昇格
「お、お、お、男…?」
「そう、ほら!」
「ぎゃあああ!」
「カイ、脱ぐな」
カイはシャツのボタンを外して惜しげもなく肌を晒す。フェロモンの量は一気に増えたが、その胸が板だったことは変わりなかった。
そして何度見ても醸し出すオーラは色気たっぷりだし、髪もツヤツヤロングの巻き髪だし、睫毛バッサバサのくるんくるんだし、唇はプルンプルンの肉厚だし、どの角度から見ても隙のない女性だ。
「な…なん…何で…?」
「何でと言われましても。おとーさんとおかーさんが男に産んでくれたから?」
「な、なるほど」
的確な答えだ。だが、そういうことではない。求めている答えではないとカイも分かってはいたのか、頬杖をついた顔に不敵な笑みを浮かべて続けた。
「何で女性の格好してるかっていうことだったら、お仕事よ」
「お仕事?」
「嘘つけ。趣味だろうが」
「失礼ね、ノア。半分お仕事、半分趣味よ!」
カイはぷんすか腹を立てるが趣味が半分を占めている時点で充分おかしいことに気が付いて欲しい。いや、緋彩はグローバルな視野の持ち主でありたいと思っているし、偏見とかそういうのはないけれど、カイは特別女の心を持っているだとかそういうことではないらしく、これは女装であるのだ。
「お、お、お、お仕事というのは?」
「え?あ、もしかして、知らされずにノアにここに連れて来られたわけ?第一、ヒイロはノアの何なのかしら?」
カイはきっと緋彩をノアの付き人か何かだと思ったのだろう。今までの仕打ち、荷物を運ぶパシリのようにしか使われていないので強ち間違ってはないのだが、何と訊かれたら答えに困る質問だ。緋彩は暫し考えて、そのうちいい答えが見つかったと顔を輝かせた。
「仲間ですね!」
「……………」
ノアの表情が一瞬で青汁を飲んだ時の様なものに変わった。反対にカイはおっ、と顔を綻ばせ、茶化すようにノアに肩を寄せた。
「ノアに仲間!世界は滅びたりしないわよね?」
「うっせぇ。誰が仲間か」
「あれ?違う?」
ノアは引っ付いてくるカイを押し退けながら、緋彩にガンを飛ばしてくる。そんなにお気に召さなかった答えだっただろうか。だが、そんなこと言われたって、他に何と答えればよかったのか。緋彩が違う答えを探して考えあぐねて居ると、ノアがボソリと呟く。
「お前なんかペットで充分だ」
人間としての尊厳がない気がするが、それでもノアが誰かを引き連れているというのは余程珍しかったのか、吐き捨てるように言ったノアをカイはニヤニヤと見ていた。
「んもうー、ノアったら天邪鬼なんだからー!いくら何でもペットは失れ」
「ペットに昇格ですか!」
「……………え?ヒイロ?」
ぱあっと顔を輝かせた緋彩に、カイも、言った本人であるノアまでもギョッと目を見開いた。
「いやー、仲間とは言いましたけど、実際ノアさんは私のことなんて荷物持ちとか耳掻きくらいにしか思ってなかったと思ったので!」
「耳掻き」
「ペットってことは少なくとも餌貰えるし、散歩連れてってもらえるし、愛でてくれるんですよね?昇格、嬉しいです!」
「…………」
ホクホクした顔の緋彩に、ノアもカイも呆れのようなドン引きのような表情を禁じえない。自分への過小評価が激しすぎるのか、ノアへの印象が悪すぎるのか。
戸惑いながらも、後者だと判断したカイは、ノアに厳しい目を向けた。
「ちょっとノア、こんな可愛い子に一体何をしてきたのよ?こんなにも自分を貶めるようなことになるのはあなたの責任でしょう?!」
「はあ?知るかよ!だが耳掻きとはいい例えだ!」
「ありがとうございます!」
褒められた、と緋彩はビシリと敬礼する。
カイはどっちどっちだと、説教することを諦めた。そして、さっさと本来の目的を済ませようと、胸ポケットから何やら紙切れを取り出した。
「あんたらの仲がいいのはよく分かったわ。だったらこれも、二人で行くんでしょ?」
「?」
カイは長い指ですっとノアの前まで滑らせる。疑問符しか浮かばない緋彩に対して、ノアは何の戸惑いも見せずその紙を指で掬って広げ見た。
緋彩の位置からはそこに何が書いてあったか見えないし、辿り着いた見えたとしても読めやしない。大人しくノアが教えてくれるのを待つしかないが、この飼い主は多分、待てのまヨシをくれそうになかった。ペットにしては頭のいい思考を巡らせた緋彩はカイを見た。
いかにも中身は何のか訊きたい目で見られたカイは、チラリとノアに目配せして、話してもいいかとお伺いを立てる。勝手にしろ、という視線が返ってきて、カイはポケットからもう一つ何かを取り出した。
それは、多分名刺。
「ヒイロ、私はね、情報屋なの」
「情報屋?」
名刺には多分名前が書いてあるのだろう。ただ、恐らく名前のみ。仕事内容も連絡先も書いてある様子はない。職業柄、言い触らすものでもないのだろう。
分かるような分からないような表情をした緋彩に、カイはそう、と頷いた。
「客層は限定しているんだけど、お客様になった人には要求されたものはどんな情報だって売るわ。一般家庭の今日の晩御飯情報から裏社会のアブナイ情報まで」
「は、はあ…」
「普通はある程度私が査定して、気に入った人しか客にはしないんだけど、ノアのペットということで、ヒイロは特別に無条件でお客様にしてあげる。欲しい情報があったら何でも言ってね!」
バチンと音がしそうなウインクが胸に突き刺さる。すごく魅力的だ。いや、男だけど。
ノアが横でこいつ金持ってねぇぞ、と注釈を入れると、カイは一瞬さっと冷めた顔色を見せたが、すぐに立ち直ってノアの肩に手を置き、飼い主さん、と声を掛けていた。ペットのお世話は飼い主の役目だ。
「まあ、そういうわけで、私は色んなところに潜入することが多くてね。顔を覚えられちゃまずいから、女装とか変装とかいろいろするわけよ」
「そういうことでしたか。では今回はノアが何かを依頼して今日ここで待ち合わせしたということですか?」
「そう。まあ、私も気になっていたことではあったから、ノアが動いてくれるなら無料でもこの情報を渡して良かったんだけど」
そう言ってカイがチラリと視線をやったノアは、二人の話など聞こえていないように、カイが渡した紙を神妙な顔つきで眺めていた。そして、暫く無言でそうした後、紙をポケットにねじ込んで、残っていたグラスの中身を飲み干した。
「行くぞ」
「えっ、もうですか!?私ちょっとお手洗い行きたいです!」
「…………」
「そこの突き当りを右よー」
「あ、はい!ノアさん待っててくださいね!?先行かないでくださいね!?」
こうして念を押しておかないと捨てられるに決まっている。念を押したところで捨てられるときは捨てられるのだろうが、今はカイがいるからどうにか止めてくれるだろう。そう願って、緋彩は部屋の奥の方へ急いだ。