保護者の行方
「ふ、ふ、ふ…ふえっくしょい!」
「っわ!びっくりしたぁ。大丈夫?ヒイロちゃん」
「だ、だいじょうぶれす…うぃぃ」
オヤジ並のくしゃみをかまし、緋彩はずび、と鼻を啜った。そんなことを繰り返しているからか、鼻の頭がほんのり赤くなっていた。止まらない鼻水と鼻声は完全に風邪をひいている証拠だが、緋彩自身は気持ちの問題だと言って風邪であることを断じて認めない。
「次の町までもう少しだけど、着いたら病院いこうね、ヒイロちゃん」
「いや、だいじょぶれす。ちょっと鼻がムズムズするらけれす」
「熱は…、なさそうだけど、症状が軽いうちにちゃんと薬飲んでた方がいいよ?」
「ううううんんんんん…」
ローウェンは朝、緋彩のくしゃみを聞いてからこうして何かと気を遣ってくれる。だが、緋彩が元気だと言っている訴えは決して受け入れてもらっていない。
これから向かう先はルイニという国だ。ルイニは古くからある国なので、何かアクア族の歴史が残っているかもしれない。
ルイニの中にあるウェログという小さな町を経由するのだが、横断するのに一日もかからないので、ウェログには停泊する予定はなかった。だが、緋彩がこんな状態だと言うことで、一旦そこで休もうということになったのだ。
「本当にお前は次から次へと面倒ごとを持ち込むな」
「誰の所為だと思ってるんですか。ノアさんが寝てる間に私の夜具を剥ぎ取ったからでしょ」
「まだ寝ぼけてんのか。お前の寝相が悪くてこっちまで侵入してきただけだろうが。思いっきり踵落とししやがって」
「それはごめんなさいっくしょい!」
「汚ねぇ寄るなうつすな」
睨むノアに緋彩は一度は食って掛かったものの、すぐに頭を下げることとなった。遠慮のない寝返りを打ったところ、隣で寝ていたノアにエルボーと踵落としを食らわせた勢いで夜具が剥がれたのだ。ノアはいつもは蹴り返して叩き起こし、夜具を被り直させるのだが、安眠を妨害された仕打ちに今回は無視した。剥がれた夜具がノアの上にあったものだから、緋彩はノアが剥ぎ取ったのだと勘違いしていたらしい。
「まあまあ。とりあえずヒイロちゃんは薬だけでももらって、宿でゆっくり休もう」
「…あい…」
ローウェンは鼻が詰まってぼーっとしている緋彩に苦笑し、町が見えてきたよ、と地平線から小さく顔を出し始めた建物の陰を指さした。
***
「うん、風邪だね」
「…………聞きたくなかった」
「うん?」
ウェログについて直行した病院で躊躇なく告げられた診断。聞くと症状が悪化した気がして、緋彩はガクリと肩を落とした。まるで余命でも告げられてしまったかのような反応に医師は首を傾げ、付き添っていたローウェンが何でもないんですありがとうございましたー、とそそくさと緋彩を連れて出て行った。
ウェログの町は小さなところではあったが、日常生活に困らないほどの施設や資源は整っていた。贅沢は出来ないだろうけれど、特別貧困でもない。人々の表情の豊かさがそれを物語っていた。緋彩たちが立ち寄った病院も、可もなく不可もない、町の小ささの割には立派な病院だった。医師や看護師もそれなりにいて、大きな病気は対応出来なくとも、ある程度は受け入れられる。病院としての機能は充分に果たしていた。
「それにしてもいい町だね、ここは。ちゃんとした病院があってよかった」
「本当ですね。ノアさんをどこかに行かせるほどの魅力がありますもんね」
「ヒイロちゃん、それ多分違うよ」
ノアは風邪をうつされてたまるか、と一刻も早く緋彩から遠ざかりたがっていて、病院に付き添うなど以ての外だと町についた途端すぐさまどこかへ消えてしまった。町に来るまでも一定の距離を保っていたくらいだ。仕方のないことかもしれないが酷いと言えば酷い。宿は同じだから逃げ切れないのに。
緋彩は薬の準備が整うまで、待合室の椅子に腰かけて周りを見回す。院内は思ったより混んでいて、特に緋彩と同じように風邪をひいている人が多いようだった。どこかしらで咳やくしゃみの音が聞こえてくる。性別も年齢も様々ではあったが、高齢者の殆どは恐らく通院だろう。
「風邪、流行ってるんですかね?」
「最近気温の変動が大きいからね。夜具をちゃんと被っていたって体調も崩すよ」
スマートなローウェンのフォローに緋彩は目を輝かせる。大人というものはなんてかっこいい人間なのだろう。
それに比べてあの無駄にイケメンは、ローウェンよりも二つも上の癖に大人の余裕っていうものがない。マイペースというよりは自己中、無神経というよりは無関心。確かに悪いのは緋彩の方だけれど、普通女の子が困っていたら少しでも手を差し伸べるものでしょうが。それどころか近づくなとは、どういう育ち方をしてきたのだろうか。
考えるとイライラしてきて、緋彩の眉間にもノアの如く皺が寄る。ローウェンに横で顔怖いよと言われて気が付いた。
「ところで、ヒイロちゃんはノアから不死をもらったんだよね?身体にどんな外傷を負っても死なないことは分かったけど、それは病気の時はどうなるのかな?身体の機能が衰えても、機能不全にまではならないってこと?」
「うーん…難しい話は分からないですけど、どうやら病気でも死ぬことはないらしいですよ。だからといって病気にかからないというわけではないから、寧ろ死に至る病にかかった時なんて怪我するより最悪だということです」
「…成程。治らない病気だとしたら、治らないのに死にはしないからずっと苦しみ続けるということか」
ノアはそのような病気にかかったことはないので確証はないが、病気は怪我のように傷が塞がれば治るというものではない。要は死なないだけで、普通の人間と同じ苦しみを味わうのだ。
「ノアさんが言うには回復力はずば抜けているから、治る病気であれば人よりも苦しむ期間は少ないみたいですけどね」
「病気の時はノアには影響はないの?ヒイロちゃんが致死に至る怪我した時はノアも痛みを感じるんだよね?」
「あ、はい。私も不思議だったんですが、今日の様子を見てると病気は大丈夫そうですね。ただの風邪だからかもしれないですけど」
うつすなと緋彩を邪険にしていたところを見ると、ノア自身は健康体であるようだった。もしかして苦痛を伴う病気にかかればノアにも影響がいくかもしれないが、それは実証するわけにもいかない。ノアも自分に影響が来ることは避けたいようで、不老不死のことについてだけは、知っていることを緋彩に伝えているが、彼も何もかもを知っているわけではないようだ。
まだまだ不老不死のことについては謎なところが多いな、と緋彩は人知れず溜息を吐いた。
ふと、目の前を横切る陰がある。
「!」
五歳くらいの、小さな少年だった。しっかりとした足取りで歩いてはいるが、五歳児らしい元気いっぱい!といった様子はない。
周りを見回しても保護者は見当たらなかった。迷子にしては不安げな表情は見せていないし、どこか目的を持った眼差しをしている。
最近は物騒な世の中だから、むやみやたらに声を掛けるのも憚れるが、小さな子どもが一人で歩いていたらこのまま放っておくわけにもいかない。緋彩は恐る恐る少年に向かって手を伸ばした。
「あの、キミ、」
「ああ!?」
「ひぃっ!!」
もしかして誘拐犯に間違われるかもという懸念はしていたけれど、ガンを飛ばされるという事態は予測していなかった。まさかの殺意満タンの睨みに、緋彩の肩はビクリと揺れる。
「何だよ、オバサン」
「オバ…」
「気安く話しかけんじゃねぇよ。誘拐に間違われても知らねぇからな」
少年は大人をも委縮させそうな目つきと口の悪さだったが、顔の作り自体は端正で将来有望である。もしかしたらノアくらいの大物になるかもしれない。外見も中身も。
絶妙に優しいところもある気がするが、その前に発せられたオバサンの衝撃が大きすぎて緋彩には伝わっていない。人生で初めて言われたのだから仕方ない。
固まってしまった緋彩の代わりにローウェンが後を引き継ぐ。
「あ、えーと…、キミ、お父さんやお母さんは一緒じゃないの?」
「はあ?どっちもいねぇよ」
「あ…、ごめん」
チッ、と舌打ちされながら言われた答えに、ローウェンは眉を下げて謝る。子どもが一人で歩いている理由なんて、大抵ろくなものじゃない。迂闊に訊くべきではなかったと後悔した。こんなに性格が歪んでしまったのにはきっと理由があるのだ。
「何失礼な勘違いしてるんだよ。父親は家出て行ったから本当にいねぇけど、母親はちゃんと生きてるよ。ここにいねぇだけ」
「あ、これはこれは重ね重ねすみません」
性格は歪みまくっているけれど、しっかりした子どもである。容姿から五歳くらいだと決めつけていたが、もう少し上なのかもしれない。女性に歳を訊くのは失礼だけれど、このくらいの子どもに訊く分は責められないだろう。今度こそ質問を間違わないよう、ローウェンは熟考して伺う。
「キミ、何歳?どうして一人でここにいるの?お母さんは?」
「質問多いな。十四歳、ここには薬をもらいに来た、母親は家」
文句を言いながらもしっかり答えてくれる少年。反抗的なのか素直なのかよく分からない。
とりあえず質問に対する全部の返答に驚いたのだが、最も衝撃的なものに緋彩とローウェンの声が重なった。
「「十四!?」」
「何だよ」
常に不満そうな表情を浮かべている少年は、格好こそポケットに手を入れて、ちょっと斜に構えて、風を切るような歩き方で、雰囲気はヤンチャな中坊そのものだったけれど、身体の大きさは未就学児、良くて小学校低学年がいいところだった。少年は立っているのにも関わらず、座っている緋彩やローウェンと目線が一緒で、顔だって端正であるけれど、本当に十四歳なのだとしたら童顔が極まっている。
少年は煩わしそうにしながらも、緋彩とローウェンのような反応には慣れているのか、怒った様子はない。
「別に信じなければ信じないでいーよ。こんな幼い十四歳なんて他にいねぇもんな」
「ああいや、ごめんね。ちょっと驚いただけなんだ」
「慣れてるから別にいい。不便ではあるけど」
見た目で人を判断するのは失礼だと謝りながら、ローウェンは少年の見上げた視線の先を追う。『不便』と言った行先が、受付に向いていた。大人の腰くらいまであるカウンター、恐らく少年を幼い子どもだと判断して保護者を探すであろう事務員や看護師達。確かに、不便なことは多いだろう。
ローウェンはああ、と納得して、何を思ったか呼ばれてもいないのにすっと立ち上がった。そして、少年の手を取る。
「な、何すんだよ!」
「僕が保護者になってあげるよ。余計なお世話かもしれないけど」
「余計なお世話だよ!俺一人で大丈夫だっつーの!」
「大丈夫なのは分かってるよ。でも、この方が余計な手間はないでしょ?」
「…………」
保護者を探し出す大人たちを止めたり、撫で繰り回される女たちから逃げたり、本当に十四歳なのか証明したりしないで済む。背に腹は代えられないのか、これ以上ないくらいに不服そうな表情はしていたが、少年はローウェンの『キミ、名前は?』という質問に素直にヴィム、と名乗った。




