暴かれる胸の内
並んで戻ってきた緋彩とノアを、ローウェンがおかえり、と迎えてくれた。やたら満面の笑みだったが、どうかしたのだろうか。
「任せきりですみません、ローウェンさん。あの子は?」
「天幕の中で寝てる。やっと熱が下がってきて眠れるようになったよ。一度意識も取り戻した」
そうですか、と緋彩はほっと胸を撫でおろした。油断は禁物だが、とりあえず回復傾向にあるのなら一安心だ。ローウェンが煎じてくれた薬草も効いたのだろう。
緋彩とノアに茶を出してくれながら、ローウェンはそういえば、と思い出したように言う。
「あの子の名前、意識戻った時に訊けたよ。ロイくんだってさ」
「ロイ、くん。綺麗な名前」
「元々この国の人間ではなかったんだけど、九歳の時に両親にここに捨てられたみたい。今は十一歳らしい」
「……捨てられた…」
ツキン、と胸が痛む。色んな意味でだ。
多感な時期に親に捨てられたことも、それがこの国だったことも、この国がゴミ箱のようなそういう場所だと見られていることも。
ロイの両親ももしかしたらのっぴきならない事情があったのかもしれない。本当は愛する息子と別れたくなどなかったのかもしれない。やむを得ず別れてしまった場所がこの国だっただけで、偶然が重なっただけかもしれない。
誰も責められない。何も責められない。胸に痞えたものの捌け口がどこにもない。
「ヒイロ」
「!」
とん、と震える緋彩の肩に手が置かれた。
「あいつの話だ。お前のじゃない」
「…はい…」
ローウェンにも顔色真っ白だよ、と心配されてしまった。そうだ。こんな食糧が少ない中で吐いたりなどしたらとんでもない。感受性が高いのも大概にしないと、と緋彩は自分を律した。
「訊けたのはそれだけ。まだ全然体力が弱ってるし、目を開けておくのも精一杯だから、これ以上は何も分からなかったよ」
「とりあえず眠れるようになっただけでもよかったです。看病、代わりますのでローウェンさんは休んでください」
「じゃあお言葉に甘えようかな。何かあったら起こしてくれて構わないからね」
ローウェンはそう言って夜具に包まる。生死を彷徨っている人間の看病はさすがに疲れたのか、すぐに寝息を立てだしたのを見ると、緋彩は今度はノアにも目を向けた。
「ノアさんも休んでいいですよ。私見張りで起きてますし、何かあったら起こしますけど」
「………ああ」
変な間があって頷いたノアに、緋彩は首を傾げる。ノアの上着はまだ緋彩が借りっぱなしだったのでこれかと思って渡したけれど、それでもノアの表情は浮かなかった。
「ノアさん?どうかしました?」
「…………………………………………いや別に」
「いや全然別にじゃないでしょ!今の無視できないほど長すぎる間は何ですか!」
「うるせぇ。大きな声出すな」
横ではローウェンが寝ている。天幕の中ではロイもやっと眠れたのだ。緋彩ははっとして声を潜めて眉も顰めた。
「じゃあ何ですか。気になるでしょ!」
「別に気にするほど大したことない」
「気になって眠れません!」
「見張りが寝たら駄目だろ。丁度良かったな」
ご尤も。
ぐうの音も出ない緋彩の反応が面白くなったのか、ノアはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、じゃあおやすみ、と早々に床に就こうとする。勿論緋彩がそんなノアを逃すわけはなく、夜具を引っ張って何とか訊き出そうとした。
「ノーアーさーん!おーしーえーてーくーだーさーいーぃぃぃ!」
「…っ、やめろっつの、この痴女!」
「教えてくれるまでやめませんんんんー!」
「馬っ鹿、乗っかかってくんな!引っ付くな!寄るな!」
「じゃあ教えてくださいー!気になるー!」
よく懐いている甘えん坊の犬のように、緋彩はノアに覆い被さって全体重を預ける。まるで襲っているかのようだ。
ノアは必死で緋彩を引き剥がそうとするのに、こんな時に限って緋彩は力が強い。
訊き出そうというより意地でも離れるもんか、と緋彩の目的が変わってしまった頃、結局ノアの方が折れたのだった。
「っあーもう分かった!分かったから離れろ!小枝のような身体引っ付けられたって嬉しくねぇんだよ!」
「っまー失礼な!」
確かに引っ込むところ引っ込んで出るところも引っ込んでいる緋彩の体型は、その辺に落ちている小枝によく似ている。だからと言って露骨に言うことないじゃないか。ちょっとは気にしてるのに。
だが今はノアの考えていたことの方が気になるので、緋彩は大人しく離れて横にちょこんと正座する。攻防戦の間に変な体勢になってどこそこ痛めたのか、ノアは呻きながら起き上がって自分の肩を揉むようにする。
「……ったく、こんな時ばっかり無駄な力発揮しやがって…」
「しつこさだけは天下一品と兄にも褒められたことあります!」
「それ褒めてねぇから」
「え?」
めでてぇ頭だなと呆れながら、ノアは息を一つついて頭を抱える。そして、次に緋彩に目を向けた時、そこには無感情ながらもどこか咎めるような、思わず何もかも白状してしまいそうな瞳があった。
「お前、思うことがあるんなら拗らす前に言っておけよ」
「……はい?」
とんと身に覚えがない、と緋彩は首を捻った。だがノアはまるで自分は間違っていないとでもいうように、瞳の圧を緩めなかった。
「他人のことには敏感なくせに、自分のことにはアホほど鈍感なんだから、何か違和感があることがあったら面倒なことになる前に言っとけよってことだ」
「は、はぁ…。違和感…?違和感…」
疑問符を浮かべ続ける緋彩に、ノアの眉がピクリと動いた気がして、緋彩はヒィッと距離を取ろうとする。
だが、それよりも早くノアの腕が伸びてきて、それを阻止する。それどころかもっと近く、寄るなと言った癖に、互いの瞳が互いを映しているのが分かるくらいのところまで緋彩の身体を引き寄せた。
「あの遺跡に行った後から、お前何かぼーっとしてるだろ」
「!」
「何でもいい。引っかかること、正体の分からないモヤモヤ、納得いかないこと、全部俺に言え。…その時聞いてやるかは分からんが」
「分からんのかい」
俺が全部解決してやるとかそういう雰囲気だったろ今。見目麗しいから、見た目はそれなりにかっこついているのに言っていることは最低だ。
だが、ノアの方からそんなことを言ってくるとは思わなかった。何かない限りは人にも自分にも興味がない彼が、緋彩の様子を気にかけていたとは。
「言っただろ。人は自分が保てなくなったら終わりだ。本当に自分が分からなくなる前に、ちゃんと言え」
「…は、はい…」
緋彩はまさかノアがつい声に落として呟きを、そんなに綺麗に掬っているとは思わなかった。本人でも声に出してしまったことすら気付いているか怪しかったのに。
ノアにそんなことを考えていたとも思っていない緋彩は、ましてや自分がそんな風に見えていたとも思っていなく、変にノアと目が合わせられなくなって戸惑い始める。
「で、でも…、自分でもよく分からないというか、別に悩んでるとかそういうわけでもなくて…、気が付いたらぼーっとしてるってだけで…」
「四六時中うるせぇお前がぼーっとしてるのは立派な違和感だろうが。悩んでなくとも、考えてること全て洗いざらい吐け」
「洗いざらい…。今日のおうちの晩御飯何だったんだろうなぁとか、胸大きくなったらいいなぁとかもですか!」
「全部だ」
「ひぃっ!?」
そのうちスリーサイズまで訊き出されそうだ。逆らえないのが恐ろしい。
顔を青くさせた緋彩の反応に気を良くしたのか、ノアはまたニヤリと笑ってやっと顔を離した。そして、以上だ、とでも言うように、さっさと夜具を被り直して瞼を閉じてしまった。
無理に訊き出したのは緋彩だが、何だかノアが言いたいことを言っただけの時間になってしまった。