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卒業式代表決定戦ー丑の段ー  作者: 天上いこい
5/18

5 好きな人

 見間違えるはずもない。

 なんたって円花の好きな人なのだから。

「ああ、そうだ。何があった? ひどい勝負があったとは考えられないが……」

 心配してくれている竜亥に空腹であることなんて言えるわけがない。恋する乙女の恥じらいでは口が裂けたって言えやしない。少ない力でお腹に力を入れて腹の虫が間違っても鳴らないようにしなければならないのだ。

「お、お水かお茶があったら……」

 お腹が空いたとは言えなくても、水分を求めるくらいなら妥協できた。

 円花は必死の思いで口にした。

 竜亥は困ったように眉をしかめたが、すぐに現れた竜亥の迎えに状況を説明して円花は竜亥の家の車に乗せられた。中では飲み物はもちろん軽食も用意されていて、すぐに円花は復活を遂げた。

「ありがとう、牛込くん。助けてもらって」

「いや、構わない。まともな休憩も与えられないまま選考会の勝負を始めた学校側が悪い」

 車の後部座席に並んで座る。

 こんな状況、想像も妄想もしたことがない。

 円花は差し出されたサンドイッチを小さく食べ進める。やはり空腹でも食欲はさほどない。

 自分が何かを得ようとする度、初戦の真由香の敗退が浮かんでしまう。

「本当に大丈夫か? 代表選考会の勝負をしていたんだろう、怪我はないか?」

「怪我はないよ、大丈夫」

 好きな人から心配されるなんて幸せすぎてどうにかなってしまいそう。

「この間の勝負が終わった後から、元気が出なくて……」

「初戦の相手は確か……牛真由香、だったか」

「知ってたの?」

 竜亥とはクラスが違うので教室で聞いたとは考えにくい。純粋に疑問に思っていると、竜亥から答えを教えてくれた。

「アイツ、たまに俺にちょっかいをかけてくるんだ。一昨日も君に負けたことを話しに来た。まるで君を悪者のように話していたが、どう聞いても悪者に仕立てようとしか聞こえなかった」

「…………」

 なんて女だ。

 人の悪口を堂々と他のクラスの男の子に――しかも円花の好きな人に言い触らしていようとは。

 さらには真由香の好きな人も竜亥であることがここで判明してしまった。

 真由香もまさかこんな方法で対戦相手だった円花に好きな人が知られるとは思っていなかっただろう。

「俺も参加者として餞別を送る真似はしない方がいいと分かってはいるんだが、君の様子を見る限り、かなり気にしているように見えてならない。負けた奴は負けるべくして負けた。情けをかけてやる必要なんてない」

 負ける奴は負けるべくして負けた。

 はっきりと言い切る竜亥に、円花の胸に痛みが走る。

 真由香はそうだったかもしれない。だけど、明は違った。負けたい理由があった。情けをかけて勝ってあげるしか、円花にはできなかった。 

 そして円花自身も、勝負を捨てようとしている。

 負けるべくして負けた。竜亥の言うことが正しいのなら、負けたくて勝っている円花は何なのだろう。

「まぁ、その、あれだ。深く考えるなってことが言いたいだけだ」

 気にするな、と竜亥は窓の外を見た。

 慰めてくれているのだと、今になって察した。

「……ありがとう、牛込くん」

 同じクラスになったことはないけれど、好きな人。

 初めて存在を知ったのは去年、五年生の年。

 五年生から参加できる委員会の初参加の日、中々終わらない話し合いで帰るのが遅くなった。

 一緒に帰ろうと約束していた友人も先に帰るといった内容のメモが靴箱の中に残していて、途方に暮れていた円花の前に現れたのが牛込竜亥だった。

 小学生らしからぬ大人びた人だというのが第一印象。

 登下校は車での送迎で、噂では家は想像を絶する豪邸だと言われている。

 私立の小学校なのだからお金持ちの家の子が通っていてもおかしくはないのだが、竜亥は異質に見えた。

「あっ」

 竜亥がただ歩くのを見ていた所為で、手に持っていた水筒を落としてしまった。

 丸い筒状の突起物のないタイプの水筒は止まることなく転がっていき、竜亥の足元で止まった。

「…………」

 無言で拾い上げられ、水筒を全方向から眺める。

 円花の家は庶民だ。祖父母の意向で十二干支小学校を受験して順調に卒業まで進級し続けている。そんな円花の水筒は量産品の、ともすれば意図せずどこかで知らない誰かとお揃いが発生しているような代物。

 お金持ちにはむしろ珍しいのかと緊張しながら成り行きを見守る。

 竜亥が水筒を円花に差し出す。どんな批評が来てもくじけない気持ちをもって、両手を差し出した。

 水筒が渡されると同時に下された言葉に、円花は目を丸くした。

「どこも傷ついていないようでよかった」

「あ、ありがとう……」

 竜亥は庶民の水筒を見定めていたのではなく、傷がついていないかを確かめていた。

 大人びているのに子供っぽさのある笑顔に、円花は一瞬にして恋の泉に落ちた。

 そこからずっと、片思いを続けている。

 遠くから存在を確認できるだけで十分幸せな気分になれていたというのに、車に乗せてもらえるなんて。一緒に下校できているだなんて。

「着きましたよ、竜亥さん」

 運転手の声に過去からのトリップから戻ってきた円花は、もっと話せばよかったと後悔した。共通の話題なら、卒業式の代表選考会があったのに。

 どんな人とどんな勝負をしたのか、相手が竜亥でなくとも興味はあるのに。

「寄り道をさせてしまってすみません」

「いいえ、竜亥さんのご学友ですので」

 竜亥よりもずっと大人な運転手の男性が後部座席の扉を開けてくれる。

 お姫様になった気分で車を降りる。

「またいつ勝負の日程が組まれるか分からないから、しっかり休んでおけよ」

「……敵になるかもしれないのに、いいの?」

 どこまでも優しい竜亥に、円花はつい尋ねた。

 次の勝負でも負けようと思っているのに、なぜ自分から敵になるかもと言ってしまったのか。

「勝負をするなら、万全の状態の方が倒しがいがある……なんてな。また倒れられたら面倒なだけだ」

 ふっと笑って扉が閉まる。運転手はくすくすと笑っていた。

 運転手が笑うのを見て、竜亥は円花に優しい言葉をかけていたと確信を持った。台詞だけでは勝負に真剣な人なのだと感じて終わり。しかし、さっきもそうだが、最初の言葉の後にくる言葉が本音なのだとしたら。本音の中にあるのは、純度の高い優しさ。

「送ってもらって、ありがとうございました。……牛込くんにも伝えておいてください」

 扉が閉まってはお礼の声は聞こえていないだろうと思って言ったが、運転手は「聞いていらっしゃいますよ」とほほ笑んだ。

 深くお辞儀をして、車が発進する。

 見えなくなるまで、エンジンの音が聞こえなくなるまで、円花はずっと家に入らずに見送った。

 完全に見えないところまで走ったのを確認して、歩き出す。

 目の前の家から離れて、駅を目指した。

 丑三と書かれた表札の家。

 ここは円花の家ではあるが、円花の家ではなかった。



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