救世主の過去
南より来たる同じ赤を宿す人間。その人間が希望となり、数百年ものしがらみから解き放つ。
古くより、この集落に伝わる言い伝えだ。
その人間には解呪の血が流れており、その血を盃一杯飲み干せば長きの呪いから解放される。…というのが今回の騒動に発展した迷惑な伝説である。
誰が言い出したかも分からない。真実かも分からない。けれどここに住む人たちはこの言い伝えが心の拠り所だった。
いつか解放される。いつか救世主は現れる。いつか同士討ちに脅かされない毎日が送れるようになる。いつか、皆の顔を見れる日が訪れる。
そんな希望を日に日に濃くしていった時、アマノヒイロという人物が現れた。
その人間は小さくて、頼りなくて、おどおどしていて、一見ちょっと整った容姿のただの少女だった。だが、何処か凛と澄んだ空気を纏い、芯のある強い瞳に宿す赤には、滞っていた血が逆流しそうに興奮した。
この人だ、この目だ、この赤だ、この血だ。
これでやっと、解放される。
何の罪も犯していないはずなのに、生まれた時から課せられた呪い。運命だと受け入れるにはあまりにも重く、理不尽だった。面の下に押し込めた恐怖と憤り。不服に塗れた人生からは、もう解き放たれてもいいだろう。
「娘…、ヒイロを目にした途端、我々の押さえ込んでいたものは溢れ出した。この機を逃せば我々は一生呪いに苦しめられることになる。お前たちがどんな人間でも、…殺してでも血を手に入れるしかないと思った」
低く、昔話をするように長老は言った。そこに感情は見えない。ただただありのままを述べているだけで、だからこそ偽りのない言葉だと分かる。
「早まった行動をしたことは申し訳なく思う。些か乱暴すぎた」
「本当。まさか火を付けられるとは思わなかったよ。あのままだったら血も残らなかったよ?」
血が目的なら別の方法にしないと、と、ローウェンのどっちの味方だか分からない発言に、ノアの鋭い視線が飛ぶ。ローウェンは大人しく、黙ってまーすと小さくなった。
「本気で殺すつもりはなかった。我々は血が手に入ればそれで良かったのだ。…だが、そこの者が予想外に手強い相手だと思い…」
「半分ノアさんの所為じゃないですか」
「何でだ」
「その愛想のない顔と人殺しの視線どうにかしてくださいってことです」
「元からこんな顔だ」
確かに、こんなゴリゴリの敵意剥き出しで、おまけに小屋丸ごと吹っ飛ばすような芸当見せられて、落ち着きなよと言う方が酷である。緋彩やローウェンにはこれがノアの標準装備だと分かっているが、初めて見た者からはいつ殺されてもおかしくないとしか思わないだろう。
これを機にノアは少し笑顔の練習とかした方がいいと思う。土台はいいのだから笑ったらきっと悩殺ものだろう。
「それで?ヒイロの血が呪いを解くかもしれないということは分かったが、この赤い目は一体何だ。何故目が赤いとお前らの仲間ということになる?」
ノアは一瞬、未だ赤い緋彩の目に視線をやって長老に訊ねる。鏡はないから、緋彩には今自分の目がどうなっているのか分からないが、ノアに言わせれば腐ったトマトの色だということだ。何も腐らせなくてよくないか。
真っ赤というよりは暗く、赤黒いというよりは赤が濃い。ローウェンがぽつりと呟いた深紅という色が一番しっくりくる色だ。
だが本人に自覚はないくらい目の調子がどうなったわけでもなく、ちゃんと見えるし痛くも痒くもない。違和感すらないのだから、ノアが緋彩の目を見る度に眉を顰めるのがどうも居心地が悪い。
長老は面の下から再び緋彩を、いや、緋彩の目を確認するように見ると、うむ、と頷いた。
「逃亡者の血族である我らは皆、赤い目をしている。それは、呪われている証であり、この目同士がぶつかると呪いが発動すると言われているのだ」
「え、ま、待って。それじゃ私呪われてるってことですか?それだと呪われてる人の血を飲んで解呪ということになりますが」
そもそも、これまでの推測では緋彩は逃亡者となったアクア族と繋がっているということになっている。もしそれが真だとすると、緋彩は逃亡者ともアクア族とも繋がっている、あまり喜べないハイスペックな血ということになる。
今はアクア族のことは一旦置いておいても、長老達の仲間ということは逃亡者の血縁であり、緋彩もまたこの人たちと顔を直で合わせれば殺し合うかもしれないということ。想像だけでゾッとする事実に、面を大事そうにしているここの住人達の気持ちが痛いほど分かり、身を抱える緋彩に、長老はゆっくりと首を横に振る。
「言い伝えにある人間は赤い目をしながら、呪われていない。仲間でありながら、誰でも顔を見ることができると言われている」
緋彩はそう聞いて少しだけ胸を撫で下ろしたのだが、それも束の間、長老の言葉はまだ続いていた。
「それは、解呪の血を持つ人間が、呪いをかけた逃亡者の末裔だからだ」
「!」
呪われているどころではなかった。
血に解呪の力が宿っているのは、それなりの理由があったのだ。
赤い目の仲間は、救世主でも何でもない。