可能性
「おっはよーございまーぁす!」
「おはよう、ヒイロちゃん。もう身体はいいの?」
「はい!バッチリです!薬飲んでたくさん寝たら回復しました!」
翌朝、元気溌剌に起きてきた緋彩を、ノアは鬱陶しそうに、ローウェンは安堵した表情で迎えた。
ノアが単細胞、とぼそりと呟いたことにも目尻を吊り上げて歯向かっていたくらい元気が見えたので、本当に回復したのだろう。
「とりあえず回復したならいい。さっさと出発するぞ」
荷物をまとめて朝食を摂るのもそこそこに、ノアはさっさと宿を出発すると言う。特別急ぐ用事などはないはずだが、ローウェンが、安心したなら素直に喜びなよと揶揄ってくるのが煩わしかったのだろう。
「ノアさん」
足早に部屋から出ようとするノアの袖を、くん、と緋彩の指が掴むと、いつもの仏頂面が振り返る。慣れてしまっている緋彩は、それが怒っているわけではないと分かっていて、そのままニコリと口端を上げた。
「林檎の差し入れ、ありがとうございます」
「…………何の話だ」
ピクリと反応したノアの眉に、緋彩は惚けたような声を漏らした。
「あっれぇー?違いましたかねぇ?ベッド脇に置いてあった林檎、ノアさんからじゃなかったんだー?」
「……………」
ノアの眉間の皺が一本増えたことを確認して、緋彩は肩を竦ませて笑った。屈託なく、まるで込み上げるような笑みで。
「じゃあノアさんが犯人を知っていたら、お礼伝えておいてくださいね」
彼が素直に頷くわけがない。分かっていて、その時の為のお礼の伝え方も心得ている。
緋彩はノアに優しさなと求めていない。
求めているのはただ一つ。
「……ああ、分かった」
ニコイチの相棒である彼の返事だ。
「でもノアさん、普通病人には林檎を丸ごと渡すのではなく、切ってあげたりすりおろしたりしてあげるものですよ?」
「はあ?もらった分際で図々しいな!」
「そういう問題じゃないんですってば!ノアさんはもっとこう、思いやりの心がねじ曲がっているというかですね…!」
「文句があるんなら返せ」
「有難く丸ごと食べましたから返せませんー!っていうか、ノアさんがくれたものじゃないんでしょ!」
「俺が責任もって返しておいてやるってことだ」
ローウェンが一人、少し離れたところでその様子を苦笑して見ていた。
***
「…っ、ちょ、ノア、さ…、ペース、速…っ、もっとゆっくり歩い…、私、病み上がり…っ」
「だからお前は宿に残ってもいいって言ったろ」
「いや、だって、さすがに…、いくらノアさんだって、ちょっとくらい気を遣ってくれるものとばっかり…!」
「あ?誰が、誰に気を遣うって?」
「……ナンデモナイデス」
少しでも期待した緋彩が悪い。病み上がりだから荷物くらい持ってくれるだろうとか、ゆっくり歩いてくれるだろうとか思っていた緋彩が甘かったのだ。どちらかというと、足手纏いになりそうならもう一泊してやるから宿に残れよと忠告されたアレがきっと彼なりの気遣いだったのだ。
緋彩はいつも通りの荷物持ちと、いつも通り歩幅の違いを歩数で補いながら、ぜぇぜぇと息を切らした。
「ヒイロちゃん、一番重いやつ僕が持つよ」
「い、いや…、大丈夫です…っ、これはきっと、ノアさんの私に対する試練なんです…!」
「……あ、そう」
血走った目で荷物を引き摺る緋彩に、ローウェンが時々声を掛けるが、緋彩は頑として自分で荷物を持ち続けた。ここでローウェンを頼ったら何か負けた気がするのだ。意地でも荷物を持ち続けるか、見かねてノアが手を差し伸べてくるまでへばるものかと鼻息を荒くした。後者はあまり期待していない。
「ところでノアさん、どうしてヴィムのところに行くんですか?」
「ちょっと気になるからな」
「ローウェンさんが言ったと思いますけど、ヴィムが買う薬はちゃんと病院で処方されたものなので、例の万能薬じゃないですよ?ヴィムは欲しがってはいましたけど…」
「そっちじゃない」
万能薬がどんなものかも知らずに欲しがることは非常に危うい。容易に手を出さないか心配でもあったので、緋彩ももう一度ヴィムに釘を刺しておきたかった。宿に残ってもいいと言われながら緋彩がそれでもついてきたのは、ノアがヴィムの所へ行くと言ったからということもある。
だがノアは、緋彩の思いとは別の方へ思考を巡らせていた。
大人にしては年齢を感じさせない容姿、子どもにしては聡明な瞳が僅かに眇められる。
「そのヴィムって奴、容姿が子どもなんだろ」
何故思い至らなかったのだろう。
あの薬が生まれてしまった根源は、そこにあるというのに。
「───────…あ、」
童顔という一言で片づけられないほどの、十四歳にしては子ども過ぎる容姿。人の成長ペースはそれぞれだが、それでもある程度の基準というものはある。子どもがそこに満たないことは往々にしてあれど、さすがに十四歳が五歳に見えるというのは、何かしら疾患があると見られる。少なくともそれが、日本なら。
だがここは日本ではない。
この異世界ではもう一つの可能性があるのだ。今、緋彩の目の前にいる人物がその確たるもの。
「ヴィムは…、不老不死…?」
緋彩の乱れた呼吸の理由が変わった。
ただの可能性に過ぎないのに、どこかでそうに違いないと思っている方が大きくて、心臓が大きく音を立て始める。
ヴィムが不老不死なのだとしたら、ノアと同じく呪いを穿たれた人間。
もしくは、アクア族。
「焦るな。決まったわけじゃない。単に一定時期から成長が種族もいるから、一概には言えない」
「…あ…、そう、ですよね…。ノアさんが紛らわしいこと言うから」
「訊かれたから答えただけだろ。勝手に早とちりしたのはお前だ」
「私が早とちりするってことくらい、ノアさんなら予想できるでしょー!勘違いしないように言ってください!」
「無茶苦茶言うな」
理不尽な要求は、動揺を隠すためだろうか。緋彩の場合、どうせ顔にも態度にも出てしまうのだから意味はないけれど、せめて自分自身には隠したかったのだ。
ノアのように数奇な運命を辿ってきた人が、他にもいるなんて、また感情移入してしまって吐いてしまいそうだったから。