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愛と幸せの形

作者: 夕日色の鳥

藤乃 澄乃様主催『バレンタイン恋彩企画』参加作品です。

 私の勤めている会社は、いわゆる中小企業だ。

 とっても良い会社ってわけじゃないけど、それなりにホワイトだと思う。

 きちんと残業代は出るし、ボーナスだってある。

 定時退社を目標として、それに向けた業務プランを各人に求め、どう見ても無理そうな時は皆で分担して手伝ったりする。


 私はそんなそれなりの大きさの会社のOL。

 今年で7年目。

 新卒で入社したから、まあ、年齢はお察し。

 そろそろ親から結婚だなんだとせっつかれる頃かな。



「ちょっといいかね。

この間の資料のことで確認したいから、少し来てくれないか?」


「あ、はい。

部長」


 この人は私の所属する部署の部長。

 それなりに偉い人だ。

 年は、50ぐらいだったかな?

 学生時分にスポーツをやってたとかで、今でも体を鍛えてるらしく、高い身長も相まって全体的に大きい。

 怒ると怖いけど、社員ひとりひとりをきちんと見てくれる良い上司なんだと思う。


「あら、あなた。

どこ行くの?」


「ああ、お疲れ様です」


「あ、お疲れ様です!」


 部長と資料が置いてある資料室に向かっていると、常務取締役とすれ違った。


「常務。

ここでは上司と部下として接するように言っているでしょう」


 そう言ってたしなめている部長と常務は夫婦だ。


「あら、そうだったわね。

こうして廊下で会うと、つい忘れてしまうわ。

部下の方もいるし、ちゃんとしないとね」


「あ、お気になさらず」


 常務がちらっとこちらを見る。

 平社員の私は思わず縮こまって、ひたすら恐縮する。


「あ、でも家庭の話ならいいわよね。

今日、私早く終わるの。

久しぶりに牛肉のワイン煮込みを作るから、楽しみにしててね」


「ああ、君のワイン煮込みは絶品だからな。

それを楽しみに頑張るよ」


「ふふふ、じゃあね」


 普段、あまり笑わない部長がふっと笑みを見せ、嬉しそうな常務と別れ、私たちは資料室に向かった。


「部長と常務って、おしどり夫婦ですよね」


「……そうか」


 社内で夫婦関係をいじられるのがあまり好きではないらしく、部長はこの手の話題になると、すぐに話を終わらせたくて黙ってしまう。

 でも実際、部長たちのおしどり感は社内でも有名で、憧れの的になっている。

 休日にはよく2人で出掛けているようだし、社内でもよく2人で会話をしているのを見かけると皆が言っている。












「……ん」


 そして、私は資料室で、そんな部長と重ね合わせていた唇をゆっくりと離す。

 部長の首に腕を回し、上目遣いで無愛想な顔を見上げる。


「ねえ、もうすぐバレンタインデーね」


「ん?

もうそんな時期か」


 部長は分かっているだろうに、少しとぼけたように答える。

 男の人って、どうしてこういう時に素直に答えないんだろう。


「私からも欲しい?」


「甘いものは苦手だ」


「ふふ。

そこは、君のくれるものなら何でも嬉しいよって言うものなのに」


「……そういうものか」


「そういうものなの」


 部長はこんな関係になっても、変わらず無愛想で淡々としてた。


「……君のくれるものなら何でも嬉しいよ」


「もう!

棒読みー!」


 それでも、こんな風に茶目っ気もあるから、かわいいなんて思っちゃう。

 ふた回りぐらい年が離れてるのに不思議だ。







「あ、この書類、誤字があるから直しておくように」


「えっ!?

ホントにミスもあったの!?」


 事が済んで、部長はそれだけ言い残して部屋を出ていった。

 私はしぶしぶ言われた間違いを直す。

 そんなにミスは多い方じゃないけど、たまにはある。

 部長に直で確認してもらう書類にだけミスが多いのは内緒だ。






 そもそも、部長のことをそういう目で見始めたきっかけは、単に嫉妬だった。

 家でも会社でも愛する人と一緒にいられて、仕事も出来て、きっと幸せなんだろうなー、いいなーって思った。

 


 ……それで、気付いたら、



 欲しいな



 って思ってた。



 そんな幸せな部長が欲しい。

 そう思ったら、もう止まらなかった。

 仕事上、部長とは二人きりになれるチャンスはいくらでもあった。

 

 そして私は、今みたいに資料室で部長に突然キスをした。

 部長は戸惑ってたし、私にやめるよう言ってきたけど、私が構わず続けたら、途中から拒まなくなった。

 それどころか、部長の方からも来た。


 私は嬉しかった。


 これで私も幸せになれるなんて、バカみたいな幻想に包まれてた。





 それからも、私と部長はよく資料室で逢瀬を重ねた。


「……ねえ」


「なんだ?」


「奥さんに、常務に申し訳ないとか思わないの?」


「……」


 都合が悪くなると、すぐ(だんま)り。

 でも、私もホントは聞きたくなかったから、それが正解。


 それなのになんで聞くのか。

 そんなの、私にも分からない。


 それでも、何となく聞きたくなっちゃう。

 その場しのぎでも、私に都合の良い答えを期待しちゃう。

 どうせ何も言ってくれないのは分かってるし、その方が良いんだけど。

 不思議なものよね。








 でも、そんな幻想はある日突然に、あるいは必然に、そしてあっけなく、終わりを告げる。


「……あーあ」


 私は絶望と喜びと、少しの安堵を感じながら、くっきりと陽性に線が出ている検査薬を見下ろした。


 予感はあった。


 一度だけ。

 たった一度だけ。

 あんまりにも盛り上がったから、何もつけなかった日があった。

 その日はお互い持ってなかったし。


 内心、ヤバイかなーと思いつつも、嬉しさと気持ちよさに身を委ねて、何も考えないことにした。


 その結果が、これだ。


 私は夢と幻想を打ち砕かれ、現実に引き戻される感覚に襲われる。

 それと同時に、部長に何て言おうか、そもそも言うのか、そして、言ったらあの人はどうするのか、どんなリアクションをするのか。

 そんなことが猛スピードで頭の中を駆け巡った。


 ……分かってる。


 きっとあの人は逃げる。


 ひきつったような顔で、きっと黙るんだ。


 そして、だんだん連絡がなくなってくるんだ。


 はは。


 どうしよう。


 手に取るように分かるよ。


 きっと部長は、そういう人。












「……そう、か」


 はい、(だんま)り。

 返事を返したのは、頑張った方なんじゃない?


 さて、こっからどう出るのかな?


 とりあえず謝るが80%。

 妻には言わないでくれってみっともなく頼み込むが15%。

 残りの5%ぐらい、期待させてよね。


「……」


「……」


「……」


「……」


 いつもの資料室で、沈黙が饒舌に静寂を語る。


 あなたが話すまで、私は絶対話さないからね。


 そんな気持ちが通じたのか、部長がすっと動く。


「……すまない。

金はすべて払う。

病院に行って、堕ろす手続きをしてくれ。

そして、もう会うのはやめよう」


 は?


 最初だけ正解。

 でも、そのあとのは何?


 ちょっと、勝手にそんなとこまで進まないでよ。

 私はまだそこまでいってない。


 ていうか、謝るだけ謝って、二言目に金ってなに?


 は?

 え?

 なに?


 待って。

 理解できない。


「会社も辞めた方がいいだろう。

退職金は出るだろう。

それ以外に、しばらくの生活費も出そう。

その間に、新しい職を探してくれ」


 もうなに言ってるのか分かんないんだけど。

 なんか、勝手に私が退職することにしてない?

 え?

 自分は?

 こんなことになっておいて、自分はお金だけで済まそうと思ってるの?


 は?


 え?


 あれ?


 私、なんでこんなのが良かったんだろ……。


「……産む」


「……え?」


「お金はいらない。

誰にも言わない。

会社も辞める。

引っ越しもする。

あなたには一切迷惑を掛けない。

だから、私はこの子を産む」


 自分のお腹をさする。

 ぜんぜんおっきくなってないお腹をさすっても、まったく実感がわかない。

 それでも、私はこの小さな小さな何かを守らないといけない。


 なんか分かんないけど、そんな気がした。


「い、いや、ちょ、ちょっと待て。

待ってくれ。

冷静になって、よく考えるんだ。

俺は金は払う。

けど、産まれてくる子供に責任は持てない。

認知は出来ない。

1人で育てることなんて出来ないだろ」


 ……ホントに、なんでこれが良かったのか。


「お金はいらない。

認知も責任もいらない。

心配もいらない。

私に必要なのは、あなたがこれ以上何もしないで何も言わないこと。

それだけ。

わかった?」


「い、いや、しかし……」


「黙って。

もういらない。

わかった?」


 そのあともごにょごにょと何かを言っているのを無視して扉に向かう。

 扉を開ける前、ふと思い付いて、振り向いてそれの元へ。

 1発だけ思いっきりビンタして、そのあとは一度も振り返らずに部屋を出た。













 そして、私は会社を辞めた。

 急遽、田舎に帰ることになったと告げれば、会社はたいした引き留めもせずに退職届を受理した。

 そもそもただの平社員だし、年齢的にも親に帰ってこいと言われたんだろうと思ったのだろう。


 それから退職日までは部長と必要事項以外での会話はせずに、2人きりになることもしなかった。

 電話も着信拒否にしたので連絡も取らなかった。


 退職日、部長の目の前で常務と涙ながらの抱擁を交わしてみせた。

 我ながら良い味だしてたと思う。

 お腹が目立つ前に辞められて良かった。








 そして、私は実家近くに家を借りた。

 今までの貯蓄と退職金で何とかなった。

 さすがに本当に1人ですべてが出来ると思うほど、私は若くはなかった。

 産まれてくる我が子のためにも、借りられる手は借りなければ。


 私は実家の両親に頭を下げた。


 父親はいない。

 認知もしてもらってない。

 お金も受け取ってない。

 それでも産んで、育てていきたい。

 この子が少し大きくなったら働く。


 だから、助けてください、と。


 父は怒り、母は泣いた。


 心がチクリと痛んだ。


 相手の男を殴りにいくという父を母となだめ、私を抱き締めたまま泣き止まない母に負けて父も折れた。





 そして、私は我が子を産んだ。


 女の子だった。


 テレビなんかで見る新生児は、なんなら気持ち悪いと思っていた私だけど、今なら分かる。


 ああ。

 愛しき我が子。


 この世界に、これほど尊く、これほど愛しいものがいたのか。


 目に入れても痛くないって、ホントに、本当に思う。

 この小さくうごめく3200グラムが私の全てになった。

 世界になった日だった。







 それからは悪戦苦闘の日々。


 泣く原因が分からなくて泣き、ミルクをうまく飲まなくて泣き、微熱が出ただけでこの世の終わりみたいに泣いた。


「まったく、どっちが子供かわからんね」


 そんな私の背中を撫でながら、母は目を細めた。


「あんたが産まれた時は、私もそうだった。

誰だって母親1年生。

分からないことだらけさね。

泣いて笑って、子供と一緒に、母親も母親になっていくんやよ」


 そんな母の言葉に励まされて、また泣いた。


 悪戦苦闘で大変だったけど、もちろんそうじゃないことの方が多かった。


 初めてハイハイした時は、世界全部が輝いた。

 初めて立った時は、世界全部が愛おしかった。


「マ、マ」


 それを聞いた時は、やっぱり泣いた。

 というか、全部泣いてた。

 でも、こっちの涙は暖かかった。









 そしてある日、手紙が届いた。


 子供を保育園に預けて働き、仕事終わりに、迎えにいってくれた母の元に引き取りに行く。


 そんな生活に慣れてきた頃だった。


 差出人は書いておらず、ただ、お金だけが入っていた。


 すぐにあいつだと分かった。


 向こうの住所は分かってる。

 そのまま送り返そうと思ったけど、これで向こうが後ろめたい気持ちを感じなくなるならそれがいいと思って、受け取ることにした。

 娘のために使おう。

 向こうには、後ろめたいという気持ちすら感じてほしくなかったから。


 それからは毎月、まとまったお金が送られてきた。


 そして私はある時、あることを思い付いて、筆を取った。


 奇しくも、その日はバレンタインデー。

 私は手紙に、会社で大変お世話になったと書いて、甘い甘いチョコと一緒にあの人に送った。


「甘いものは嫌いだと言ったのに」


 愛する奥さまに、そんな苦笑いを見せるあの人を思い浮かべながら。


 その様子は、なんだか面白そうだ。

 よし。

 これから毎年、バレンタインには手紙とチョコを送ろう。

 あの人がお金を送ってくる限り、私もそれを続けよう。








「ママー、あそぼー」


 最近、娘がよく喋るようになってきた。

 子供は覚えた言葉を何度も使う。

 近頃はいろんな男の人を見て、パパパパと言って困っている。

 娘には、パパはお星様になったと伝えてある。

 本当のことを伝える日のことを思うと胃が痛むが、今はまだこれでいい。


「女の子はね、おしゃれするんだよー」


 そんなおしゃまなことを言いながら、人形の髪を櫛ですいてあげる私の宝物を見ながら、1つの悪巧みを思い付く。


 もしかしたら、そのうちあの人の愛しい愛しい奥さまから、今度良かったら遊びに来ないかと連絡が来るかもしれない。

 そしたら、この子も連れていこう。


 あの人にパパって言う我が子。


 すいません、誰にでも言ってるんですよーと苦笑する私。


 あらあら。子供ってそういうものよねと微笑む奥さま。


 その時、あの人はどんな顔をするのか。

 それを想像するだけで、ふふふといたずらな笑みがこぼれる。











 前に母に、相手の男のことを恨んでいないのかと聞かれたことがある。


 その時は感情がぐしゃぐしゃでよく分からなかったけど、今なら分かる。


 どうでもいいかなって。


 もう、興味がなかった。


 でも、結果的に言えば感謝してるのかもしれない。


 私に、世界をくれたから。

 私の世界のすべてを埋めつくすような宝物を私にくれたから。


 私の膝ですうすうと寝息を立てる愛のかたまり。

 そのおでこにかかった髪をそっと撫でる。



 いつか、あなたが大きくなって、お酒を飲めるぐらい大人になったら、私のことを全部話そう。


 あなたは何て言うかな。

 私はそれに、何て言うかな。


「ふふ、楽しみね」


 私は今、幸せだ。




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― 新着の感想 ―
[一言] 重いですね。この想いは。 色々考えさせられましたけど、欲しかったのは火遊び的なスリルではなく愛なんだなと。 別れさせるよう仕向けるでもなく、口封じに金品を要求するでもなく、ただただ愛が欲し…
[一言] バレンタイン恋彩企画から伺いました。 (*´ー`*)金と人が居れば、父親なんぞいらん。 おっと闇が出てしまいました。失礼。 主人公は、夫は要らないけど子どもはいいよね!という方だったので…
[良い点] 『バレンタイン恋彩企画』から来ました。 個人的に、不倫の話は人間模様がくっきり出るので、読むの好きです。 ドキドキしながら読ませていただきました。 やっぱり苦い別れがあって、うう〜と思いま…
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