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強制ニコイチ  作者: 咲乃いろは
第十二章 呼び合う音
206/209

変化

イスブルクの崖とは、その名の通り崖だ。断崖絶壁という表現がこれ以上似合う場所はないだろうと言うほどの。

雪と風が吹き荒れ、不安定な足場は少しでも踏み外せば闇に呑み込まれる。仄暗い崖の下には、きっと数えきれないほどの骨が積み重なっていることだろう。

晴天の空の下でもこんな場所を歩くのは危険を極めるというのに、この天候の中で歩こうなど自殺行為だ。とてもじゃないが、結界なしではどんな強靭な身体の持ち主でも不可能だろう。


「良かった。ヒイロの魔力はやっぱりこの天候でもちゃんと効いているみたいだ」

「ヒイロちゃんに魔力があったこと自体驚きなのに、まさかこんな強力な質の持ち主だったとはね」


クラウスとローウェンは慎重に狭い道を歩きながら、たまに少しだけ後ろを振り返る。数メートル離れたところに緋彩とノアがいるのだが、様子を気にしているのは主に緋彩の方だ。

先程から確実に口数が減っている。


「大丈夫かな、ヒイロちゃん」

「カラ元気も出せないくらいなんだろうね。…当たり前だよ。ここまであれだけ元気だったのが不思議なくらいだ」


クラウスは痛ましそうに目を細めた。自分の身体も辛いのに、緋彩はそれ以上だと想像しているのだろう。


「アクア族のところまではあとどのくらいなのかな?急がないとヒイロちゃんの方が先に限界を迎えてしまう」

「僕も明確な場所までは知らない。この道が突き当たるところまでだってロイに聞いてただけなんだ」


ほんの数メートル先は吹雪く雪で覆われていて、その距離があとどれくらいあるのか見通しがつかない。何時間かかるのか、何日かかるのか、何週間かかるのか。もしかしてもっと果てしない時間だったらと思うと、気力さえ奪われていく。

クラウスだってあとどれくらい魔法を使っていられるか分からないのだ。途中で魔力が尽きてしまう最悪の事態だけは避けたい。





「近い距離までは来ているはずだ。ヒイロが感じる声が大きくなっている」

「ノア」


いつの間にかノアはローウェンたちのすぐ後ろまで来ていた。肩口でくったりとしている緋彩に少し目線を滑らせた後、真っ白に覆われた先を睨む。


「さっさと行って、ヒイロに何を訴えてるのかぶん殴って吐かせるぞ」

「今そういう話だったっけ?」


毎日のように喧嘩している相手がこんな状態で暇でもしているのか、ノア様は苛立ちを募らせているようだった。怒れるノアに何を言っても危険なだけだとローウェンとクラウスは多くは言わなかったが、二人で目を見合わせて肩を竦めた。














***














幸運にも日が暮れ始めた頃、吹雪きを凌げそうな洞穴を見つけた。四人が身を寄せ合ってやっと横になれるくらいの小さな場所だが、ないよりは全然いい。そこにいる間は入口にだけ結界を張ってしまえば、緋彩の魔力を使わずともいいし、そのくらいであればローウェンの魔法でも充分機能する。




「ノアは疲れてない?」


ローウェンは温めた湯を差し出しながら、ノアにそう問うた。返ってくる返事なんて分かっているけれど。


「歩いてるだけで疲れるわけねぇだろ」

「歩いてるだけじゃないでしょ。力の抜けきった人一人抱えて歩いてんだから」

「棒切れのような身体抱えても荷物の方がまだ重いわ」

「あ、そう」


意地を張っているわけでも強がっているわけでもなく、本当の感想なのだろうけれど、全く疲れていないということではないだろう。少なくとも緋彩を抱えていた腕には少なからず疲労が溜まってきているようで、肩を回したりしている素振りも見せていた。


「ヒイロちゃんもそうだけど、そろそろクラウスもしんどそうだね。ここについたら気絶するみたいに寝ちゃったし」

「こいつはお前が抱えるとしても、気を失われたら結界は張れなくなるからな。ここで出来るだけ回復できればいいが…」


ノアは横で寝ている緋彩とクラウスに目を向け、緋彩の方は乱れていた夜具を雑に整えてやる。眠ってはいるが深くは眠れず、何度も寝返りを繰り返しているようだった。

気温は低いのに、額に滲む汗はきっと悪い夢を見ているのだろう。アクア族に近づく度頭痛は酷くなっていたようで、抱えていたノアの背中は火でも焚いているのかというほど熱かった。今首筋に触れてみてもその体温は下がっていない。


「ん…」


触れた感触に気が付いたのか、緋彩からは小さな声が漏れる。起こしてしまったかとノアはすぐに手を退けたが、きつく閉じられている瞼は持ち上がることはなかった。

起こしたわけではなかったかとノアが安心するように息をつくと、開かなかった瞼の代わりに小さな口が僅かに開く。

息をするような、小さな小さな声が空気に滲む。






「ノア、さ……」






掠れて、苦しそうな泣き出しそうな声。

何が辛いのかと訊くのも憚られるような、聞いているこちらの方が胸を傷めるような声。






「ヒイロ」






起こしてやるべきか、このまま寝かせておくべきか迷うところだ。

ノアは首筋に触れていた手を滑らせ、そっと頬を覆うように彼女の顔を包む。これで起きるんなら起きればいい。そう試しているようだった。




「ノアさ……、いや、……」




寝言なのか、魘されているのか、苦悶の表情で呟く中には必ずノアの名前が入っている。



そこに、ノアがいるのだろうか。

そこにいるノアは、一体彼女に何が出来ているのだろうか。



どうかこれ以上、苦しい顔などさせないでくれ。












「ヒイ────…」

「い、いや…ノアさん…、お願いだから前歯だけは残してくださいいいいいぃぃぃぃぃ」












緋彩の中で一体何があったというのか。

ローウェンが何か声を出そうとしたのを、自分の手で必死に押さえている。笑いたかったのかフォローしたかったのかは定かではない。緋彩が起きていたのなら、是非青筋を浮かべる彼を宥めてほしかっただろう。


「…………………」

「……出来れば奥歯も残し…て……」


聞き取れるか聞き取れないかくらいの活舌でそう呟いて、緋彩はそのまますぅっと落ち着いた寝息を立てだした。


「…………………」

「…えぇっと…、ノアさん?大丈夫ですか…?」


固まって動かないノアにローウェンは恐る恐る声を掛ける。緋彩を心配していただろうに、虚しさに触れる手が何とも可哀相で仕方ない。

するとノアは、優しく触れていたはずの手に思いっきり力を込めて、よく伸びる頬を限界まで引っ張った。瞬間、緋彩はさすがに飛び上がるように目を覚ました。


「っっっっ!!!??!?痛っ!!???!!」

「くそが」

「!?」


何が何だか分からないまま悪態をつかれ、緋彩は何十もの疑問符を浮かべて何故だか痛い頬を擦った。ローウェンに説明を求める目線を流しても、困ったように笑うだけだった。













***














一通りの喧嘩を終えて、再び寝入った緋彩に無感情とも言える紫紺の双眸が落ちる。

少し腫れた頬、それよりも上気して赤い顔。穏やかに眠っているようには見えても、時々その表情は苦悶に歪められる。

その度に彼の手は宥めるように、熱を吸収するように緋彩の頭に触れる。





「そんなに心配なら意地悪しなけりゃいいのに」

「……ほっとけ」





素直じゃないなと笑うローウェンに、ノアは鬱陶しそうな目を向けた。

とは言っても、これでも彼は随分と素直になった方であるとローウェンは思う。以前のノアなら心配などしていないと反論していたはずだ。


「放っておけないよ。ノアがヒイロちゃんに翻弄さているの見るの楽しいもん」

「誰が翻弄されてんだよ。ふざけんな」

「だって今ノアがヒイロちゃんに向ける感情は、僕が君たちとつるむようになった時から見ても変わっているでしょ?」

「…………」


以前の彼なら、即行で否定しているところだ。伏せた目が逡巡しているだけでも変わってしまっているのだ。





「彼女の…ヒイロちゃんのどんなところに惹かれちゃった?」





以前の彼なら、そんなことを訊いたら下らないと無視されているところだ。










「……さあな」










否定もしないところを見ると、彼は確実に翻弄されている。






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