悲運の恩賞
緋彩は、え?という声を呑み込んだ。ノアの言ったことがもしかして独り言で、緋彩には聞かれたくないことかもしれないと思ったからだ。
だから先を急かすことなく、聞こえた言葉を振り返ることもなく、ただ聞き流すように余計な感情など入れず。
「俺の家系は昔不老不死の呪いを受けた。それは代々受け継がれるもので、それが俺の代まで続いている」
薪を一つ、炎の中に放り込む。
「両親は遠縁だったが、同じ呪いの血で繋がった同士で結婚し、俺が生まれた。呪いは不老と不死どちらも発現する者、どちらかが発現する者がいたが、父親は不死、母親は不老だった」
アクア族でもないのに不老不死だというのは考えてみればおかしかった。今まで不思議に思わなかったのは、ノアがあまり自分のことを喋りたがらなかったということもあるが、ある程度のことを器用にこなす彼なら、不老不死でもおかしくないという普通なら想像もつかない先入観があったからなのかもしれない。
実際は至極人間的な、普通の、ちょっと顔面が強すぎるただの人間なのに。
アクア族のように自ら望んでなったわけではない不老不死を、または完成には至らなかった不老不死の魔法を、ノアの家系は『呪い』と呼んだ。起源は魔法であるから、ラインフェルト家以外がそう呼んでいるわけではない。
ラインフェルト家に穿たれた呪いは、確かにアクア族が生み出した不老不死の魔法であったが、アクア族によって施されたものかどうかは明らかではない。史実としてはアクア族しか扱えないということになっているだけだ。
ただ、魔法として中途半端な状態で施された不老不死は、ラインフェルト家の血を未来まで穢すことになった。その血を受け継ぐ者、誰か一人が呪いを受け継ぐ。次の継承者が現れればそれまで呪いを受け継いでいた者は解放され、やっと死ぬことが出来る。
継承に法則性はない。外れくじを引いたように現れるのだが、不老と不死はあくまで対になっているため、継承者に不老だけが発現すると、不死を発現させた継承者がもう一人出てくる。不老不死どちらも背負った人間が一人、もしくは不老と不死別々に背負った人間が計二人、必ず存在していたことだけは唯一の法則性と言えようか。
こんな特殊な家系を、世の中は受け入れただろうか。
否、受け入れるはずなどない。ラインフェルト家は世間から疎まれた上、自ら望んで同じ血筋内で子孫を残していったのだ。
自分たち以外にこの呪いが広まることのないよう、粛々と。
「不老不死は今ではガンドラ教の奴らのように、変な憧れになっていることもあるが、元々は疎まれる存在。…そんな気味の悪いもの、当たり前だが」
ノアは自嘲気味に息をついた。
その点では、世の中は昔の方がいくらかまともな感覚だった。不老不死に憧れ、それをどうにか作り出そうとするなんて、正常な考えではないのだ。魔法を作り出したアクア族でさえ、法玉を作り、その恐ろしい現実から逃れる道を残そうとしたのだから。
「アクア族同様、ラインフェルト家は隠れるように生きていた。それが今のように不老不死が一種の憧れのようになっているのは正直喜んでいいのか嘆いていいのかよくは分からない」
生きやすくはなった、とノアは揺れる炎に視線を落とす。彼もまた、小さい頃は疎まれる世で過ごしていたのだ。
不老と不死の両親を持ち、そして十年前のあの日からは自らが侵され、逃げても逃げても追いかけてくる絶望をずっと抱えて。
「十年前、俺は老いなくなり、死ななくなった。代わりに両親は死んだ。怪我でも病気でもなく、忽然と命を止めた」
悲しい話なのかもしれない。
けれど、ノアは顔にも声にも感情を示さない。ただただ、台詞を読むように淡々と作り話でも読むようだった。
たった一度、
「────…やっと、運命から開放されたと言ってやった方がいいかもな」
そう言った時を除いて。
「……ノアさん」
炎越しに見えたノアの表情には、悲しみだとか苦しみだとか言葉に出来ない何かをたくさん含んでるような気がして、
今にも崩れてしまいそうな気がして、
「………何してんだ、お前」
「……え?あれ?」
緋彩は無意識にノアの横に座って、重ねた二枚の毛布の中に彼も丸め込んでいた。
ノアの声ではっと我に返り、まるで緋彩がノアを抱きしめているような格好になっていることに気が付いた。抱きしめるというにはあまりにぎこちなく、あまりに不格好で、熱いものに触れるかのような慎重さだったけれど。
「…あ、いや…その、さ、寒そうだったから」
「寒いのはお前だろうが」
「そ、そうなんですけど」
ノアの左側に座る緋彩は、彼の右肩に毛布を掛けていた手をさっと引っ込める。毛布は彼の肩に残ってくれたが、代わりに緋彩の左肩に掛かっていた毛布の方がずり落ちた。すうっと冷たい空気が入ってきて身が震えたが、二人の人間がこの毛布に完全に包まろうとするには、もう少し緋彩がノアに近づかなければならない。後数十センチ、距離を縮めることはできるけれど、ただでさえ近いと思っているこの距離をさらに縮めるなんて、冷静になった頭では身体を動かしてなどくれない。
そもそも何故こんなことをしてしまったのかとさえ反省しているところに、ノアの呆れたため息が降ってくる。
「…聞いてたか?」
「…な、何を…」
「今の話」
チラリと横に視線を上げれば、気怠い表情で炎を見つめたままのノアの顔がある。特別怒っているわけでも、ため息に反して呆れているわけでもないようだ。
「ご、ごめんなさい」
「何で謝るんだ」
「だって、聞いちゃいけないやつだったでしょ?」
「聞いちゃいけないやつを話すわけねぇだろ」
「へ?」
本当は狸寝入りでもして聞いてない振りだとか、耳を塞いで音を遮断したりだとか、そういうことをすべきだったと思ったのに、ノアは最初から緋彩が起きていると分かって話したようだった。盗み聞きをしているつもりだったので、話の感想は用意していなかったと緋彩は慌てた。
「ひ、独り言だったのでは…?」
「あんなに長い独り言言うかよ。どんだけセンチメンタルだ」
「わ、私に話してくれてたんですか?」
「お前が訊いたんだろ」
そういえば訊いた気がする。そうだっけ?と思うくらいにはノアは返答が遅すぎる。訊いた本人の緋彩も忘れかけていたくらいだ。
それにあんな話、緋彩どころか誰にでもしたい話でもないのだ。悲しみや苦しみのある過去を話したがるやつなんていない。それを話したと言うことは何かの気まぐれか、それとも自分では抱えきれなくなったのか。
「…ノ、ノアさんはやっぱり不老不死にはなりたくなかった…ですよね?」
「じゃなきゃ解呪方法なんて探ってねぇだろ」
「では…、ご両親を恨んでいますか?」
「……」
無言が、必ずしも肯定というわけではないかもしれない。けれど、ほんの少し眇めた彼の目が頷いているようで、そこに自己嫌悪すら感じられて。
両親にあたえられたと言ってもいい不老不死で、ノアはこれまでに何を感じたのか。何をしてきたのか。自分を疎み、傷つけ、蔑み、逃れられない運命を何度呪ったのか。────数知れない。
憎しみだとか恨みだとか、ないという方がおかしいし嘘だとすぐに分かる。それが当然の感情だと思うのだ。けれど、緋彩はそれを当然とは思っていなかった。いや、というよりは気付かなかったと言う方が正しいかもしれない。そんなことより、もっと先のものを見ていたから。
「ノアさんのお父さんとお母さんは、悔しかったでしょうね」
「!」
いつの間にかほんの少しノアとの距離を詰めた緋彩は、膝を抱えて、まるで見てきたような目をノアの視線と同じ炎の中に微睡ませている。
「悔し…?」
「だってそうでしょう?不老とか不死とか、どんなに辛いものか身に染みて分かっているのに、それを愛する息子に背負わせてしまうなんて、私だったら耐えられません」
「…………」
「きっと、自分たちに穿たれた呪いよりも悔しかったし、苦しかったんじゃないかなぁ、と思って」
まあ私に子どもはいないし、憶測ですけどね、と緋彩は眉を下げて微笑んだ。だがそれは、ノアには考え付きもしなかった憶測で、思いで、過去の感情で。
いつも鋭く尖っている切れ長の目をめいいっぱい開いて、ノアの瞳は炎ではなく緋彩の横顔を映していた。
「ノアさん?」
ふとノアの視線に気付き、緋彩は傾げた顔をノアに向ける。緋の色に染まったそれは少し熱を持っているようにも見えて、思わず冷やしてやりたくなるほどだ。
す、と伸びてきたノアの手は緋彩の視界の端を通り、ゆっくりと過ぎて、それから頬に添えられるように力を緩めて────……。
「うえっくしょいぃぃ!!」
「……っ……」
あと数ミリ、ノアの手がそれを捉える前に、緋彩の乙女らしからぬ大きなくしゃみが響いた。
「うぃ…、す、すみませ、人の目の前で…」
「………」
緋彩の頬の横でピタリと止まったノアの手は、行き場を失くしてそのまま固まっている。ノアは見開いた目で瞬きだけを繰り返して、まるで今夢から覚めたような顔をしていた。
「ノアさん?」
きょとんとした緋彩の丸い目に、ノアはパチンと弾けたように気が付き、深呼吸にも近いくらい盛大な溜息をついた。
「……ったく、お前は……!」
「へ?はい?すみませ……うわ!」
引っ込めた手で自分の髪をくしゃくしゃと掻き乱し、もう一度緋彩へと手を伸ばす。今度は彼女の細い肩を抱き寄せるように。集めた空気を逃さないように、柔らかく、包む。
「ノノノノノアさ……?」
「寒い。動くと冷気が入るからじっとしてろ」
「しししし承知!」
動けば殺すとでも言いたそうな目線に睨まれて、緋彩はビシッと敬礼をした。
冷気が入って殴られた。