3 心理戦
そちらが心理戦で挑んでくると言うのなら、こちらも心理戦で応戦してやろうではないか。
円花は慣れない戦略を脳内で組み立てようとしたが、心理戦の仕方なんで知る由もなかった。
小学生が心理戦なんて高度な戦略を使えるわけがない。
難しい武器だから、真由香は友人という追加武器を用意した。
一人では戦えない。それが真由香の弱点になる。
対して円花はたった一人。兎丸先生の注意事項を聞いた上でなお、誰にも話さずにやってきた、正真正銘の独りぼっちである。
「牛さん、ありがとう。ありがたく勝たせてもらうね」
「……え?」
胸を張って真由香だけの目を見つめる。困惑した真由香の表情が美少女のものから多少崩れていく。
「よかったあ。本当は私も戦うつもりなんてなかったの。だって牛さんに何かあっても私には責任取れないしね。牛さんが負けてくれるなら、安心して戦わずに済むね」
大袈裟かと円花自身も思うレベルで胸を撫で下ろして、虎泉先生に勝ちを宣言する。
「先生、私の勝ちらしいです」
「ちょっと待ってよ、丑三さん! 本当にいいの? だって、最初負けようとしていたんでしょう? だったら……」
「うん。戦いたくないから負けようと思っていたけれど、牛さんだって同じだね。誰かを蹴落としてまで勝ちたくないとも言った。私はそこまで考えてなくて、勝てるなら勝つよ。牛さんの優しさに甘えて、勝ち続けてあげようって思っているよ」
敗北感なんて微塵も感じさせないホッとした顔を作り、あくまでも「ありがとう」と感謝の低姿勢を忘れない。
「牛さんの分も頑張るね」
これで終わるとは思っていないが、ここで勝負が決まってくれれば楽なのになと願いながら言い切る。心から思っていないことばかりを羅列して。
真由香の表情がさらに美少女からかけ離れる。きっとこれが彼女の本来の性格が表れた顔なのだろう。
「待って! おかしいよ! どうして? 私が負けてあげるって言ってるんだから、そこは「私が負けてあげるから真由香ちゃんの勝ちでいいよ」って言うところでしょ⁉」
声を荒げて本音をぶちまける真由香の頭にはもう心理戦なんて言葉は消えている。
「私に勝ちを譲るのが当然でしょ⁉ みんなもそう思うよね⁉」
体育館の入り口に並ぶ三人の美少女たちに顔を向けて返事を強要する。
初めて見る四天王の一人の醜い顔に、三人の美少女たちは子供らしい恐怖におびえた顔で身を寄せ合った。
震える三人の美少女は、もう真由香を友人だとは思えていない。
学年最強可愛い四天王の一人はもう、学年で最強可愛いではない。
誰が見ても。
「な、なんで……?」
状況を理解できていない真由香に真実を告げるのは、いくら教師の立場である虎泉先生でもためらってしまう。
その責任も、円花が背負うことにした。
「牛さん、今、自分がどんな顔をしているか分かってる? よかったね。男子が一人もこの場にいなくて。せっかくの可愛い顔が崩れるところなんて、イケメンの男の子には見せられないもの」
作戦も何もあったものではないただの真実に、真由香の顔面が真っ白になっていく。
自分の顔を手で触り、「違う……そんなことない。私は可愛い。私は可愛い」と呟いて、走って体育館のトイレへと駆け込んでいく。女子トイレの鏡でどんな顔をしているのかを確認したと思われる頃、悲鳴が聞こえた。
「ま、真由香ちゃん……」
三人の内の誰かが名前を呟き、悲鳴の途絶えない女子トイレに三人とも走って行った。
体育館に残ったのは、円花と審判を務める虎泉裕子先生。
ちらりと先生を見上げると、頷きが返ってきた。
「勝者、丑三円花ちゃん」
あまり嬉しい勝ち方ではなかったが、勝ちは勝ちだと円花は小さく息を吐いた。
夏休みの経験がなければ、泣いてしまいかねなかった。
この勝負は心理戦と言いつつ、どちらが精神的に意地汚い大人なのかの勝負でもあるようだった。
耐えきれなかった方が負け。
そんな勝負だったと円花は振り返った。