3 優しさすらも放棄して
することもなく聞く姿勢を取るにも座ることすら許されなさそうな雰囲気に、円花はさっさと負けを宣言して終わろうかと考えていた。
誰が優勝しても、円花には関係がない。
本来三回戦の場にいることがおかしいのだ。
「わたくしの父は、この小学校の卒業生なのですわ。お父様の時代にもこの「卒業式の代表選考会」はあって、父はその選考会に呼ばれることはありませんでした」
わたくしと同じ児童会の会長だったにも関わらず。
さすがの円花も反応せざるを得ない。
最初に集められた際、名言はされなかったけれど二十三人には共通点があった。
丑三円花。
牛真由香。
摩牛明。
牛込竜亥。
平牛仮令。
そして今年は丑年。
分かってしまえば理屈は簡単。
その年の干支の文字が苗字に含まれた児童が集められ、代表を決めるのが「卒業式の代表選考会」。
最初はただの偶然かと思っていたが、仮令が言うのなら間違いない。
自分たちにとってはただのイベントだったが、そうではない家もあった。
いや、よくよく思い返してみれば、円花の祖父母――父方の祖父母は円花を十二干支小学校に入学させることを希望していた。まさかその理由が、この勝負に参戦させるためだったとしたら?
「お父様はどうしても参加したかった。それが自分でなくても。だからわたくしを産んだ。婿養子になってまで」
仮令は自分の出生が今にあると分かった上で参戦していた。
名前が「平牛」だから、丑年に十二干支小学校の六年生になることを見越して生まれた。それはきっと、円花も同じ。
急激に吐き気を覚えたが、緊急を要するほどではない。
「お父様が見ている前で、敗北なんてありえないのですわ!」
必死な仮令に、円花は冷静に反応した。
「……いるの? ここに」
円花の問いに、仮令は笑顔で答える。
「ええ。見てくれていますわ。これがお父様の願いですもの。わたしくの勝利は
お父様に捧げる。親の願いを叶えるのが子どもの役割。わたくしは何も間違っておりませんわ」
言いながら、仮令は二階に目を向ける。二階には階段を使って上がれるので誰にでも簡単に行ける。
仮令の視線を辿っていけば、スーツを着たおじさんが偉そうに椅子に座ってこちらを見ていた。
なるほど、あの人が平牛仮令の父親らしい。
まさかの父親の参観状態。
真由香は友人をギャラリーという名の仲間として呼んでいたが、仮令は本当に勝つ瞬間を見てもらうためだけに呼んでいる。
「できることなら勝つ瞬間をお父様に見ていただきたいから、勝負はしてもらいますわよ」
人差し指で円花に宣戦布告をした仮令は自信に溢れている。
普通は授業参観なんて憂鬱でしかないの、嬉しくてたまらないタイプなのだろう。
「本当は負けてあげるつもりだったんだけど、負けたくない理由ができちゃった。悪いけど、手加減はしないからね」
負けられなくなってしまった円花に、仮令の眉がぴくりと吊り上がる。
「では、勝負の内容はどうします? 学力勝負は不可、怪我を負うようなのも却下させていただきますけれど」
「うん。学力勝負とは少し違うけど、体育で勝負しよう」
「た、体育……?」
巳浦先生に許可を取ってグローブを二つとボールを一個、用意してもらった。
勝負内容は単純明快。
「キャッチボールをしよう」
輸入直後というか。
「キャ、キャッチボール……?」
戸惑う仮令はグローブを初めて触るようでまじまじと眺めている。明に教わったばかりの拙いレクチャーを施した。
ルールはボールを落とした方の負け。
たったそれだけの説明に仮令は少しだけ考えて一つだけ質問した。
「距離はどうしますの?」
「平牛さん、ちょっと投げてみてもらえる? それで距離を決めよう」
「分かりましたわ。わたくしだけでは不公平ですので、そちらも投げて距離を確かめることにしましょう」
仮令の提案を受け入れ、小体育館の中で二人は適切な距離をとった。二人とも運動はさほど得意とは言えないようで、距離としては広すぎることはなく、声を張らなくても声が届く距離になった。
巳浦先生は腕を組んで小体育館の舞台に背を預けて立っている。
小学生同士の勝負なんて、スポーツの試合とは違ってさぞ退屈だとは思う。それでも見届けなければならないのが教師という職業だ。
心の中で「大変だなあ」と他人事のように思いながら。円花は左手にはめたグローブに右こぶしを叩き入れる。
明の見様見真似ではあるが、なんとなくグローブの感触が変わった気がした。
「なるべくこの場から大きく動かずにボールを取る必要がある。……投げる方に得があることになりますけれど、大きく外すなんてことはフェアプレー精神に反しますものね。よくできたルールだと思いましてよ」
「褒めてもらってありがとう。さ、そろそろ始めようよ。帰りが遅くなっちゃう」
制服から体操着に着替えることもしていないので、派手な動きは最初から制限されている。
昨日の朝も今日の朝も、円花は制服のままボールを投げた。明のボールを受けた時でさえ、制服だった。