呪いの魅力
「不老不死というのが、他人にはどれだけ魅力的に映っていると思う?」
彼の声から感情は読めないが、少なくともポジティブな話をするような雰囲気ではなかった。適当な考えで突っ込みが必要な答えを出すわけにもいかず、緋彩はただ口を引き結んだ。単に、答えが分からないということもある。不老不死を魅力だと思っている人の気持ちは分からなかったから。
黙る緋彩に向けたノアの視線は、軽蔑のようにも気遣うようなものにも見える。本人に明確な意思などないのだろうが。
「…生き物は、特に感情のある人間は条件反射で死に恐怖する。理由がなければ死を望むことなどないだろう?それは生まれながらに持っている恐怖からくる、”死にたくない”という感情だ」
「そう…ですね…」
「であれば、単純に望むものは永遠の命だ」
ノアは人差し指と親指で掴んだティースプーンでカップの中をかき混ぜる。ストレートで飲んでいるし、もう殆ど残っていないから意味はない。赤茶色の水面に映った彼の顔が小さな渦に呑み込まれていく。
「冷静に考えれば分かることだ。永遠の命なんて何も魅力的なんかではない。苦しもうが痛がろうが望んでも死へという逃げ道を許されない。分かっていることなのに、人は浅はかで欲深いから、考えなしに永遠なんて望む」
「…ノアさん…?」
珍しく饒舌。それも違和感ではあるのだが、彼の表情が、彼の声が、彼の空気が、いつもより重い。
緋彩に話しているようで、不特定の誰かに訴えているようにも見え、ノアが今どこを見ているのか分からなかった。
「不老だということは、一歩一歩近づくはずの死までの距離が縮まらないということ。そして不死というのは、そもそも死というものを持たないということ。それが羨ましいという人間は、この世にごまんといるんだよ」
「それ、は…、私のことを羨ましいと思っている人がたくさんいるということですか…?羨望の眼差しを受けていると…?」
「…………」
ノアの表情から熱が冷めた。的外れな発言だったみたいだ。
だがノアは茶の最後の一口を飲み干すと、間違いではない、と言った。
「俺の持つ不老はともかく、お前の不死は一部の人間にとっては狙われるものだということ、忘れんなよ」
「狙われ…!?」
「アクア族にしても不老不死の呪いにしても、今や認知度は低くなったが、存在が消えたわけじゃない。実在するものだと分かれば手に入れたいと思う奴はいるってことだ」
「て、手に入れて、どうするんですか?」
「さあな。良くて不死になった方法の追及で拷問、本当に不死なのか確認されるというところだろうな」
「わ、悪くて…?」
「臓器移植で他の個体も不死になるのか人体実験」
「ひぃぃぃぃっ!」
「吐くなよ?吐くなよ!?」
世の中にはなんて悍ましいことを考える輩がいるんだ。不老不死とは魔法であって呪いである。人間の身体自体が特別ではないというのに、無知はそこに希望を見い出すのだ。死という絶対の恐怖の裏側で生に対する探究心はそこはかとなかとなく強い。感覚が麻痺するほどに。
緋彩は再び襲ってきた気持ち悪さを水で流し込んで、途端に鋭い目つきで周りを見渡す。そうして見てみればあれもこれも怪しく見えてくるのだ。あの男女も、あのギャルも、あの家族も、隣の老夫婦も、みんな死への恐怖と不死への憧れで侵されているのではないかと。
そんな疑心暗鬼に駆られると、ふと気が付くことがあった。
「あ」
「あ?」
さっき、水を注ぎに行く際、ノアは緋彩を一瞬止めた。すれ違ったのは表情の見えない男性だ。
「もしかしてさっき止めたのは、あの男性が怪しかったからですか?あの人そういう人ですか?」
「…疑念に囚われすぎるな。確かにあの男は嫌な雰囲気だったから用心したし気を付けろとは言ったが、あまり気にしすぎると精神を病むぞ」
「ええっ、じゃあどうしろって言うんですかー」
「そういう人間を見分ける目を養え。そしてそいつらには近づくな」
「そんな無茶な!」
緋彩に備わっている目など人の髪の毛が本物かヅラか一瞬で見分けられるという迷惑な能力くらいだ。教頭のヅラを見抜いた時なんか、『家族にもバレたことないのに!!』と涙声で怒鳴られた。申し訳ないことをしたと思っている。
「まぁ、安心しろ。そういうものに染まっていけば、嫌でも分かるようになる」
「それは安心していいことなんでしょうか」
危機感を養うことは大事なことだけれど、悪いものには染まりたくないとも思う。