調査開始の合図
分かった。とりあえず分かった。
一部分野で苦手なことがあれば他の何かが秀でるということはある意味摂理だ。そしてノアの場合、魔法が苦手な上に壊滅的な性格という救いようのない短所を補っているのが剣の腕だということ。
それはそれだけのものを補っているのだから、バランスを取るためにはその強さは半端じゃないということ。
「………そりゃそうなりますよね」
「なんか知らんがお前が今すごい失礼なこと考えたな?」
いやいやそんな。性格の悪さの分強いのだとしたら、多分ノアは最強かもしれないなんてそんなことオモッテナイ。
それにしてもノアに脳内を覗かれているのではないかと思う時があって怖い。そんなに顔に出ているのかと頬を引っ張ったり押し潰したりしていると、ノアは何やってんだと呆れながら、血を払ってから剣を鞘に収めると、その場にドカリと腰を下ろした。そうは見えなかったけど、まさか今の一瞬の戦いでどこか怪我でもしたのだろうか。
「ノ、ノアさん?どこか痛いところでも?きゅ、救急箱要ります!?」
「あん?いらねぇよ」
どこも怪我してない、と緋彩の差し出す救急箱を押し退けた。
「え、じゃあ何で座って…?」
「はあ?寝言言ってんじゃねぇよ。お前が休憩したいっつったんだろ」
「へ?」
目が点になるとはこのことだ。
暫く緋彩はノアの言っていることが理解できなくて、丸々とした目で彼を見つめていた。そんな顔で固まるものだから、ノアは訝しげに眉を顰め、すっと緋彩の目の前に指を曲げて差し出してくる。溜めた勢いを放つように指を弾かれ、コンッと額が小気味いい音を立てた。
「った!な、何すんですか!」
「変な顔で呆けてるからだろ。休憩要らないんならもう行くぞ」
「えっ、えええええっ!要る!要ります!一時間休憩したいです!」
「ふざけてんのか。後一分だ」
「ええっ部活!?」
運動量の割に休憩が少なすぎる。ノアの言うことは冗談でも何でもなく、その後きっかり一分後に出発するのであった。
***
向かったのは隣国のユーベルヴェーク国とは正反対の国境近く、キッカという町だった。ここには各国の文献が集められた世界一の蔵書率を誇る図書館がある。世界一というだけあって取り揃えられているジャンルは様々。勿論世界の歴史や魔法のノウハウを記した本、フィクションや絵本などの子どもが読む本まで多岐にわたり収められている場所だ。ここでなら不老不死に関することも何か分かるかもしれない。
「ノアさんは不老不死を解く為の旅をしてたんですよね?これまでにここで調べたりはしなかったんですか?」
「したに決まってるだろ。何度ここに足を運んでると思っている」
「え?じゃあ今更何を?」
図書館の中というのはどの世界でも独特だ。密閉されて、空気が深く沈んでいるような場所というか、外部とは遮断された特別な空間を生み出している。ここにいろいろな物語が一様に収められていて、圧縮された世界が詰まっている。
緋彩は図書館という場所が嫌いではない。生憎、あまり縁のない場所ではあったが、小学校の社会科見学などで訪れた際はこの不思議な空間に心躍らせたものだ。
緋彩の家の近くのものと比べて、二倍も三倍もある規模のキッカの図書館は三階建てだ。訪れている人は多いけれど、建物自体も広いので混雑している感じはしない。
魔法関係の本が集められている二階の南側、そこで緋彩とノアは高く聳え立つ本棚に視線を滑らせていた。ノアは時々本を手に取っては、見たことあるものばかりなのか、軽くペラペラと捲ってすぐに本棚に戻していた。
図書館に来るまでに、緋彩は少しだけ不老不死のことについてノアから聞いた。最初は説明するのが面倒くさいと口を割らなかったが、しつこく訊いているとそちらの方が鬱陶しかったのか、レポートのように単調な説明をしてくれた。
まず不老不死とは文字通り歳を取らない、死なないということ。特に条件もなく、ノアはその呪いを受けた日から歳を取っていないので、見た目は十七歳のまま。そういえばダリウスと親しく話していながらノアがやけに幼く見えたのはその所為だったのかと今更気付く。
そして、緋彩がその身で示した(というより示された)ように、心臓を貫かれようが、脳天に穴が空こうが、四肢がもぎ取られようが、死ぬことはない。頭が捥げたって生きながらえるというのだから、それを聞いたときは昼に食べたパンがちょっと出てきそうになった。
ダリウスも言っていた通り、というか緋彩も体験した通り、不死ではあっても痛覚は健在なので、心臓がもぎ取られても脳みそ握り潰されても、死にはしないけどとてつもなく痛いだろう。気絶するという機能も失ってはいないそうなので、それほど酷な痛みだったら気を失うだろうけれど。
痛いだけで死ねないというのはある意味残酷だ。気を失っても目を覚ませば痛みは残っている。生から逃れられない絶望は、そこはかとない。
そんな苦行のような呪いを解く方法というのは、前にもノアが口走っていた、ある一族の血だ。
その一族は、この呪いを穿った張本人の血縁で、もうこの世界には数人程度しか現存していないという。
ノアはずっとその一族を探しているのだが、未だに見つからない上、見つかったところでその血をどうすればいいのかはまだ明らかではないという。
一族の名は、アクア族。
その名を耳にすることも難しいというのだから。
「アクア家は一番繁栄していた時期でもそんなに数がいたわけじゃない。絶対数が少ねぇんだよ」
「なるほどー。それで、これから調べるのはそのアクア家の誰かがどこにいるかってことですか?」
「んなもん、調べて分かるんならとっくの昔に見つけてる。今日はせっかく小間使いがいるからこそ調べられることを調べるに決まってんだろ」
「小間使い?」
何のことだ、と小首を傾げた緋彩に、ノアの黒い笑みが降ってきていた。