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強制ニコイチ  作者: 咲乃いろは
第五章 定まる的
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いつかその時まで

緋彩が風呂から上がった頃はもう周りが寝静まり始める時間だった。一階の食堂ももう閉まってはいるが、受付はまだ開いていて、今から新規で泊まりたいという客がちらほらと見えていた。

風呂で温まると喉が渇いて、一階にもらいに行くとノアに報告したばかりに俺のももらってこいとパシられた。




「あれ、エーダさん?」

「あら、ヒイロちゃん」


緋彩が食堂を訪れると、明かりもついていない場所に一人、エーダがじっと座っていた。ぼーっと呆けていたわけでもなさそうで、緋彩が声を掛けるとすぐに顔を上げて微笑む。


「何してるんですか?」

「あぁいや、ちょっと写真をね」

「写真?」


この世界にも写真というものがあるのだと驚きながらも、緋彩はエーダの対面に腰を下ろす。テーブルには数冊のアルバムが広げられていて、そこには殆ど同じ人物が写っている。

誰と訊く前に、写真を懐かしそうに見るエーダの表情を見るだけでそれが誰なのか何となく予想が付く。


「息子さん、とかですか?」

「ええ、そうよ。息子の小さい時の写真。もう十年以上前のものだけど」

「へぇ…。見てもいいですか?」

「勿論。自慢の息子だから是非見てほしいわ。ほらこれ、これとか女の子みたいに可愛いでしょ?」


今より少し痩せていて、少し若いエーダに抱きしめられて写っているのは、本当に女の子のように可愛らしい少年だった。エーダと同じベージュの癖毛で、笑った時に出来るえくぼの位置も一緒で、離れたところにいても親子だと分かるくらいによく似ていた。

ページを捲る度いろいろな表情を見せてくれる写真は愛情が零れ落ちるようだった。笑い顔も、泣き顔も、怒った顔も、その一瞬一瞬を撮り逃すことなく収められ、誰がどんな気持ちで撮ったのか見ていたかのように分かる。大切で、尊くて、いつまでもいつまでも抱きしめていたい宝物のようで。


今、それを見つめるエーダの目がそう言っていた。




「人懐っこくて、感情豊かで、よく笑いよく泣きよく怒る。何となくヒイロちゃんに似ていて、思い出しちゃったのよね」

「私、ですか?」

「ふふ、悪いわね、ヒイロちゃんにはまだ会って間もないというのに。間違ってたらごめんなさい」


頬杖をついた手に頬を押し付けるように笑うエーダは、郷愁というよりは少し悲哀のような色を含んでいるように感じる。

緋彩とエーダの息子が本当に似ているかどうかは置いておいて、エーダにとっては緋彩が自分の息子を彷彿とさせる存在だったのは確かだ。そして、懐かしさを息子本人にではなく、緋彩に向ける目に宿しているのは、ここには彼がいないからだ。


「今、息子さんは?」

「………そうねぇ…」


笑うでもなく泣くでもなく怒るでもなく。ただほんの少しだけ、エーダは考えるように陰った瞳を写真に落とした。

愛おしそうに写真を指でなぞり、何も言わずにただ口元だけ弧を描いている。



ああこれは────…



そうとは言わないエーダに、緋彩は小さくすみません、と謝った。

するとエーダははっとしたように顔を上げて、慌てて肩を落とす緋彩に笑いかけた。気にしないで、と言うその瞳は、気にせずにはいられない。





「────…不慮の事故ってやつでね」





苦痛も失意も悲嘆も気が狂うほどだっただろうに、エーダはその全てをそれだけに収めた。

いくら嘆いても、いくら悔いてももうどうしようもないと、彼がいなくなったその時から今までの時間を掛けて、やっと分からされたのだ。きっと、話し出したら歯止めがきかないということも。

こんな時なんと声を掛けてあげるのが正しいのか。どうするのが寄り添うことになるのだろうか。緋彩にはまだ人生経験が少なくて分からない。

言葉に詰まった緋彩の様子を見てか、エーダは仕切り直したように満面の笑顔を見せた。


「やぁだ、ヒイロちゃんがそんな顔することないのよ!ごめんね、湿っぽくなって!」

「あ…、いえ、こちらこそなんかごめんなさい…」

「もう何年も前のことだから気にしないで。そろそろ私も吹っ切れないといけないんだけどねぇ」


ははは、と明るく笑うエーダは、自分の気の持ち直し方を心得ている。さすが大人だと思った緋彩だが、一つだけ否定したくて、彼女のクリームパンのような手をぎゅっと握った。




「駄目です、エーダさん」

「え?」




眉をぐっと寄せた表情はそれまでの困った表情とは一変していて。








「苦しみも悲しみも、吹っ切らなくていいものもあるんです」


「────────…」








失った方は辛く、苦しいだろう。

見ている方も居たたまれなくなるほどの苦しみは、そこに愛情があったから。大切で、愛おしくて、絶対に手放したくないはずのものを奪われてしまったから。

その苦しみが如何ほどだったか、その悲しみがどれほど深かったか、愛情を持った者にしか分からないこと。


簡単に吹っ切ることができるなら、緋彩が掴んだこの手は震えてなどいない。




「もう苦しまないで、もう悲しまないで。周りも、息子さんもそう思っているかもしれないけれど、苦しいのはエーダさんで、悲しいのもエーダさんです。どれほど言葉で説得されようと、息子さんへの愛情は簡単に変わるものじゃないでしょう?」

「……ヒイロちゃん…」




愛情が思い出に変わるその時がきたら、きっともう一度写真のように笑えるようになるから。






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