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偽装婚活

作者: 青井青

「すごい……女が男を狩りにいってる……」


 チェリーブランデーのグラスを手に遙香がつぶやいた。


 司会者がパーティの開始を告げるやいなや、女性たちがいっせいに男性たちに群がっていく光景にあ然とする。


 隣にいる友人の真紀が冷静に言った。


「男性は年収1000万以上限定のセレブ婚活だからね。女の方がガツガツしてるのよ」


「なるほどね」


「すぐいっちゃダメよ、遙香。まずは様子見。ホテルのデザートビュッフェと同じで最初に行列ができるだけ。三十路女の余裕を見せてやりましょう」


 遥香が、ちょっと、とたしなめる。


「声が大きいわよ。私たち、27歳、独身っていう〝設定〟でしょ?」


「そうだった、そうだった」


「バレたら運営から違約金を請求されるんだから注意してね」


 雑誌の編集者をしている真紀に誘われ、遙香は年齢を偽ってセレブ婚活に潜入していた。目的は体験記事を書くためである。


 実年齢はともに34歳、既婚で夫もいる。結婚以来、色恋とは無縁だったので、大型クルーズ船でのパーティは遙香の気持ちを浮き立たせた。


「ねえ、あの人たち、こっちを見てるわよ」


 隣の丸テーブルから二人組の若い男がこちらをチラチラ窺っている。


「来るわよ。準備はいい?」


 真紀が小声で注意を促し、遙香が心の準備を整える。やがて男たちが近づいてきた。


 ◇


「すごい……海から見る東京の景色はぜんぜん違いますね」


 クルーザー船のデッキから遥香は柵越しに東京湾の夜景を見つめ、頬のほつれ毛を指でかき上げた。


「この夜景を見るだけでも、パーティ代のもとがとれますね」


 隣で成瀬達也が微笑み、「座りませんか?」と遥香をベンチに誘導する。


 成瀬は32歳の会計士だった。年上ということになるが、実際は34歳の遙香より年下である。


「あまりこういうところには来られないんですか?」


「真紀に連れられて来たんですけど、パーティなんて久しぶりで……」


「たしか、真紀さんは大学のお友達なんですよね?」


「入学して一般教養のクラスで一緒になってからもう15年以上の付き合いです。今でも何でも話せるいい友達です。お――」


 危うく「夫」と口にしかけて止めた。学生の頃は、今の夫の祥吾も交え、三人でよく一緒に遊び回った。


 成瀬が一瞬、けげんな顔をする。


「15年ですか? 9年ではなく?」


「あ、すいません。そうですね。9年です」


 まずい。34歳を27歳とサバを読んでいたのを忘れていた。さすがは会計士だ。数字に細かい。にしても嘘は怖い。全てに整合性が求められる。


「でも、お二人とも独身なんですね……こう言ってはなんですが、お二人ともすごく素敵なのに」


「ありがとうございます。成瀬さんと同じです。二人とも仕事に打ち込み過ぎて……」


 既婚で人妻だとは口が裂けても言えない。


「あの、篠原さん――」


 成瀬が真剣な眼差しを向けてくる。


「は、はい」


 プロフィールカードに記載した「篠原」は結婚前の旧姓だ。久々にその名で呼ばれ、独身に戻ったようにドキドキした。


「あなたを初めて見たときから僕は惹かれていました。気が早いのはわかってるんですが、結婚を前提にお付き合いしていただけないでしょうか?」


「え!?……」

 

 突然の告白に遥香は戸惑うが、冷静に考えれば、ここは結婚したい男女が集まる場だ。むしろダラダラ引っ張る方が例外なのだ。


(どうしよう……)


 独身という設定で結婚相手を探しに来ている以上、すぐに断るのもまずい気がした。


(多少は悩んでみせなくちゃ……たとえフリだけでも……)


 耳の奥で鼓動の高鳴りが聞こえる。


 沈黙を違う意味に受け取ったのか、成瀬が弁解するように言った。


「すいません。少し結論を急かせすぎましたかね」


 後ろめたい思いで遙香は押し黙る。


(期待を持たせても成瀬さんに悪いわよね……結婚して夫もいるのにお付き合いなんてできるわけないんだから。でも今それを言うのは……)


 悩んだ末、遙香は結論を先延ばしにして、とりあえず連絡先を交換することにした。


 後日メールで、残念ですがお付き合いはできません、と伝えればいい。それがいちばん角が立たない別れ方だと思った。


 ◇


 夜、家路につく遥香は会社から駅までの道を歩いていた。手に持つレジ袋には、途中のコンビニで買った季節限定品のプリンが二つ入っている。

 

「遙香さんじゃないですか?」


 突然、声をかけられた。道ばたに赤いスポーツカーが停まっていた。車の窓から成瀬が手を振っている。


「成瀬さん?……」


「ちょうど、近くに顧問契約を結んでいる会社があったんです。遙香さんに似ている方が歩いてらっしゃったから……」


 あのクルーザー船での婚活パーティから一週間が経っていた。まだ成瀬に別れは告げていない。多少、悩んだフリをしてから断ろうと思っていた。


「これからお帰りですか? お送りしますよ」


「い、いえ、けっこうです」


 自宅では夫が待っている。第一、自宅の場所を知られたくない。


 にしても、偶然見かけただって? この広い東京でそんなことがあるのだろうか?


「ご自宅、練馬ですよね。僕の家、成増なんです。近いので気にせず乗ってください」


 今度こそ心臓が止まるほど驚いた。


「どうして私の自宅を?……」


「え?……いえ、パーティのとき、遙香さん、ご自分でおっしゃってましたよ。ご実家が志木だから、会社のある池袋と志木の中間ぐらいに住みたかったって……」


 遙香は混乱した。そんなことを言っただろうか? 立食パーティの最中はお酒も入っていたし、婚活の高揚感もあってよくしゃべった記憶はあるけれど……


 運転席を降りた成瀬が車を回り込み、助手席のドアを開けた。


「さ、どうぞ。ご心配なく。駅前までお連れするだけです。送り狼になったりしません」


 結局、乗らざるを得なかった。あまり強く拒否しては怪しまれると思ったからだ。


 隣の運転席では成瀬がハンドルを握っている。高級そうなスポーツカーだったが、本革シートの感触を味わうどころではなかった。


「パーティのときもお伝えしましたが、僕は篠原さんとのお付き合いを真剣に考えています。もちろんその、結婚を前提とした……です」


 遥香は必死に頭を働かせる。


(……今から人妻だって正直に言えば? 謝ってしまうのはどう? 結婚してるんです、ごめんなさいって。土下座でもなんでもして……)


 思いながら途中ではたと気づいた。

 

(ああ、だめよ。違約金! プロフィールに虚偽の記載があったら、高額な違約金を請求しますって婚活パーティの規約に書かれてたじゃない……)


 ことは謝れば済む問題ではない。進退きわまって押し黙る遥香をよそに、成瀬は上機嫌で仕事の話をしつづけた。


 駅が近づき、成瀬が言った。


「ご自宅は西口側ですよね?」


 今度こそ、心臓が跳ね上がるほど驚いた。西口側――と言ったのか? 詳しい住所までもう知っている?


「せっかくだから家の前までお送りしますよ」


(どうして家の住所を知ってるの?)


 遙香は動揺した。いくら酔っていても、パーティで口を滑らせるわけがない。それとも酔っていて自分でも覚えていないのだろうか?


 ほどなく車は自宅マンション前に到着し、成瀬が車の窓から建物を見上げる。


「いいマンションですね。でもこの大きさならファミリー層向けですよね。お一人では部屋をもてあましませんか?」


 ギクッと顔が強ばる。将来、子供ができたときに備え、夫と相談の上、少し広めの部屋に入居したのだ。


(まさか私が既婚者なのも知ってる?……)


 いや、と遥香はその考えを打ち消した。だったらこんなに自分に執心するはずがない。猛アタックをかけるのは口説けると思ってるからだ。


 重苦しい沈黙に成瀬が顔を曇らせた。


「……僕は付き合う相手として物足りないですか? 篠原さんが求める条件を満たしていませんか?」


 そんなことはない。32歳で年収1000万円以上。一流大学卒。背も高く、さわやかなスポーツマン……多少、強引なところがあるけれども、非の打ちどころがない。


「逆になぜ私なんでしょうか?」


「あなたじゃないとダメなんです」


「成瀬さんには、私よりもふさわしい人がいる気がします」


 陳腐な常套句と言いたいところだけど、本音でそう思う。あのクルーザーには独身のきれいな若い娘がたくさんいたではないか。


 男の顔が苦しげにゆがんだ。


「篠原さんがもう心に決めた人がいるならば、いさぎよくあきらめます。でも、そうでないなら、もう少し僕という人間を知ってもらえませんか?」


 ああ、どうしよう? もうこの際ぜんぶ告白してしまおうか。でも、違約金が――いや、と遙香は打ち消した。違約金なんてもうどうでもいい。


「あの……実は私、成瀬さんに言わなくちゃならないことが――」


 覚悟を決めて口を開いたときだった。フロントウインドウの向こう、街灯の下に見慣れたスーツ姿の男性が見えた。


 遥香はとっさにシートにズルズルと沈み込んだ。手からコンビニのレジ袋が落ち、足もとにプリンのカップが転がる。


(祥吾さんだ! 見つかる!)


 帰宅する夫の姿に遙香は激しく動揺した。


「……どうされたんですか?」


 成瀬がけげんな表情を浮かべる。


「あ、いえ……ちょっと……」


 身体を沈み込ませたのを女からの誘いとでも勘違いしたのか、成瀬が覆い被さってきた。男の顔が迫ってくる。


(え?……ちょっと待って!)


 両腕をつかまれて逃げられない。暴れて起き上がれば夫に見つかってしまう。


(だめ……キスされる!……)


 遥香はぎゅっとまぶたを閉じた。


(?…………)


 だが、それ以上、何も起こらなかった。恐る恐るまぶたを開いた。成瀬の目が車の床に向けられていた。転がったプリンのカップをじっと見つめている。


「……もう付き合っている方がいるんですか?」


 それではたと気づいた。


(そっか、プリンが二つあるから……)


 誰かのために買って帰ろうとしていると思ったのだろう。それでひらめいた。


「はい……実はあの婚活パーティで、成瀬さんの他にも声をかけていただいた方がいて……その人とも同時並行で……」


 結婚をしているなんて馬鹿正直に言わなくてもいいのだ。(結婚はしてないけど)付き合っている人がいればいい。


 多くの候補から早く最適な相手を見つけ出すため、婚活パーティを通した出会いでは二股が認められている。


「……どんな方なんですか?」


 成瀬の声がかすかに震えていた。


「普通の会社に勤めている方です。営業のお仕事をされていて、年収は成瀬さんのほど多いわけじゃないですけど……」


 夫のことをそのまま話した。


「成瀬さんのように、熱意のある人には憧れます。でも私はお互い気遣いできる関係の方が落ち着くようなんです」


「…………」


 成瀬は黙っていた。やがて体を離すと、床に落ちたプリンを拾い、レジ袋に戻して差し出した。


「強引なやり方をしてすいませんでした。お詫びします」


 ドアのロックが外れる音がする。レジ袋を手に遥香は助手席から外に出た。辺りにはもう夫の姿はなかった。


 運転席の窓が降り、成瀬が言った。


「でも、僕はまだあきらめません。サッカーにはホイッスルが鳴っても、ゴールをあきらめるなという言葉があるんです」


 遥香は首をかしげた。ホイッスルが鳴ったら試合終了では?


「ホイッスルが〝鳴り終わる〟まであきらません。篠原さんがその方と結婚をされるまで、試合は終わっていませんから」


 成瀬がさわやかに笑い、白い歯がのぞいた。本人は決まった、と思っているのだろう。


(ごめんなさい、ホイッスルはもう鳴り終わってるんだ……私、結婚してるから……)


 もちろんよけいなことは言わず、遥香は黙っていた。


 エンジンが唸りをあげ、赤いスポーツカーが夜の闇に消えていく。それを見送りながら、これでよかったのだと思った。


 遥香は軽い足取りで、夫が待つマンションへ歩きだした。


 ◇


 停車した車のシートに、成瀬が体を沈め、手元のスマホを覗きこんでいた。画面には遥香の個人情報が表示されていた。


 番地が入った住所、マンション名、部屋番号も記されていた。電話番号、生年月日、大学名まで載っている。


 電話の呼び出し音が鳴り、スマホをタップする。


『遙香、どうだった?』


 女の声が聞こえてきた。


「今回は断られました。でも、ありがとうございます。有紀さんのおかげです。彼女の会社や自宅の住所まで教えてもらって」


『私、人の恋をサポートするのが好きなのよ』


「でも遙香さん、他にもういい人がいるようですね」


『ああ、大丈夫よ。実はね……その人、私といま付き合ってるの。もうすぐ遙香と別れさせるから、遠慮なくアタックして』


「なるほど……お互いの利害が一致してるわけですね」


 成瀬は電話を切り、改めて遙香のプロフィールを呼び出す。


(篠原さん……)


 遥香の顔写真を愛撫するように指を這わせる。今夜はこれで充分だ。距離を詰めすぎると嫌がられる。


「これで最後になんてさせないよ……」


 妖しい笑みを浮かべると、成瀬はスマホを助手席のシートに放り投げ、車のエンジンを入れた。


(完)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 最後の成瀬さんの電話相手は真紀さんと考えてよいのでしょうか。
[良い点] ※ネタバレ含みますので未読の方はご注意ください。 思わず声が出ました。なるほどそういうことか…笑 この感じだと成瀬は遙香のストーカー……?笑 この作品のような、最後にあっと驚く事実が分か…
[一言] こえぇぇぇぇぇ! ((( ;゜Д゜))) まさかこうなるとは……! 面白かったです!
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