日常の反撃
口から魂でも出てきそうな顔色で帰ってきたローウェンは、部屋のドアを開けた途端ピタリと固まった。
緋彩とノアが向かい合っている。距離は近い。不安そうな緋彩の顔、いつもの不機嫌さを落としたノアの表情。どんな会話をしていたかは分からなくても、決して笑い話ではなく、ローウェンがその邪魔をしてしまったことだけは明らかだ。
「……あ……、あー…、えー……、ごめん、僕買い忘れたものあったわぁ」
「おかえりなさいローウェンさん!買い忘れは明日買いに行きましょう!」
「あ、はい!」
気まずい雰囲気に踵を返したローウェンだったが、すかさず緋彩が呼び止めた。大海の木片とでも思ったのだろう。ローウェンに注がれる緋彩の眼差しが血走っている。
緋彩の勢いに思わず返事をしてしまったローウェンは、もう逃げることは敵わず、諦めてこの場の状況を把握しようとする。
「えー…と、それで?二人は何してたの?」
「せっ…、世間話!」
「へぇ…。ノアが世間話。珍しいこともあるもんだね」
ローウェンの反応は明らかに緋彩の答えを信じてはいないが、特別追及はしなかった。彼女の表情から察するに、どうせノアに関することなのだろうと分かっているからだ。進展しない二人の関係に、ローウェンはほとほと呆れてしまっている。
「というか、ヒイロちゃん起きたんだね。身体は平気?」
「あっ、だ、大丈夫です!ご迷惑お掛けしました!」
「僕は何もしてないよ。ここまでずぅーっと抱えてきたのはノアだからね」
「え?」
ローウェンは荷物を下ろしながら、ニヤついた顔を少しだけノアに向ける。案の定、ノアからは余計な事言うなという視線が返ってきた。
「ノアさんが…?」
「ヒイロちゃんは他の男には抱えさせないって、半ば意地であの長い距離をずっと抱えてたよ。時々、残った僅かな水を飲ませて、甲斐甲斐しく看病しながらね」
「…っノ、ノアさんが!?」
「んなこと言ってねぇし甲斐甲斐しく世話なんてしてねぇわ!誤解を招くようなこと言うなローウェン!」
「えー?間違ってはないと思うけどー?心配そうにヒイロちゃんのこと見てたじゃーん」
「ノアさんが!?」
緋彩の表情が驚きから感動に変わっていく度、ノアの苛立ちが増していく。キラキラした目で顔を近づけてくる緋彩を遠ざけながら、怒りの矛先はローウェンに向かう。ローウェンは意に介していないようだったが。寧ろ煽っていると言ってもいい。
「もう認めちゃいなよノアー」
「何がだ!」
「え?言っていいの?ヒイロちゃんの前で?いいなら言」
「いやちょっと待て!何を言う気だ!」
「だから言っていいの?」
ニヤニヤとしながら含み笑いをするローウェンは生き生きしている。普段ノアより優位に立つことなどないので楽しいのだろう。
緋彩とノアに同行したこの数か月間、ローウェンはノアの弱点を手に入れることが出来た。緋彩に関することならノアは完全に調子を崩す。ノアが緋彩に対する気持ちも、緋彩がノアに対する気持ちも、本人たちよりも詳しく認識しているのはローウェンだった。
そしてローウェンは、睨むノアに嘘だよと宥め、話を逸らすように買ってきたものを整理し始める。食糧は底を突いていたいたし、買ったものは大量だ。食べ物、水、薬草、その他諸々。両手いっぱいに抱えてきた袋を改めて見れば、彼が部屋に入ってきた時の疲れ具合が納得できた。
「すみません、ローウェンさん。買い物任せちゃって。ローウェンさんも疲れてるのに」
「いいのいいの。僕も休んで回復したし、ヒイロちゃんが行くにはちょっと危険な場所もあったしね」
「危険な場所」
何故買い物にそんな場所があるんだ。
一体どんなところに行ったのか疑問しかないが、緋彩はそれよりも先にローウェンの服、右腕の所に僅かな切り込みが出来ていることに気が付いた。
「あれ?ローウェンさん、腕のとこどうしたんですか?」
「ああこれ?ちょっと面倒事に巻き込まれちゃってね。…そのことでノア、話があるんだけど」
「話?」
かすり傷だから大丈夫だよと緋彩を安心させてから、ローウェンは少し真面目な声をしてノアに視線を向けた。