幸せな国
ルーク国は典型的な王政国家だ。ケルナー国王という王が絶対的な権力を持ち、逆らった者には刑罰が下る。単純で、簡単で恐ろしい仕組み。
国王に恵まれれば特に問題はない。良い国王の下、良い国民が幸せな暮らしにありつける。国は潤い、繁栄し、良い国となるだろう。
だが国王に恵まれなかったらどうなるか。
悪政を敷く王は、国民を人間だとは思わない。国を人間が暮らす場所だとは思わない。全て自分の駒だと勘違いし、思い通りに出来ると思っている。そんな国はやがて人が減り、廃れ、国ではなくなっていく。自然の摂理だと言っても過言ではないだろう。
では、ルーク国はそのどちらに当たるのか。
答えは前者だ。
国は、良い王と良い国民に恵まれている。
だから今もこうやって国が国であり続けている。人が溢れ、物が生産され、消費され、どこを見ても光が当たっていて、枯れることを知らない。
──────と、国外からは見られている。
「え…、では実際はルーク国はそんなに良い国ではないと?」
「良い国かそうじゃないかは判断しかねるよ。確たる証拠もないのに、滅多なことは言えない」
緋彩はベッドの上で身を起こしている状態のまま、ノアとローウェンはその傍らに並んで座った。
難しい話に百面相しながら聞いていた緋彩も、ローウェンの丁寧な説明のお陰で何とか理解したようだ。
「問題は良い国かどうかではなく、国内で何が行われているか、だ」
言わずもがな、しっかり理解しているノアは、ローウェンの言葉を奪う。
それにローウェンは特に嫌な顔をするわけでもなく、そうだね、と深く頷いた。
「何もかもが幸せで、キラキラした国が良い国だというなら、それは作り物の国だ。気持ちが悪いほどに信じられない」
「え?でもさっきローウェンさんは…」
「確かに、良い国王と良い国民の下に良い国が生まれることは言ったけど、良い国に必ずしも良いことばかりがあるわけではない。光が当たっていれば、同じだけ陰も存在するんだ」
「……作り物の国」
見ているものが全て真実ではない。光の眩しさに目が眩んで、陰が見えなくなっているだけなのだ。確かに良い国がないわけではない。名実ともに素晴らしい国というものはある。
けれど、ルーク国はその限りではなかった。
「さっき店のオジサンに聞いたんだけどね、どうもこの国は目に見えないカーストがあるみたいなんだ」
「カースト?」
緋彩には聞き慣れない言葉だったのか、首を捻って疑問を訴える。特に難しい言葉ではなかったが、緋彩にとって馴染みのない言葉なのだ。
ローウェンが眉を下げて笑いながら説明するが、捻った緋彩の首は元には戻らない。堪り兼ねてノアがローウェンを制止する。
「諦めろローウェン、こいつに何を説明しても無駄だぞ」
「うーん…何て言ったら伝わるかな…。ヒイロちゃんとノアの関係を縮図にしたもの、と言えばいいかな」
「なるほど!」
「あ、伝わった」
ポン、と緋彩が手を打つと同時に、うんざりしていたノアからさらに表情を消し去った。
緋彩がカーストの意味を理解したところで、ローウェンは話の続きを始める。
「それで、そのカーストがあまり気持ちのいいものじゃなくてね」
「カーストなんてどの国でもあるだろうが。今更、気持ちが良いも悪いもあるか」
「え、そうなんですか?」
「お前今まで何を見てきたんだ」
司祭、王族、士族、庶民、奴隷。
同じ環境ではないとは言え、単に緋彩がそういうことに触れる機会がなかっただけで、地球でも耳にしないことはない。スクールカーストがいい例だ。
この世界にはそれらが普通に存在している。明確な差があるわけではなくとも、確かに日常に溶け込んでいる。貴族、王族、庶民というものが当たり前にいるのだから。
「王政国家、帝政国家が存在する以上、カーストというものは免れないけれど、この国はそういうことじゃない」
ローウェンの真面目な声に、ノアは大した反応も見せず、興味はないように茶を入れたカップを口元にやるが、一瞬だけ眉をピクリと動かしたのを緋彩は見た。
「表向きはよくある王政国家。ルールに従ってそれなりに皆仲良く幸せに暮らしている。だけど裏を返すと格差の激しい人権無視のカーストだった」
「人権無視…」
「王族、士族は元より、庶民まではまだいい。だけどルーク国では、今は殆どの国で廃れてしまった奴隷が未だたくさん存在している。それも、周りの目には見えないところで、他人としての扱いを受けていない」
奴隷階級の人間たちは、王の指示の下、延々と働かされているという。ルーク国が潤って、人が集まってくるくらいに住みやすい国だと言われるのは奴隷がその礎を作っているからだ。もっと悪いことには、国民はそれを知っている。知っていて、幸せに暮らすことを許しているのだ。
奴隷とされるのは毎年国が決める。城より封書が届き、召集され、応じなかった者は死が待っている。応じたところで死と同等の生活を強いられるのでどちらを選んでもあまり変わらない。ただ、一縷の望みと言っていいかは分からないが、もし希望が見えるとするならば、奴隷には解放される可能性があるということだ。良い働きをした者、能力を買われた者、王に気に入られた者、様々な理由で解放されるチャンスがある。死よりはほんの少しだけ、絶望から距離を取れる。
「そんな希望…」
希望でも何でもない。絶望から離れたって、結局は絶望の中にいる。緋彩が平和な日本で暮らしてきたから、普通の基準が違っている所為ではない。奴隷にはなりたくないと思わせる環境があるということがおかしいのだ。それが普通であっても、その普通はおかしい。
緋彩は足元のシーツを握りしめながら眉を顰める。それが吐き気を我慢しているように見えたのか、ノアの視線を少しだけ感じた。大丈夫だという代わりに少し微笑んだら、彼の眉間の皺は増えた。何故だ。
「奴隷の仕事は様々で、大半は国の南に位置する鉱山で鉱石の発掘。昼夜関わらず食事も睡眠も殆ど与えられずに働き続ける。そして女性は城に住まう貴族の夜の相手をする役目もある。薬漬けにされて、自我を失ったまま犯…」
言葉を止めるように、ノアが短くローウェンを呼ぶ。そして視線で示された俯く緋彩の様子に、ローウェンははっとしてごめん、と一言謝った。
するとノアが話を方向転換するように言う。
「奴隷のことは分かった。だが、それが一体俺たちと何の関係がある?奴隷には同情しなくもないが、それがこの国の体制だというのなら、よそ者の俺らが出来ることはない」
「国の体制に一矢報いてやろうっていうことじゃないよ。ただ、この制度を続ける王の動きに、引っかかることがあるんだ」
引っかかること?と首を傾げた緋彩とノアの動きが重なった。それにローウェンは少しだけ吹き出し、話を続ける。
「王は国を潤し、人を集め、兵を増強し、国を強国とするために、永遠の奴隷を作ろうとしている」
それに、緋彩は傾げた首を反対に傾げるだけだったが、ノアはまた同じ動きをすることにはならなかった。眼光を強め、さらに眉間の皺をまた一本増やす。何本出来るのかギネスに挑戦した方がいいと思う。
「永遠の奴隷だと?」
「さすがノア、鋭い」
「いいからどういうことか説明しろ」
「慌てないでよ。それから顔も怖い」
ローウェンはギネスには挑戦させるつもりはないのか、ノアに己の顔の怖さを示すように自分の眉間を指で押さえる。それにノアは一つ咳払いをし、気を落ち着かせるように一旦目を閉じて再び妖艶な紫紺の瞳を現わした。
「永遠の奴隷なんて、穏やかじゃないな」
「…そう。奴隷ってだけで情報過多なのに、さらに永遠ときた。国を運営するために試行錯誤することは立派だけど、明らかに方向性が間違ってるね」
「ちょっ…、ちょっと待ってください二人とも。一体何の話をしてるんですか?」
緋彩は黙って話を聞いていればいずれ追いつくかとも思ったが、一向に二人の背中が見えず、このままでは迷子になってしまうと危惧した。慌てて助けを求めると、面倒そうなノアの視線が降りかかる。
「察しの悪い奴だな。話聞いてりゃ分かるだろ」
「…そう思いましたが、残念ながら分かりませんでした」
「本当に残念な頭だな」
呆れたようにため息をつき、それから、ノアは何処かへ軽蔑した視線をやった。
「不老不死の奴隷を作ろうとしているってことだよ」