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強制ニコイチ  作者: 咲乃いろは
第六章 響く助力
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本意

「んん…」


緋彩は瞼を持ち上げるのと同時に、僅かな身体の軋みを感じた。当たり前だ。ここは宿のベッドではない。それどころか建物の中でもない。天幕の中ですらない。限りなく黒に近い紺色の夜空が一望できる大地の上だ。ただ今は、聳え立つ岩壁が邪魔で長細い空しか見えないけれど。





「起きたのか」





背中に当たる地面の硬さに寝返りを打つと、すぐ傍から声が降ってくる。見れば、ノアが緩やかに揺れる火に視線を微睡ませていた。声を掛けた割には彼の目線は緋彩には向かない。


「ノアさん…」

「頭痛は?」

「…大丈夫、です…」

「腹は?」

「…減ってます」


言うが早いか、緋彩の腹は素直にぐぅ、と返事をする。ノアはその音に目線だけを僅かに寄せ、転がっている木の枝を手にして火の中をそれで突く。何かを手繰り寄せるようにして出てきたのは、コロンとして茶色いもの。突いた枝をそれに刺すと、そのまま緋彩に雑に渡す。


「ん」

「ん?」


差し出されたままに受け取れば、ふわりと温かな蒸気と香りが鼻腔をくすぐった。それだけで心が安らぐような優しい香り。


「焼き芋!食べていいんですか?」


ノアは返事はしなかったけれど、緋彩にはそれが肯定だと言うことが分かる。乱れていた夜具をひざ掛けにし、少しだけ火に近寄って芋にかぶりつけば、一気に口の中の水分が奪われる。


「もふもふもふもふ!」

「飲み込んでから喋れ」


緋彩は口に入れ過ぎた芋をノアが無言で差し出してきた茶で流し込み、ぷはぁ、とビールを飲んだかのように満足な表情をする。仕事帰りのサラリーマンを彷彿とさせる。

芋はローウェンが準備しておいてくれたらしい。緋彩が起きたら食べさせたらいいと言い残して意識を失った(寝た)。疲労が限界だったらしい。

天幕は一人しか寝るスペースはなく、今回はローウェンが使ってしまって緋彩は外で寝かされていたのだが、火を熾せばその近くの方が断然温かい。この辺は野獣も出ることから、ノアが見張りを兼ねて火の番をしてくれていたので、緋彩は寒空の下で寒さよりも空腹が気になる状態で寝ていられたらしい。

もっきゅもっきゅと芋を頬張る緋彩に構わず、ノアは徐に荷物の中を漁る。鞄の外からでもどこにあるのか分かるそれを手にして、ノアはゆっくりと取り出した。


青よりも濃く、紺よりも薄く、僅かに紫が滴ったような色。


果てしなく透明度の高い水晶の中は、幻想の世界が広がっているようにも思えた。




「……それ…、法玉、ですか?」




食べる手を止めて、だが芋のクズを口端に付けたまま、緋彩は丸い目を法玉に向けた。

ノアから怪訝な視線が返ってくる。


「お前が見つけたんだろ」

「え?あれ?そう…でしたっけ?」

「…覚えてねぇのか」


責めるようなノアの視線にドキリとして、緋彩は必死に思い出す。

覚えていないわけではない。断片的な記憶はあるけれど、あの時はとにかく頭が痛くて、それに耐えるのが必死で、何とか自分のやるべきことをやらなければと無我夢中で、正直半分無意識だったので、どちらかというと自分が主人公の、他人が書いた物語を客観的に読んでいるような感覚だった。そこに自分の思考は存在せず、ただ意思だけが生きている創造の世界。


「何となく…覚えている、くらいには。この谷底に下りてきた辺りから何かこう、頭が重いというか、違和感というか、そういうものがあったんですけど、穴の中へ入ったら気の所為にはしておけなくなって…」

「お前は高等魔法で作られた結界の中にあった法玉を見つけた。その違和感というのは、法玉を見つける為だったのか」

「私がそんなの知るわけないじゃないですか。私はただ、より頭が痛くなる方へ歩いて行っただけです。その先に法玉があるという確信はなかったけれど、状況からして法玉が()()()()()()()()とは思っていました」


痛みを追って行っても必ずその方向だという自信があったわけではない。法玉に近づけば近づくほど痛みは増していたし、一定の痛みを越えたら感覚は麻痺し、もうどこを向いても同じ強さの痛みに感じるのだ。最後の方は殆ど勘だったと緋彩は言う。

だが、問題はその()なのだ。推察という言葉では説明のつかぬ、第六感と言っていいそれは、度を超えると、時に不思議な力とも形容される。


「仮に、お前が法玉に近づくと頭痛がする体質だとして、今はどうだ?」

「え?今は、ど…、おわっ、とっ、とっ!」


ノアは急に法玉を緋彩に投げて寄こしてきた。芋を片手に持っているのに、何度か手の上で踊る法玉をどうにか片手で受け止める。

芋を持っていなかった緋彩の左手は充分冷たかったが、法玉はそれよりもヒヤリとしていた。ノアが握っていた熱も残ってはおらず、周りの全ての温度を奪っていくほど。対してその中はまるで蒼い炎が揺らいでいるようだった。絵の具が水に溶けたような模様を描き、鞄の中ではあんなに光っていたというのに、この距離で見た法玉は逆に光を吸い取っていくような引力がある。


深く、深く、仄暗い海底のような、


神秘に塗れた世界には、光など必要ないと。


誰かの声が、


水の中で、



遠く、



遠く、












「ヒイロ」

「────…っ!」




法玉を隠すように、美しい、だが男性のものだと分かる手が被せられる。同時に耳元で響いた声に、鼓膜が波打った。




「どうした」

「……あ……、いや……」




起きてから殆ど合わせることなどなかった目が、今度は逃さないと言うくらいに真っ直ぐ緋彩を見ている。

法玉越しに伝わる彼の熱よりも、輪郭をなぞるように頬に添えられたもう片方の手よりも、静寂に響く中低音の声がすぐ近くで聞こえることよりも、紫紺の瞳が自分を捉えているということが何よりも不思議で、何よりも自分がここにいるという証明に思えた。

真剣な眼差しを向けるノアは、一見緋彩を気にかけているようにも見えるけれど、実際は緋彩に興味があるのではなく、緋彩の身に起こる反応に興味があるのだ。


「法玉に触れると、何か違和感があるのか」

「あ、いえ…。ただぼーっとしていた、だけ、です…」

「はあ?」


ノアは眉を顰めて息をつく。

緋彩自身にではないとはいえ、緋彩に関わるものを邪険にしなかった貴重な機会だったというのに、ノアが望むものを与えてやれなかったことに申し訳なくなる。ただ、本当にどうもないのだ。法玉の見せる神秘的な空気に中てられたようになっただけで、あの時のような頭痛なんかは全くない。


「何か、すみません。反応なくて」

「あん?何言ってんだ」


しゅん、と項垂れた緋彩に、ノアは訳が分からないと首を捻った。


「いや、だって…、頭痛がしたのはもしかしたら不老不死の呪いの何かに関することで、法玉に触れることでそれが誘発されるのだったら、またあの時の再現が出来れば何か分かるかもしれなかったのに」

「だから何言ってんだよ、お前は」

「へ?」


ノアは緋彩の頬に添えていた手にぎゅっと力を入れて、よく伸びる肉をグニ、と摘まむ。揶揄いのレベルではないくらい強く摘まんでいる。


「いひゃい」

「それじゃ俺がお前の苦しみを望んでるみたいじゃねぇか、ふざけんな。そこまで腐ってねぇよ」

「ふ、ふみまへん…」


苦しみを望みはしないけど、自分ではこうして与えていることはどうして説明してくれるのか。

ノアは緋彩の頬から手を離すと、まだ不本意だと訴えている目で続けた。


「アクア族が見つかるまではこの法玉を持ち歩くことになる。お前がこの法玉とどう関係しているのか分からないが、お前はあまりこれに触れるな。一人で妙な実験はしようとするな。少しでもおかしいと思ったら俺に知らせろ」

「どうし、て…」


緋彩に苦しまないでほしい。苦痛に耐える顔はもう見たくない。言葉にも態度にも出さないけれど、もしかして、一万分の一、いや一億分の一くらいの可能性で、ノアはそんなことを思っているのだろうか。


彼には一ミリも似合わない、”心配”という色が見え隠れする。


不本意に隠した本意は、彼には違和感だけれど、想像できないとは思わない。



彼は、人の心がある人間だ。














「んなもん、俺にとばっちりが来るかもしれないからだろ」

「ですよね」




多分。




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