守りたいもの
たった二日ほどしか離れていなかったのに、随分と懐かしく感じる明かりが宿の一室に灯る。
コンコン、と控えめにノックされた音に、色のないノアの声が返事をする。
「ヒイロちゃんの様子どう?」
片手に湯気の立つカップを二つ抱えて、ローウェンが眉尻を下げて顔を出す。
元々はローウェンも同じ部屋にいたのだが、無事宿に帰ってくると、どうせ部屋は余っているしゆっくり休めるだろうというアリアの計らいで、ローウェンの部屋は別に分けてくれたのだ。緋彩の様子次第でノアも一人部屋に移動する予定だったが、結局はこうしてまだここにいる。
ローウェンはアリアに淹れてもらったという茶を一つはノアの横、ベッドのサイドテーブルに、一つは自分で持ってソファに座る。眠ったままの緋彩の様子に対する問の答えはいつまで待っても返ってこないが、ローウェンは特に催促はしなかった。
「僕看てるからノアも少しは休みなよ。怪我してるんだし。ヒイロちゃんは心配だろうけど」
「いつからお前は過保護になったんだ。生活に支障が出ていない限りは怪我の内には入らない」
「何たる脳筋」
ローウェンは、緋彩が心配だろうということに関しては否定はしないんだと思いながら肩を竦める。一応こうして声は掛けたものの、ノアの答えは分かっていた。宿に帰ってきてから彼はこうしてずっと緋彩に付き添っているのだ。
今回だけではない。言うなと言われているから緋彩には伝えていないが、緋彩が怪我を負って寝込んだ時、疲労で調子が悪そうなとき、口数が少なくてどこか元気がない時、いつからか彼は緋彩の目の届くところにいる。
緋彩が不機嫌だと言うノアの視線は、ローウェンからしてみれば気遣わし気なものに他ならない。尤も、それはノアの気持ちが分かっているローウェンだからであるが。
「…もう少し、早く助けに行ってればな」
「え?」
ノアは部屋の隅に転がっている、血だらけの服が入ったビニール袋に目線をやる。緋彩が脱いだ服だ。正しくはアリアが脱がしたのだが、その際緋彩の傷が本当に塞がっているを見て、彼女は息を呑んでいた。再生しただけであって元々は抉られたような傷があったと分かっていはいても、目に見えるものが無傷の身体と大量の血だということに違和感は拭えないのだ。ビニール袋の底には服から滴った血が溜まっているくらいの量なのだから。
「ヒイロたちが城へ行ってしまったことにもう少し早く気が付いていれば、ここまでの事態にはならなかっただろ」
「珍しく悲観的だね?彼女たちは僕たちに見つからないように出て行ったんだ。止められると思ったから。…誰も悪くないし仕方ないことだったんだよ」
「こいつが頑固でどうあってもアリアの手助けをすることは目に見えてた。予測できたことだっただろ」
表情には出さなくても、膝の上で組んだノアの手には力が入っている。悔いのような感情が見えるノアに、珍しいとローウェンは目を丸めた。
「どうしたのノア、感傷的になっちゃって。暴君、横暴、傍若無人が代名詞の君が」
「別に、感傷的ではないだろ。…ただ、今回のことでアラムは完全にヒイロへ意識を向けた。今までの目に留まるレベルではない。完璧に狙われることになる」
あぁそういうことか、とローウェンは茶を一口喉に通した。
緋彩の怪我も、今こうしてここで眠っているのも、彼女の身に起こること全ては自分の責任だと、ノアは何処かで思っている。トラブルばかりを持ち込む彼女にそう思わせる何かがあって、他人に関心が薄いノアが自ら繋がりを感じている。自覚の有無はどうあれ、緋彩が苦しむのは自分が招いたことなのだと、同じ苦しみを抱くのだ。
この二人は本当に、マゾなのか自意識過剰なのか、自分を追い込むことが好きな人たちだとローウェンは小さく溜息を漏らした。
「────…ヒイロちゃんを守りたい?」
そう問うて、彼が素直に答えてくれるわけはないと思っている。
けれど、
「ああ」
やはり今日はいつもの彼ではないのか、ノアは意外にもはっきりと頷いた。
「…ははっ…、そっか…」
「何を笑ってる?」
緋彩の前でもいつもこうならいいのにな、とぼやきながら笑うローウェンに、ノアは眉根を寄せる。やはり自分の心の変化に自覚はないようだ。面白いから暫くこのまま様子を見ることにする。
「あーいや、ノアは本当にヒイロちゃんが大切なんだねって話」
「そりゃ、断ち切りたくても断ち切れないからな。俺たちはニコイチらしいし」
「受け入れちゃってるんだ」
緋彩が死ねばノアに影響が出る。だから目が離せない。
ノアが言いたいことは多分そういうことなのだろうが、それだけではないということをノアは自分で分かっているのだろうか。ローウェンは緩んだ口元が元に戻らなかった。
「切っても切ってもこいつはまた繋げてくるだろ。鬱陶しいことこの上ない」
「やりそうだね。なんたって不死だし」
んぅ、と呻いた緋彩に優しく手を伸ばし、顔にかかる髪を耳に掛けてやる彼の横顔はどこか柔らかかった。
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