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強制ニコイチ  作者: 咲乃いろは
第十一章 隠される存在
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知らない距離

澄んだ紫紺の水晶が、銀を散りばめてゆっくり近づいてくる。


このままではぶつかってしまうと、頭では理解しているのに避けられない。寧ろ自分から吸い込まれるようにしてその幻想の中へ呑み込まれていく。


そっと輪郭に添えられた冷えた体温、熱を冷ますように唇に触れる彼の冷たいそれは、決して強い力ではないのに、離れることを許さない。

否、離れようと思えば離れられたはずなのに、そうしないということは、これは自分の意思なのか。





彼の甘美な誘惑にこのまま酔いしれてしまいたい、と。










「わあーーーーーーーーーーー!!!」

「ヒイロちゃん!?」

「っせぇな!」


脳内の映像をかき消すように叫び声を上げて跳び起きた緋彩に、ビクリと肩を揺らしたローウェンと眉を吊り上げたノアの視線が流れてくる。二人の驚きと迷惑そうな顔を見て、緋彩は初めて夢を見ていたのだと理解した。

空は薄く白み、もうそろそろ太陽が顔を出そうとする刻限だ。明け方の世界は澄んだ空気が満ちている。それをめいいっぱい肺に取り込んで、煩く暴れている心臓と背中に流れる冷や汗をどうにか抑え込んだ。





「────…おい」

「ひぃ!?」





ふぅ、と震える息を吐き目線を上げると、そこにぬっと顔面凶器の男が現れる。訝し気な表情は何かを疑っているようにも見えて、緋彩は瞬きを繰り返しながら少しずつ凶器と距離を取っていく。


「…ノアさん…なん、ですか…?」

「…………お前、」


まさか、変な夢を見ていたことがバレたのか?寝言で余計なことを言ってしまったのか?気持ち悪いこと考えてんじゃねぇよと言われてしまうだろうか。痴女の次は淫乱女かもしれない。

でもそれは緋彩だけの所為じゃない。ノアが信じられないことをするからだ。それは夢にまで見てしまうだろう。


この目の前の唇と、口付けを交わしてしまったのだから。






「────…っ!」






あの時の光景とか感触とかを急激に思い出して、緋彩は首元から頭の天辺までをぶわりと赤く染め上げる。せっかく落ち着いてきていたのに、よく考えればこんなに近くに元凶があるのだから落ち着けるわけないのだ。

あの時もこうやって、気が付いたらすぐ近くにノアの顔があって、よく分からないまま唇が触れていて、彼の香りに包まれていた。



驚くこともままならず、さながらそれはこの口から薬でも盛られたような────…、





「ぎゃああああああっ!」

「ぶふぅっ!?」





あ、と気が付いた時には、緋彩の手は思いっきりノアの頬をぶっ叩いていた。

思いの外結構な力だったようで、ノアの身体は吹っ飛び、ローウェンが目を剥いている。


「あ……、え、あ……、ノ、ノアさん!?あれ!?私何を!?」

「………………」


無言でむくりと起き上がるノア。

髪で隠れた顔がどんなものか、想像するだけで息が止まる。彼を纏う黒いオーラが具現化してしまうほど溢れ出し、それは再びゆっくりと緋彩の元まで戻ろうとしていた。


「ノ、ノ、ノアさん…?…お、落ち着いて…、すすすすみませ…、ノアさんの顔に蚊が止まって…」


逃げ出したいけど逃げられなかった。恐怖で身体が動かないのだ。

一歩一歩と近づいてくるのに、何も言わない。お願いだから何か言ってほしい。余計怖い。

ローウェンが宥めようとしてくれているが、全く聞こえてなどいないようだった。周りの音が聞こえなくなるくらい怒り狂っているのか。

そりゃそうだ。常識外れの強さのノアは、敵と戦っても大した怪我すらしないというのに、いきなり華奢な女に強烈なビンタを食らわされたのだから。


「ノノノノノノアさ…!は、話せば分かりますって!話せば…!」


ゆらりと近づいてきたノアは緋彩の前で足を止め、ストンと腰を落とした。緋彩の口からはそれだけでヒッという情けない声が出る。

そして、ぬっと手が伸びてきたので、緋彩はこれで自分の人生は終わりだと死を覚悟して目を瞑った。きっとこの片手で脳でも握りつぶす気なのだ。彼なら不死の理も覆しそう。



だが、衝撃が来たのは思いもよらぬ両頬だった。






「………?」






恐る恐る目を開けると、彼の瞳に両頬を潰された自分の顔が映る。相当間抜けなタコ顔だが、死の恐怖に直面した直後では全然笑えない。

声も出せず瞬きだけで疑問を浮かべると、片頬を腫らしたノアの表情は不機嫌ながらもどこか安堵したようなものになった。





「…戻ったな」


「ふぃ…?」





短く呟いたノアが示していることがよく分からなくて、緋彩の頭には疑問符が増える。困惑する緋彩に、ノアは手の力を緩めると、そのまますっと指を上にずらして目の下を撫でるように触れてきた。


「目の色」

「…目の、色?」

「元の色に戻ってる」

「へ?」


赤く染まっていた緋彩の目の色。それはいつの間にか、元のこげ茶に戻っていたのだ。もっと明るい光の下ではきっと赤が滲んでいるけれど、薄暗い今の時間ではそれは良く見えない。

元の、緋彩の目の色だった。

ローウェンも覗き込んできて本当だ、と頷いた。


「あ…、戻ったんですね…。何だ…、びっくりした…」

「戻らなかった方が良かったのか」

「いえ、そういう意味ではなくてですね」


目の色を見てたからそんなに距離が近かったのか。緋彩が勝手に勘違いして勝手にノアを殴ったのだ。またキスしてくるのではないかと思って身構えていた自分が恥ずかしくなった。

いや、そもそも目の色を確認するのにそんなに近くまで寄らなくてもよくなかったか。ノアは別に目が悪いわけでもないだろうし、あんな顔面を近づけられたら誰だった驚くに決まっている。あの男はもっと自分の顔を自覚した方がいい。今まで特別気にはしていなかったけれど、誰だってあの距離に耐えられるはずないのだ。




今まで意識すらしなかった距離感に、息が苦しい。













「で、体調はもういいのか」


驚くくらい余韻もなく、ノアはそう問うた。お陰で緋彩の悶々とした考えは何処かへ吹き飛んでしまう。

言われて気が付いたが、昨日まで貧血の影響で怠かった身体が今は普段通りに戻っている。昨日早めに寝たのが良かったのかもしれない。


「あ、はい。ご迷惑をお掛けしました」

「本当にな」

「またまた、ノアは憎まれ口を。ちゃんとヒイロちゃんのこと心配してたくせ…ナンデモナイデス」


気が付けばローウェンの首筋に光る刃が添えられている。余計な事言うなという目をしている辺り、心配していたという事実自体は存在しているようだ。

確かに、ノアの身体には何の影響もないのに無茶を止められたり、甲斐甲斐しく世話を焼かれたりした。何の気の迷いかとも思ったが、本当に緋彩を心配してくれていたのだろうか。

彼の横顔をじっと見つめていても何も窺えない。そのうち、ノアが緋彩の目線に気が付いて不愛想な目と視線がかち合った。何かを訴える緋彩の目線に、ノアは余計に鬱陶しそうに眉間に皺を寄せる。


「…………何だ」

「いえ…、……心配、してくれてたんですか?」

「………」


そんなことを訊いたら彼の機嫌を損ねるばかりかと思ったが、意外にも彼は表情を固めて緋彩を睨むだけだった。ふざけんなとか思い上がんなとかいう言葉を構えていた手前、何だか拍子抜けした。


「…ノアさん…?ど、どこか具合でも…?」

「ああ!?」

「ひぃっ!」


心配したらちゃんと怒られた。難しい男である。

出発の準備を進めるノアを不思議そうに見つめている緋彩に、ローウェンはそっと近寄ってきて『それくらいにしてやってよ』と説得するように肩に手を置いた。緋彩には何の話か全くよく分からなかったけれど。





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