終わりと始まり
「?」
アラムの後ろで、ドサリと大きなものが倒れた音がする。
その先を辿ると、胸に短剣の刺さったケルナーが血を流して玉座から落ちていた。
「狙ったのはお前じゃねぇよ」
自意識過剰かとでも言いたげなノアの蔑む目線は、それだけで血管がはち切れそうなほど苛立つ煽りだ。余程仏心を持った者でなければブチ切れているだろう。アラムにその仏心があったとは思えないが、彼はノアの煽りにはそれほど反応を示さなかった。事態の展開の方がどうにも気になったのだ。
「…あんた、自分が何したか分かってんの?」
アラムまでをもそう言わしめるノアの行動。予想出来なかった、というよりは出来ても選択肢から除外していた。一国の国王、それも国民が心酔しているこの国王の命を奪うなんて。
しかしノアは何がおかしいのかとでも言う勢いだった。
「負の連鎖を断ち切った。これで、奴隷によって支えられるルーク国は終わりだ」
「はは…、さすがノア=ラインフェルト。大物だね。一生国王殺しのレッテルが貼られるよ?」
「知ったことか。元々俺の評判なんて良くねぇし、少なくとも『狂った教祖』よりかはいくらかマシな気もするしな」
「誰の事かな?」
「わざと惚けてんのか?」
柔らかく微笑むアラムに嘲笑するノア。豪雨と雷と吹雪と台風が一気に襲ってきたかのような空気が辺りに立ち込める。ここに誰か一歩でも近づけば確実に吹き飛ばされるだろう。
互いに引かぬ攻防が飽きるほど続いたが、やがてそれはノアが再び剣を握ろうとしたところで終わりを告げた。
ノアの後ろから、掠れた声が聞こえたのだ。
「…、勝手なこと、言ってますね…、二人とも……」
「!」
ノアもアラムも、それには多少なりとも驚いたのか、同時にそこに視線を流す。
血溜まりの中から這い出るように、緋彩が身を起こしていた。
「…渡すとか渡さないとか…、私は物じゃないんですけど……」
血に汚れた顔で、血に染まった身体で、唯一血の色ではない赤の滲んだ瞳は、鈍らない光を宿す。
「……、もう起きたの、アマノヒイロ」
「さっきから起きてましたよ。身体が動かないし声も出ないからじっとしていただけで」
「さすが、あれだけ身体を抉られて、驚くべき再生力だ」
「お陰様で」
うんしょ、と腕で支える身体はまだ立つことは出来ない。アザラシのような格好のまま強い瞳でアラムを睨みつける緋彩。ともすればノアよりも射殺しそうな目で。
すると、気のせいか、ノアがほんの少し、それこそ気のせいだと思えるくらい僅かに口元に弧を描く。
何処も笑うような場面はなかったはずで、緋彩の霞んだ視界がただそう見せただけなのかもしれない。
どこか楽し気な、頼もしさを喜んでいるような、そんな笑みを。
きっと気のせいだ。
血だらけの少女に頼もしさを感じるなんて。
「ノアさ」
「お前、起きたんならさっさとどっか行け。邪魔だ」
「は?」
絶対に気のせいだ。
血だらけの少女にかける言葉ではない。
ノアは言い放つと、しっしっ、と緋彩を追い払うように足蹴にした。まじで言ってんのかこいつ、と緋彩はいろんな意味で声が出ない。
「無駄に怪我するトラブル女は戦いの邪魔だ。これ以上死にたくなかったらどっか行ってろ」
「…っは?え…っ?奇跡の生還を果たした相棒にかける言葉がそれですか!?」
「奇跡じゃねぇだろ、不死なんだから」
「だとしてもっ!もっとこう、労わる言葉とか!安心した表現とか!」
「労わる?安心?誰が、誰に?」
「ノアさんが!私に!」
「……言ってる意味が分からんな」
ノアの顔は本気だ。こいつ、本気でそう言っている。まじで信じられない、と緋彩は暫く立てそうになかった足に力が入った。あ、立てそうだ。怒りでアドレナリンが出ている。まさかノアの本当の狙いはこれだったのか。
「とにかく向こう行ってろ。お前がそこにいても何もできないだろ」
「それは…っ、そうです、けど!…っ、んもう!分かりましたよ!!」
棘はありまくるが、ノアの言っていることは何一つ間違っていない。そもそもこの事態は緋彩が余計なことに首を突っ込んだことに始まるのだ。これ以上は何も言えず、緋彩は腹を立てながらもヨロヨロと部屋から出て行こうとノア達から距離を取る。
途端、アラムが何かをしようとしたのか、右手が僅かに動く。だが、ノアの剣が抜かれたのもほぼ同時だった。
「動くなよ」
「…………」
また嵐の攻防が始まるかとも思ったが、意外にもそれはアラムの諦めたような溜息によって阻止される。
「あぁ、待って待って。分かった、もういい。アマノヒイロの血の所為か、僕もあんまり調子が良くないし、キミと剣でやり合えると思ってなんかいない。今回は諦めることにする」
「…一生諦めてろ」
アラムがノアと互角に闘おうとすれば、魔法でしかやり合えないだろう。その魔法が今は上手く使えそうにないと言う。一方ノアは、剣を振ってアラムに斬りかかることなど造作もないが、後ろでフラフラしている緋彩を奪われないようにしなければならない。少しでも気を抜けば転移魔法でも使って連れ去らわれそうなのだ。
だとしても今分が悪いのは、ノアに対抗できる武器である魔法が使えないアラムの方。頭が悪いわけではない彼は早々にノアに背中を向けた。
「今回は諦めるけどさ、」
後からノアが斬りかかれば一発でやられるというのに、アラムはカツ、カツ、と随分と余裕な様子で出口に向かって歩いて行った。
「アマノヒイロはいずれ僕の物にするよ」
緋彩の横も通り過ぎ、ふふふ、と肩を揺らしながら扉を潜る。
「その時までは楽しみを先延ばしにすることにしよう」
振り返りもせず、背中しか見えないその姿に、何故か腐爛した目が見えたようだった。