昔の友達
アクア族は、たとえ魔法は使えなくとも圧倒力と言える魔力を有している。
勿論、魔法の始祖とも言えるアクア族が魔法を使えぬなんてことは普通ないのだが、それはアクア族が皆アクア族として育てられるからだ。どんな才能を持ち合わせていようと、使い方を知らなければ、才能はあってないようなものである。
その最たるものが緋彩なのだと、クラウスは言った。
「私、に、魔力が…?」
「アクア族の魔力は特殊で、互いの意思を交わせると聞いたことがある。龍の魔力が最も強い種族だからって」
「アクア族が龍と意思を交わせることと同じことってこと?」
訝し気な表情のローウェンにクラウスは軽く頷いた。
「だと思う。詳しいことは僕も分からないけど、その魔力は普通の人間の魔力とは違って、少しの量で膨大な魔法を生み出せる。魔力による意思疎通は、実際に出来るとは考えられないほど魔力を使うから、物理的に普通の人間には不可能。アクア族の魔力はそれができてしまうんだ。僕は単純に魔力が大きくて、それを上手くコントロールしながら使っているだけなんだけど、アクア族は、魔力量に加えてその質もいい。さらに技術も兼ね備えているから、魔法に関して世界最強だと言えるんだ」
「それでアクア族は龍と会話が出来るのか。…妙に詳しいな?」
ノアも感心しそうな知識は、同時に疑問も発生する。クラウスが同じ年代の子どもより博識で大人びていることはもう承知の上だったが、それにしても謎に包まれているはずのアクア族について、これほどの情報を知り得ていることは驚きと不審を膨れ上がらせる要因となる。
ノアは無遠慮にクラウスに不審な目を向けるが、クラウスは予想していた態度だとでもいうように軽く肩を竦めた。
「そりゃこんな事実、どこの文献漁っても書いてないだろうね。…直接アクア族から聞きでもしない限り」
「…直接、だと?」
「そう、直接」
特に隠すつもりもないのか、まるでそこを掘り下げてくれとでも言うような口振りに、ノアは苛立ちながらもクラウスの煽りに乗った。そしてクラウスは、昔話をする年寄りのような表情でぽつりと零すのだ。
「僕はこの国に味方なんていなかったけどさ、何もずっとそうだったわけじゃない」
ずっとずっと、昔の話をするように。
この場にいる誰も生まれていない、日本で言う戦時中の話をするみたいに。
実際は、どんなに遡ってもクラウスの齢より昔のことであるはずはないのだけれど。
「────…友達がいたんだ。アクア族の」
過去形の言葉、その表情、懐かしむような声。確認の必要もなく、その友達はもうここにはいないと分かった。
アクア族にいい思いを抱いていないと言っていた彼の、少し掠れた声はとても苦しそうで。
「友達…?」
「同じ国に住んでるんだ。何もおかしなことはないよ、ヒイロ」
「それは…、そうだけど」
確かにクラウスは何もおかしなことは言っていない。アクア族は何もイスブルクの崖にだけ住んでいるわけではないし、ましてやエリク国だけに存在しているわけでもない。正体を隠したり、隠さなかったりしてひっそりと暮らしているだけなのだ。友達になった人間がアクア族だった、なんて宝くじを当てるくらいの確率なのかもしれない。
「おかしいのは周りの大人たちだよ」
「……何か、あったの?」
少し低くなったクラウスの声に、緋彩は恐る恐る訊ねた。訊くなとは言われていないのに、深掘りするのが憚れるくらいに、彼を纏う空気は不穏なものだったからだ。無邪気な笑顔の中に潜む少しの怒りと、少しの嫌悪。
それから、少しの悔恨。
男の子の友達だったと話し始めるクラウスに、話す躊躇など見えない。もし彼の前に何か戸惑いがあるとするなら、それはきっと思い出すことへの苦しさだ。
「彼は僕の一つ上…いや、不老不死だったら本当はもっと上の齢だったかもしれない」
「不老不死かどうかは知らなかったの?」
「まぁ…、聞いたところで何か変わるわけでもなかったし、興味はなかったからね」
その友達は、大人びたクラウスとよく話が合ったという。だからもしかしたら不老不死で、彼はもっと人生経験豊富な人間だったのかもしれないと、クラウスは今更ながらに言った。だが当時はそんなこと気にならないくらいに友達と過ごす時間が楽しくて、嬉しくて、絶望的な毎日を癒すひと時で、とてもとても大切だった。
まるでそれがクラウスの命だと思うくらいに。
「アクア族のことは彼から聞いた。魔法のこととか話しているうちに、向こうから話してくれたんだ。いつかアクア族がいなくなってしまう時、歴史が埋もれるようなことがあったらいけないからって」
それは子どもには重すぎる使命だっただろう。
何故友達は、子どものクラウスにアクア族の歴史を託すことを選んだのだろうか。小さな身体では背負いきれないことくらい分かっていただろうに。
だがクラウスがそれを荷と思っていたかどうかは分からない。大切な友達の、たった一人の味方の、震えるような声を聞いて、それを荷物だと思っただろうか。
「それを聞いた時は、正直意味が分からなかった。内容も、何故それを僕に話すのかも。…けど、後で気付いたんだ。彼は僕の前から姿を消すつもりだったんだって」
「…何処かへ行ってしまったの?」
「………」
半ば確認だった緋彩の疑問に、クラウスは僅かに目を細めるだけだった。それは肯定であるし、否定でもある。未だに彼の中で決着のついていない問題だった。
答えられないものに返事をする必要はないと、緋彩は即座に質問を取り下げようとしたが、それよりも早くクラウスが返事の代わりに息のような笑いを零した。
「彼が何故いなくなってしまったのか、大方予想は出来てる。だってずっと一緒にいたんだ。彼のいい所も悪い所も、喜びも悩みも全部聞いていた」
彼が遠くない未来、きっと一人ぼっちになってしまうことも。
「その友達は、自分の意思でいなくなったわけではないってこと?」
「だと思うよ。今となっては確かめようもないけれど、彼は同じアクア族であるはずの家族からも疎まれていた。居場所がないから、僕のところに来てたんだ」
「…家族からも…?」
居場所がない者同士、自分たちの居場所を自分たちで作った。自分たちだけがいる空間が自分たちだけの居場所だった。居心地がよく、離れがたく、一生をここで終えてもいいと思うくらいに。
「彼が不老不死だったかどうかっていう質問だけどね、ヒイロ。多分彼は不老不死だった」
「え?」
「確認はしていない。けれど、だから彼は家族から疎まれていたんだと思う。だから…、僕はアクア族が嫌いだ」
「…不老不死で…、家族から…?」
何処かで聞いた話だ。
「アクア族は全員が不老不死だっていうわけじゃない。魔法で不老不死になる者や、遺伝、そして遺伝であれば先天性、後天性、普通の人間みたいに寿命を迎えて死んでいくものだって少なくない。昔は不老不死のアクア族が多くて、決して珍しくなかったんだろうけれど、ここ最近は不老不死の者が忌み嫌われるくらいで、それどころか恐れられる存在にまでなっていたらしい」
それが、たとえかけがえのない家族だとしても。
自分がそうなってもおかしくないというのに。
「……待って、クラウス…」
「…何?」
声を震わせる緋彩に、思いの外冷たいクラウスの返事が返る。
友達を苦しめたアクア族への憎しみが残っているのか、緋彩がそのアクア族だと思っているからか。
だが今はそのどちらでもいい。
今緋彩には、確かめて彼に伝えなければならないことがある。
「そのお友達の名前、何て言うの…?」
そうであってほしいのか、
そうでなければいいのか、
「ロイ」
彼が散っていった姿が忘れられない。