明かさぬ顔
神社で言うなら鳥居、内と外とを別の世界だと隔てるような門を潜る。門と言っても、流木のようなボロボロの木を組み合わせて作った運動会の入場門のようなものだ。寧ろ運動会の入場門の方が余程手が込んでいるまである。
ただ門としての役割は果たしているようで、その門の内側に一歩踏み入れると忽ち空気が変わった気がした。肩に空気が乗った感覚とはこういうものなのかと感じるほどに空気が重く、四方八方から見張られているような居心地の悪さ。一方で、視界に人の姿はあって生活感だってあるのに、何も存在しないとも感じてしまうこの違和感は何なのか。大雨が降る低気圧に襲われた感覚が身体を這う。
門を潜って少し歩くと、奥の方から人がこちらへ向かってきた。奇妙な面を被った老人が一人、その両側を同じように面を被った男や女が数人。老人が後ろの人間を従えているかのようだ。
まだ日は落ち切っていないというのに薄暗いこの集落は常にどこかで松明が燃えている。立てかけてあるものもあれば人が持っているものもある。老人の手にも一つ、何かの儀式をするかのように握られていた。
面の集団は緋彩達の前で足を止めると、舐めるように三人に視線を這わす。内臓まで見透かされているような気持ちの悪い視線だ。
一通り満足行くまで見ると、ぽつりと老人が口を開いた。
「旅人か」
しゃがれた、幾年月をも重ねてきた威厳のある声。問いというよりは確認に近い言葉は、たったそれだけで威圧感すら感じ、緋彩はごくりと生唾を呑んだ。
そんな身体が軋むような思いをしている緋彩の横で、ノアはやはりいつも通りだった。
「そうだ。ここで一晩、過ごさせてくれるか?」
顔も表情も分からない面を被る怪しさ全開の人間相手に、まるで宿へのチェックインかように淡々と言うあたり、さすがだと思う。緋彩はその無神経、というよりは無関心さが少し羨ましく思う時がくるなんて思いもしなかった。
ノアの問いに老人はしばし黙ったが、やがて隣の男女に一言二言何かを話した後、再び口を開く。
「…いいだろう。ついてきなさい」
今までの雰囲気から受け入れられるとは思っていなかったが、老人はそう言った後、踵を返して集落の奥の方へ足を進めた。周りの人間たちも同じようについていったのだが、そのうち何人かは緋彩達を取り囲むようにして後方へ回る。
もう、後戻りはさせないとでも言うようだった。
奥の方は入り口付近より人が動いているように思えた。子どもが遊んでいたり、母親らしき人物が洗濯物を干していたり、薪を割る老人がいたり、野良の犬や猫が寝ていたり。雰囲気も少しは明るいように感じる。
だがやはり奇妙なのは、そこにいる人間たちは皆面を付けているのだ。老若男女、赤子に至るまで全てが。
それさえなければ至って普通の村のようにも感じるのに、見たことのない光景に動揺を隠せず、緋彩はこそっとノアに耳打ちした。
「ノアさん、何なんでしょうここ…。怪しすぎませんか?」
「何が」
「何がって…、皆お面してるの、どう考えてもおかしいでしょう。そういう民族?」
「そうなんじゃないか?そんな集団もいるだろ」
「んな適当な…。だとしても、お面の模様とか表情とか何か気味悪くて…」
そこの人間たちが被っている面は、全てが微妙に表情が違っていた。真っ黒い大きな目が二つ揃っているものや、片目だけ潰れているもの、耳まで裂けた口のものがあるかと思えば、ないものもある。何の生物を形どったものかは不明だが、少なくとも日本の祭りなんかで売っている楽しめるものでは全くない。強いて言うならこの世の物ならざるもの、妖怪だとか化け物だとか、何かを具現化したものを表しているようにも見えた。
ローウェンはさすがにノア程までに無にはなり切れず、多少は気味悪さを感じて表情を曇らせていた。緋彩にも自分もそう思うと同感した。
「宗教か何かかな?まさかガンドラ教とか…」
「その可能性は低い。今まで会ったガンドラ教の信者で面を被った奴なんていなかったしな」
「じゃあこの地域だけで栄えている宗教とか?世界に知れ渡っていない宗教なんてごまんとあるしね」
ローウェンはそう理解を示しながらも、あちこちに視線を移しながらその奇妙さに眉を顰めた。
地球にも様々な宗教がある。皆信じる神があって、信じる風習があって、それに則り生きている。信じることで、または規則通り動いたところで、目に見える形で救われるかどうかは誰にも分からない。ただ、それらは何か形にならなくても心の拠り所となるのだ。それが救われるということになる。
三者三様、十人十色。いろんな人間がいて、いろんな世界があって、住む場所が違うのだからそれぞれで信じるものが違って当たり前だ。非難することなど誰にもできないし、する理由がない。
緋彩もそんなグローバルな考えを持っているつもりなのだけれど、頭で理解しているものと肌で感じる違和感はどうも気持ちが悪かった。
「宗教だとしても、何かこう、変な感じしません?心臓をサワサワされているような、産毛だけを撫でられているような、むず痒い感じ…」
「そりゃ俺らは余所者だ。警戒されて当然だろう」
「そうですけど、なんかここは……」
何かされたわけでもないのににここにいたくない。
そう口に出しそうになった時だった。
ゆっくりと、単調に、しかし一定に保たれていた老人たちの歩みがピタリと止まった。そして、徐に口を開く。
「────…ここに住む者は呪われるのだ」
肩越しに振り返る老人の目は、面を通してでも分かるほど狂気に満ちていた。およそ老人とは思えない、皺が寄って腰が曲がって動きが遅くなってしまった人間とは思えない、取り憑かれたような赤い目。手に持つ松明の火が反射しているのだろうか。血で染まってしまったような色をしたそれは、緋彩の瞳に滲む色とよく似ている。
「…っ」
背筋から凍てつくような感覚が全身に広がり、ビクリと身体を揺らした緋彩は無意識にノアの後ろに隠れるようにして彼の腕にしがみついた。すぐに振り払われるかとも思ったが、ノアは緋彩の旋毛に少し視線をやっただけで、その腕を動かそうとはしなかった。
老人は隠れる緋彩を一瞬見た気がするが、変わらぬ調子で話を続けた。
「其方らは、エリク国をご存じか?」
「一応」
背中に緋彩を隠したまま、ノアは動じることなく返す。彼がいつも通りであることが何よりもの救いだ。一緒にこの人がいるというだけで、緋彩は正気を保てている。でなければとうの昔に逃げ出していることだろう。
緋彩がノアの後ろから覗き込むように顔を出せば、老人だけでなくここにいる全ての人間と目が合う気がした。見られている確証なんてないのに、視線を感じる。見られていないのに意識を向けられている。それが怖くてたまらなかった。
「お前らが呪われていることと、エリク国と何の関係がある?ここはエリク国とはまだ遠く離れているだろう」
ノアは嫌なら下がってろと小さく呟き、緋彩の視界を隠すように後ろに退ける。ローウェンもそっと近づき、さりげなく緋彩の背中を大丈夫、と優しく撫でた。
「ここは遠い昔、エリク国から逃れてきたものが作った集落だ。魔力が衰え、その厳しい環境についていけなくなった者が」
「今ここにいる連中だってどこかの国から逃れてきたものだろう。その始まりがエリク国からだったということに過ぎない。何も特別じゃないように感じるがな」
「ああそうだ。それ自体は特別ではない」
同意を示しながらも、老人は松明に照らされる瞳を見開いた。