狂喜
緋彩の身体は、アラムの手からドサリと床へ落とされた。糸の切れたマリオネットのようにその身体が動くことはなかったが、息はあり、気絶しているだけのようだ。首元は食い込んでいたアラムの爪の所為で血だらけであるものの、骨は折れていなかった。
くたりと床に転がる緋彩の姿に、アラムは冷徹な目で見下ろしていた。輝かしいほどの金の瞳は色を変えてなどいないのに酷く濁り、くすんで靄が掛かったようだ。ゆっくりと目の前に持ち上げた右手は緋彩の血でべっとりと汚れ、それが肘にまで滴っていた。
「汚い人間の血」
無意識に零れたような言葉、感情のない声、何も映していない目。そこから何かを読み取ろうなんて到底無理な話だが、その中に何処か確実な嫌悪を抱いていることだけは分かる。
人を嫌い、人を疎み、人を憎んできたのに、自分はその人だと、目の前に転がる少女は宣ったのだ。何も知らない癖に、何もかも分かったような口振りで。
「……下らない」
アラムは呟いて、肘まで垂れてきた緋彩の血を掬うようにペロリと舌に取った。まるで水でも飲むかのようだ。
「ふぅん。血は結構美味し──…、」
口端に付いた血まで舐め取った瞬間だった。
「っ!」
アラムははゴフリと吐血する。
「…っ、な、何だ…!?」
右手を見れば、自分の吐いた血と緋彩の血が混ざっている。
身体が突然に脈打ち、異常が起きたのは緋彩の血を舐めた瞬間であることは間違いない。何が起こったかはアラムにも分からず、自分の右手と意識のない緋彩を交互に見つめた。
「こいつ…、一体何者だ…?不死の身体だからか?いや、不死は元々ノアのものだったはずで、アマノヒイロが不死になったのは謂わば偶然…」
脳内の仮説を声に出してしまうほどアラムは混乱していた。自分の身体が心配だということではない。
異変に興味しているのだ。
緋彩の血が、アラムの身体に何かしらの異変を与えた。拒絶か、進化か、抗体反応か。どれでもいい、アラムにとってこれは未知の世界だ。
「ふふ…、ふははははは、はははははは!!!!!」
面白い。
面白い面白い。
面白くて仕方がない。
血を流しながら、身体を震えさせながら、アラムは天を仰いだ。
沸き起こる笑いが止まらない。止めようともしていないし、していたとしても多分無理だ。口を閉じても開いても血と一緒に笑いが込み上げる。
広い部屋にただただアラムの狂気な笑い声が響き渡る。それが一体どれくらいの時間続いただろう。声が涸れてしまいそうだと思うくらいのころ、やっとアラムは徐々に笑い声を小さくしていった。
「ふふ…ふふふふふふ…、」
ゆっくり、
ゆっくり、
笑いを抑えるように顔を覆い、それでも溢れてしまう声を必死に押し込める。
そして、震える肩がやっと静止した時。
瞼のない剥き出しの目がギョロリと緋彩を向いた。
「アマノヒイロアマノヒイロアマノヒイロアマノヒイロアマノヒイロ!!!!」
もっと。
もっと。
もっと欲しい。
お前の血が。
もっとたくさん。
もっとたくさん飲んだら、
今度は一体何が起こるのか。
面白い。
面白い面白い。
お前の血を、僕にくれ。
アラムは腰の剣を引き抜き、クルリと逆手に持ち替えると、頭上から一気に緋彩へと振り下ろした。