眠る力
夜が明けると、天候は激しさを取り戻していた。それでもまだ建物の中にいれば結界を張らなくてもどうにかなる程度ではあるが、この分では悪化する一方だろう。
「ヒイロ、よく聞いて」
横たわる緋彩に近づいて、クラウスは真っ青な顔を覗き込みながら声を落とす。震える瞼が僅かに開き、熱い息を繰り返したまま緋彩はコクリと頷いた。
それを確認したクラウスは、言い聞かせるように先を続ける。
「君の頭痛の原因は、アクア族。そうだね?」
「……、アクア、族、が、助け、て…って」
「だったら直接アクア族に会って、その声の原因を突き止めないと多分君はずっとそのままだ。だから、これからアクア族に会いに行く」
緋彩はまたコクリと頷く。昨夜ノアにもそのことは聞いているから覚悟は決まっている。最初から迷うことなんて何もなかったけれど。
ただ、気持ちはそうでも身体は言うことをきいてくれない。目が光を受容することすら頭に響くのだ。誰かが負ぶってくれたとしてもこの天候だ。耐えきれる自信はなかった。
するとクラウスは、緋彩の気持ちは分かっているとでもいうように、大丈夫だと呟いた。
「実際、イスブルクの崖は僕の結界を以てしてでも皆を守れるか怪しい。あそこを抜けるには、アクア族くらいの魔法力が必要なんだ」
「…アクア族、の、魔法、力…?」
「そう。アクア族は世界トップクラスの魔法の使い手だ。実際にイスブルクの崖で生存出来ているということは、彼らの魔法力があればこの天候にも耐えきれる」
「で、も」
「そこで、君の出番だよ、ヒイロ」
煽ったような、心配したような、期待しているような、労ったような、どう受け取っていいのか分からない笑みでクラウスは微笑んだ。
「君の魔力を使うんだ」
驚く体力が残っていたらしい。
緋彩は声さえ上げないものの、めいいっぱい目を開いて混乱を滲ませた。予想だにしていない提案にも程がある。クラウスの魔力でも難しいというものを緋彩が、いや、そもそも緋彩に魔法など使えるわけないし、魔力なんてあるわけがないのだ。そういえばクラウスには緋彩が異世界から来た人間だということを言っていない。だからそんなぶっとんだ考えが浮かぶわけだ。
そうだ、そういうことだと釈明しようとしたが、それを説明するには話が長くなりそうだ。誰か代わりに話してくれないかとノアとローウェンに視線をやったけれど、彼らは共に神妙な表情をしたまま緋彩を援護する気はなさそうだった。それどころか、クラウスの提案に動揺していないところを見ると、最初から聞いていたようにも思える。
「私の、魔力、って…、私は…」
「知ってる。魔法は使ったことないんだよね?何も君に魔法を使えと言ってるわけじゃないよ。そんな身体でさらに無茶させようとは思っていない」
「そうじゃ、なく、て」
無理でも無茶でもそれでどうにかなるのなら最初からしている。問題はクラウスにも出来ないことを緋彩が出来るわけがないということだ。アクア族程の魔法力がなければ、事態はどうにもならない。
訴えたいのに頭の中の声が邪魔をする。声も息も体力も続かない。首を横に振ることしかできなくてじれったい。
けれど、それでもクラウスは大丈夫だと繰り返した。
彼にはそう言える理由があったのだ。
確信が。
「君はアクア族でしょ、ヒイロ」
「────────…、」
赤が滲む瞳が、大きく揺れる。
そこには泣き出しそうなクラウスの顔が反射していた。