再会
一番驚いたのは、ダリウスの『さっき一緒に捌いたじゃん!』という台詞だ。緋彩は母親がボケてしまった祖父に『夕飯ならさっき食べたでしょ』と言い聞かせているところを思い出した。
あれがそうだったのかと呟いているノアを見たところ、認識が一致していなかっただけでボケているわけではなかったらしい。
「もぉーノア、倒した野獣放置するのやめてくんないかなー。何で俺が後始末しなきゃなんないんだよ」
「一緒に捌いてやったろ」
「何で上から目線?元々あんたがやるべきことでしょうが」
とりあえず、あの大きさの生き物をこの繊細な置物のような容姿をしているノアが倒した事実も、優しそうな顔して平気で捌くとか言うダリウスも、捌いた後どうするのかということも、全ての疑問が錯綜する。何の疑問から片付ければいいのか分からないが、ひとまず緋彩は確認事項をいくつか挙げた。
「あ、あの、その野獣ってさっきダリウスさんが抱えていた…?」
「そうそう!ノアったら、いつも自分が倒した野獣を放置していくもんだから、俺が片付ける羽目になるんだよ」
「だからいつも放っておけって言ってんだろ。時間が経てば腐って植物の肥やしになる」
ははん、とノアは何故か得意げだ。いいことしたとでも言いたいのだろう。性悪の上にちょっと頭が弱い。
腐る前なら小動物の餌になるとかふざけたこと言い出す前に、緋彩は逸れかけた話を戻した。
「あの野獣、大きな爪と牙ありましたよね?」
「ん?まぁ、そうだったね。爪は剥ぎ取るのにちょっと苦労したよ」
「私の心臓を貫いた爪…、あの野獣のような爪でした!」
「えっ?」
よく覚えているわけでもない。ましてや爪だけでそれが何なのか判断できるほど、緋彩は爪マイスターでもない。
けれど確かにあの爪には、どす黒い野獣の血ではない他の血が、その大きく鋭い爪に付いていたのだ。
「…私、あの野獣に襲われたんでしょうか…!」
「そ、それだったら尚更、命があるのがおかしいよ。傷もないんでしょう?あの爪に引き裂かれたら、心臓どころか人の原型留めるわけがな…あ、ごめんねヒイロちゃん」
「いや、大丈夫っす…」
緋彩はクラリとした頭を自分の手で支えた。平気な顔でエグい話をするダリウスがちょっと怖い。こういうワードはノアから発せられた方がギャップが少なくてまだ頷ける。
だがダリウスは自分の柔らかい雰囲気と発言に乖離があると自覚がないのか、緋彩を気遣いつつも表現をオブラートに包む気はないようだった。
「あの手の野獣は人間の血肉が大好物だからねぇ。百舌鳥の速贄のように爪でぶっ刺して丸のみするのが通というもんだよ」
「私は酒の肴ですか」
「というか、ノアが野獣を倒した時ヒイロちゃんのこと見てそうだけど」
見てないの?と問いかけるダリウスの視線に、ノアは感情の読めない視線を返す。興味の欠片もない目の色からすると、多分緋彩が同じ質問をしたら無視されていたことだろう。
だが、ダリウスが訊いてくれたお陰で、ノアは正直に答えてくれたのだ。
正直に。
「見たが?」
正直過ぎて苛立ちしかない。
「…へっ?」
しれっと言ってのけるノアに、さすがにダリウスの目も点だ。
ダリウスが振らない限りは会話に入ってこようとはせず、特別関心のない表情をし、人を痴女呼ばわりしておきながら、当然のように緋彩の姿を見たと言ったのだ。
「はっ!?な、なん…っ!?見た…って、え!?」
「そういえばお前だったな。直線的な身体が今一致した」
「失礼な照合!」
ふむ、とノアの表情に悪気はない。悪気がないのが一番失礼だとは思わないのか。
そして、衝撃的な事実がもう一つ。
「じゃあノアさんは、貫かれている私と倒した野獣を放置してここに帰ってきたってことですか?」
「それが何か?」
「それが何か?じゃないですよ。死んでるかもしれないと思っても、何かすることあるでしょう!心臓マッサージするとか、気道確保するとか、手を合わせるとか!」
「ヒイロちゃん、最後は完全に死んでるね」
「とにかく、傷ついた女の子を放っておくなんて信じられません!」
それが自分だったからとか女の子だったからだとか、そういうことではない。直前まで動いていた命を、まるで最初からなかったもののように見捨てることがあり得ないのだ。救うことは出来なくても、そのための努力をするのは人として当然の行いだろう。
それなのにノアは、そんな緋彩の訴えも虚しく、蔑んだ眼を流す。
「お前の価値観を押し付けるんじゃねぇよ。俺にお前を助ける義務はないだろ」
「あなたに私を助ける義務はなくても、人が人を救う義務はありますよ!もしノアさんが私と同じ目に遭ったら、あなただって人命救助を受けるんですよ!ダリウスさんから!」
「え、俺?」
だってその場にいるのが多分緋彩よりもダリウスである可能性の方が高いから。万が一緋彩だったとしても勿論尽力する。相手がこんなに最悪な人間だとしてもだ。
心底鬱陶しいと言っている目が、尚も緋彩には注がれ、それはさらにぐっと近寄ってきた。思わず仰け反ってしまうほどにそれは美しく、紫紺の瞳に驚いた緋彩の顔が反射する。
「てめぇの価値観を押し付けんなっつってんだろ。それに、お前は今ちゃんと生きてんだろうが」
「…っ」
凄んだ声よりも、野獣の爪よりも激しく刺し殺そうな視線よりも、ノアが言ったことが事実だということが何よりも恐ろしい。
言葉を失った緋彩に、ノアは畳みかけるように不敵な笑みを浮かべた。
「お前、何で今生きてると思ってんの?」
「────…はい?」