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強制ニコイチ  作者: 咲乃いろは
第十二章 呼び合う音
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白の中の青

「冷えてきましたね」


緋彩は上着の襟を手繰り寄せて服の中に冷気が入るのを妨げた。足を進める度、どんどん気温は落ちていき、風が触れるだけで肌がピリピリと痛む。厚めの上着とマフラーと手袋をつけて完全防備している状態でも防寒着として機能しているかどうか怪しいくらいだ。

ローウェンがたまに予め温めておいた湯を飲ませてくれるが、それでも身体は冷える一方だった。


「ヒイロちゃん、大丈夫?唇真っ青だよ」

「はい。今のところはまだ…、…あ、」


緋彩はプールで唇が紫になるタイプだ。そういえば小学生のあの頃は、あまりの顔色の悪さに周りに相当心配されたなぁ、なんて懐かしんでいると、視界にちらりと白く舞う結晶が入り込んでくる。





「雪だ」





広げた手のひらに落ちた瞬間、僅かな冷たさを残して消えていく。一つ目が消えれば二つ目が落ち、二つ目が消えれば三つめが落ちる。繰り返す儚い過程は、だが確かに冷たさを積み重ねていった。

空を仰げば濁った雲が密集している。どうりで昼でもあまり明るくないし、太陽が顔を見せない訳だ。

ほろほろと落ちてきた雪は徐々に数を増やし、視界を白く埋めていく。吹雪くとまではいかないけれど、地面を染めていく程度には天候が悪化していった。

それはある意味エリク国に着実に近づいている証拠ではあるが、これはまだほんの序の口。今まで雪が降っていなかったことが不思議なくらいだとローウェンが言っているところを聞くと、エリク国の自然環境の悪さの影響は広範囲に渡っている程らしい。


「これから雪で足元が悪くなる。気を付けろよ」

「そんなぁ、子どもじゃないですし大丈…あ痛ー!?」

「言わんこっちゃない」


先頭を歩くノアが忠告してくれたのにも関わらず、緋彩は直後につるりと足を滑らせて尻餅をつく。まだ路面が滑る程積もってはいなかったのに、このタイミングで転ぶとはどういうことだ。口にはしなくてもそう目で訴えてくるノアに、緋彩はこっちが訊きたいという目線を返しながら、自分が転んだ地面に目をやった。

局地的にすごく雪が積もっていたのか、雪で凍ってしまった石でも踏んでしまったのかとも思ったが、そこにあるのはそのどちらでもなかった。


白に良く映える、鮮やかなコバルトブルーの物体が、そこにはあった。


緋彩はこれに躓いてしまったらしい。



「?」



最初、それが何なのか分からず、恐れながらも触ろうとしてそこに手を伸ばすと、コバルトブルーは何やらもぞりと動き出した。

柔らかく、ふわりとした感触が指を掠める。


「っひ!?」

「馬鹿、迂闊に近づくな」


手を引っ込めるのと同時にノアが緋彩の襟首を掴んで引っ張る。何かが触れた手を確認してみたが、どうともなっていなかった。噛まれたり舐められたりしたわけではなさそうだ。

飛び出さないように制止するようなノアの腕の後ろに隠れ、コバルトブルーの物体の様子を見守っていると、やはりそれはもぞもぞと動いているようだった。何かの獣か。動物か。

空から降り注ぐ雪に埋めらてしまう前に、それはガバリと大きく跳ねあがった。




「っあーーー!びっくりしたーーー!!」

「っ!?」




水中から顔を上げたかのようにプハーッ!と息をしたそれは、頭があって顔が合って首があって胴体があって手足もあった。見る限り、人の形をしているような気がする。


「…………人…?」

「人だろ、どう見ても」

「人だね、どう見ても」


ぽかん、とした緋彩にノアとローウェンが同時に突っ込む。どうやら変な生物だと思っていたのは緋彩だけだったようだ。分かってるなら最初から言っておいてほしい。

コバルトブルーの色は頭の色だったようで、細い髪の毛がクルクルとパーマをかけたように踊っていた。ついでに丸く大きな瞳も青。髪の色より少し暗くて濃い、海底のような色だ。きゅるんとしたその目を瞬かせて、小学生くらいに見えるその男の子は、小首を傾げて三人を見た。


「だれ?あやしい人間、きっとわるいやつ!」

「そりゃこっちの台詞だ。刻むぞ」

「ノア、大人げないからやめなさい」


キン、と剣の鍔を弾いたノアをローウェンが冷静に宥める。男の子に悪気はないようだが、可愛い顔をして大胆なことを言ってのける子どもだ。

気の短い大人は置いておいて、緋彩はできるだけ刺激しないように男の子に近づいて微笑みかけた。


「ぼく、迷子?どうしてこんなところで倒れてたの?」

「わ、あやしいペチャパイ!」

「…………」

「ヒイロちゃん?君も落ち着いて。この子は自分の心に正直なだけなん…痛ぁ!?」


笑顔のまま額に青筋を浮かべる緋彩に、またもローウェンが宥めるが、全くフォローになってない。寧ろ火に油を注いだようで、こめかみの髪の毛を数本抜かれた。

しかし、こんなことで腹を立てていては話が進まない。悪意のない暴言には目を瞑り、緋彩は仏の心で男の子にもう一度目線を合わせる。


「怪我、ないかな?痛い所は?」

「ないよ」

「そう、よかった。キミ、名前は?」

「ひとに名前をきくときはまずじぶんから!」

「………すみません。雨野緋彩と申します」

「ヒイロ。ぼくはクラウスだよ」


クラウスと名乗った少年はにこやかに片手を差し出す。緋彩が小さなその手をおずおずと握ると、ぎゅっと掴まれてブンブンと振られる。露骨で少々失礼な子どもだが、その分素直で愛想のよい少年だった。それでいて何処か大人びていて、純粋そうに見える深い青の瞳は、その目に映すもの全てを見透かしているようにも見える。いや、そう見えるだけで、こんな小さな子どもがそんなこと考えているわけがないのだが。

クラウスはノアとローウェンにも目をやり、お前たちの名前は?と目線で問うた。見上げているのに何故か上から目線に見えるのが不思議だ。

ローウェンは素直に名乗ったが、ノアはクラウスを睨み続けていたので、代わりに緋彩が教えておいた。『ふぅん』と頷いたクラウスの返事は、自分で名前も名乗れねぇのかとも言っているようにも聞こえた。気がするだけだ。


「それで、クラウスは何でここで倒れてたの?」

「うーん…、話すと長くなるんだけどね。…ぼく、逃げてきたんだ!」

「逃げて…?」


にぱっと笑う顔と言っていることの整合性が取れない。逃げてきたということは、何かから追いかけられているということ。追いかけられているということは、クラウスは追いかけられるような存在であるということ。そして、逃げてきたという状況に引っ掛かりを感じるのは緋彩だけではないはずだ。見ればノアもローウェンも表情が険しい。


「逃げて…、って、何から?どこから逃げてきたの?」

「うーん、それよりぼくおなかすいた」

「はい?」

「おなかすいた」

「と、言いますと?」

「おなかすいたよ、ヒイロ。ぼくのおなかヒイロの胸といっしょ!」

「っ!?」


クラウスは目の前にあった緋彩の胸にぺたりと両の手の平をくっつける。子どものやることだが、さすがに緋彩も驚いて全身の毛を逆立てた。素直さは時に恐ろしいものである。

空腹を訴える愛嬌しかない笑顔は、全てを言わないのにこれ以上の質問は何か食わせろと書いてあった。あざといというか強かというか大胆というか、非常に世渡りが上手いタイプの子どもであるようだが、ノアのような性格の人間とは明らかに相性が悪そうだ。クラウスが緋彩の胸を触った瞬間から再び剣に添えられたノアの手は、そこから離れる様子はない。ローウェンの宥める体力がそろそろ限界を迎えそうである。


「……ヒイロ、そこ退け」

「だめですよ、ノアさん。相手は幼い子どもなんですから抑えて。少しくらい、食べ物あげてもいいでしょう?」

「クソガキにやる食い物はねぇ。欲しけりゃ相応の態度を見せろ」

「大人げな…」


ノアは怒りを抑えすぎて身体から蒸気が上がっている。常人が見れば近づくのも恐ろしい姿だが、当のクラウスは全く意に介していないようだった。くりんくりんの目を丸くして、何をそんなに怒っているのだろうかと疑問すら抱いているようだった。

だが、求められていることはよく理解しているようで、目を血走らせるノアにトコトコと近づくと、鮮やかな青の頭をペコリと下げた。


「ぼく、三日前からなにも食べてないんだ。おなかがすいて倒れてた。だから、ちょっとだけ、パンの一欠けらでもいいから恵んでくれるとうれしい」

「クラウス…っ、何ていじらしい子…!」

「ヒイロちゃんはクラウスのいい餌食だね」


クラウスの見上げるきゅるんとした視線は、自分の可愛さを知っている目だ。何の不信感もなく胸を射抜かれる緋彩とは違ってノアはそう簡単に折れることはないと思ったが、さすがにこのまま無視して飢え死にでもされたら後口が悪い。見つめてくるクラウスに苦虫を噛み潰したような表情で小さく『勝手にしろ』と呟いたのだった。






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