の為に付いてきたんだよ」
「嘘は言ってない。僕はちゃんとヒイロちゃんへの憧れと人を救いたい気持ちはある。最近はそれに加えて君たちへの興味も出てきただけだよ」
「……本当、趣味悪いよなお前」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
いつの間にかローウェンに本音を話しているのも、ノアは恐ろしく感じている。
「さ、じゃあ僕はお言葉に甘えて寝るとするよ。野獣の襲撃でもあったら起こして構わないから」
「襲撃があったことすら気付かないくらいに倒しておくから安心しろ」
「ノアなら出来そうで怖いよ」