闇への誘い
「ったく…、お前がもたもたしてるから出遅れただろうが」
「えーっ、私の所為ですか?君の瞳に乾杯ってしてきたのはノアさんの方でしょー!?」
「してねぇわ!」
建物の陰から通りの向こうを睨みながら、二人でこそこそと言い争う。
ノアが緋彩を起こしたのは、瞳の色を見たかったからではなく、ローウェンの部屋の方で動きがあったからだ。ローウェン以外の人の気配と、騒がしくない程度の不穏な物音だった。音が止んでからローウェンの部屋を訪れると、中に彼はいなく、淹れたばかりの茶が湯気を上げていた。どう考えても不自然すぎる状況は、ガンドラ教が動いたのだということを物語っていた。
ノアは尾行がバレないように時間差で追いかけるつもりではあったが、いくら何でも時間を置きすぎた。緋彩を捌いた後でやっと目的を思い出してローウェンを追ったのだが、その時にはもうどこにもその姿はなく、町中を探し回ってやっと見つけたのだ。ガンドラ教の本拠地に辿り着く前で本当によかった。
そうして追ってきた道は、段々と人気がなくなってきて、隠れる場所にも困るくらい何もないところへと変貌していく。瓦礫の陰、木の陰、草むらの陰、あらゆる陰を使ってローウェン、それから彼を両脇から囲む二人の男を追う。
「どこ行く気ですかね。これ以上進んでも何もない気がしますけど」
「相手は得体の知れない宗教団体だ。こういう奴らが根城にする場所なんて、大抵…」
言いながらノアは目を細めてローウェンたちに向ける視線を鋭くした。その目線の先を追うと、大きな岩を片手で軽々と横にずらし、そこから地面の下に消えていくローウェンたちがいたのだ。階段を下りていくように潜っていく彼らは、恐らく地下へと歩を進めている。緋彩は地面の下に潜ったと目を剥いて驚く。
「え…、え!?」
「公に出来ないようなことをしている連中なんて、大抵地下にいるもんなんだよ。結界なんかで上手く隠しているから簡単には見つからない」
「見つからないっていうか、それはノアさんが魔法が下手っぴだから、結界を破れなくて見つけられないの間違いでは…?」
「あ゛?」
「ナンデモナイッス」
岩をあんなに簡単に動かしたのも恐らく魔法だろう。そして、ローウェンたち三人の姿が全て地面の下に潜った途端、蓋となっていた岩は大きな音をたて、独りでに動いてまた蓋となろうとしていた。
「あっ、ノアさん!やばいです!閉まっちゃいます!」
「だから?」
「だから?じゃないですよ!何悠長に構えてんですか!ノアさん魔法出来ないんだから、地下への入口が閉まる前に早く行かな…ぐえっ」
飛び出そうとした緋彩の首に襟元が食い込んでグイッと絞まる。ノアが後ろから首根っこを掴んで緋彩の足を止めたのだ。何をするのかと緋彩が振り返れば、ノアは動く岩をやはり冷静に見つめていた。
「落ち着け」
「でも…」
「あそこにすぐに飛び込んでも見つかるのがオチだろうが。場所さえ分かれば侵入方法なんていくらでもある」
「でも、他の入口探しているうちにローウェンさんに何かあったらどうするんですか。他に侵入できる場所があるとも限らないし」
緋彩はとりあえず周りにキョロキョロと目線を這わすが、辺りは荒野とも言える荒れた土地に、昔はここにも住人がいたであろう痕跡が僅かに見える建物の残骸が所々に転がっているだけだ。それらしいものなんてどこにもないし、もしあの岩のように動かしたら入口がひょっこり顔を出すような仕掛けがされていたとしても、同じく人の手だけで動かせるようなものはない。
そうしているうちにローウェンたちが消えていった入口はまたしっかりと蓋をされた。
だがノアは、あーあ、と声を上げる緋彩の横を通り過ぎ、全く慌ててなどいない足取りでそこへ近づいて行った。
「ノアさん?」
その手には、いつの間にか抜かれた剣が握られている。
「巻き込まれたくなけりゃ下がってろ」
「はい?」
振り向きもせずにそう言う。
そして、何をするつもりなのかと緋彩の疑問が浮かぶよりも早く、ノアは地面を強く蹴り、羽があるように宙へ高く飛んだ。
そこから真っ直ぐ、剣を振り下ろす。
「────…へ?」
次の瞬きの瞬間、キィン、と刃が岩にぶつかった音が響いた。
激しい爆発音と共に強風と土埃、それに混じって砕けた岩や石が飛び散る。
「っ!!」
緋彩は思わず顔を腕で覆うが、その隙間から小さな岩の欠片が肌にバシバシと掠めていく。だが、大怪我に繋がるような大きな欠片はない。それほどに粉々に砕かれていたのだ。
緋彩は身体にぶつかってくる石がなくなったのを確認すると、恐る恐る目を開けて腕の中から顔を出す。
視界に最初に映ったのは、未だ立ち込める土埃の中に佇むノアの姿。砕かれて無残な姿となった岩の横で抜き身の剣を一振り払うと、手慣れた動きでゆっくりと鞘の中に収めた。
「…ノノノノアさん?一体何を…!」
パタパタと近付きながら問う緋彩の問に、ノアは聞こえていないとでもいうように現れた下りの階段に足を踏み出して行った。そこに躊躇など微塵もない。動かせないなら壊せばいい、と恐らくそういうことだ。
無視されることなど慣れている緋彩は、特別何の感情も抱かずにノアの背中を追った。
たった五歩、
たったそれだけ進んだだけで、
光さえもこれ以上進みたくはないと匙を投げたくなるような闇の世界へ。