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壱.一室にて

 翌日。


「世間話でもしましょう」


 そう言うと、雪原は帰ろうとする栗原を引き止め、別宅に招いた。

 栗原はどこに行くとも知らされず、ただ雪原について来ただけだったが、玄関に出迎えた鏡子を見て、察しがついた。


「麟太郎殿、面食いですな」


 にやりとする。

 雪原は困ったなといった感じで、苦笑いを返した。


 鏡子は突然の来客に驚きながらも歓迎し、栗原に丁寧にあいさつをした。

 その様子が、奥の部屋に伝わったのだろう。

 何事だろうと、椿とともに柚月がひょっこり顔をのぞかせ、今度は栗原の方が、これはハメられたな、と困った顔になった。


「どうぞ、おあがりください」


 愛想よく招き入れようとする鏡子を、雪原は止めた。


「すみませんが、何か都土産になる物を見繕ってきてもらえませんか。ほら、私では、よく分からないから」


 雪原はいつもの調子で微笑んでいる。が、鏡子は察しがいい。


「では、夕方には戻ります」


 そう言って、椿を連れて出かけて行った。


 雪原は自身の部屋に栗原を案内すると、向き合って座り、改まった。

 雪原の顔が、やや緊張している。


 そこへ、「失礼いたします」と、柚月が茶を入れて現れ、雪原は驚いた。

 柚月が来たことに、ではない。

 茶を入れてきたことに、だ。


「自分で入れたのですか?」


 思わず聞いた。茶たくにまで乗せている。

 柚月もまた、少し驚いた顔をした。なぜそんなことを聞かれるのだろう、という顔だ。


「はい」

 

 当然のように答える。


「こういうのも、小姓の仕事ですよね?」


 逆に聞いた。


「なんだお前、宰相殿の小姓になったのか。大した出世だな」

「うっせーな」


 横から茶化す栗原に、柚月は不機嫌そうに顔をゆがめたが、打って変わって改まった。


「自室にいますので、何かあれば呼んでください」

 

 これまた小姓のように言って、一礼する。


 雪原は正直驚いた。

 これまで気が付かなかったが、柚月はどうやら、武士としての教育を受けているらしい。


「では、半刻ほどしたら、もう一度お茶をお願いします」

 雪原は、まだ半分驚きの中にいるような顔でそう言うと、

「今度は、柚月も分も」

 と、加えた。


「俺の分も、ですか?」

 柚月は聞き返したが、すぐにその意味を理解したらしい。

「分かりました」

 そう言って礼儀正しく頭を下げると、下がっていった。

 

 柚月の足音が遠のいていく。

 雪原はそれを聞きながら、静かに口を開いた。


「私の方からは、何も伝えていません」


 栗原は廊下を行く柚月の姿を目で追っている。


「構いません。もし、知る必要があるのなら、いずれ自然と知れましょう。そうでないなら、アレの人生には必要のないことです」

 

 そう言うと、茶を一口口にした。


「これは、権時殿の教育の賜物ですね」


 権時とは、柚月の父親だ。

 雪原が、湯呑の茶を見つめながらそう漏らすと、栗原は、おや、と眉を跳ね上げた。


「麟太郎殿が教えられたのではないのですか?」

「いえ、私はなにも」


 そう言いながら茶を一口口にし、雪原はさらに驚いた。

 うまく入れている。

 濃すぎず薄すぎず。いい塩梅だ。


 栗原も嬉しそうに、柔らかい表情をしている。そして、湯呑を茶たくに戻すと、そのままの表情で口を開いた。


「で、人払いまでして、私に何のお話でしょう」


 鏡子と椿を外に出したのも、そのためだろう。

 世間話と言っていたが、場所を変え、さらにこうも厳重に人払いをするとあっては、よほどの話があるにちがいない。


「さすが、お見通しでしたか」 


 雪原はそう言って微笑むと、居ずまいを正した。


「単刀直入に申し上げます」


 切り出した雪原の声が、緊張している。


「栗原殿に、先生になっていただきたいのです」


 そう言うと、雪原はまっすぐに栗原を見つめた。


「先生?」

「ええ」


 雪原の目は真剣だ。


「私は、国を変えるのは、武力ではないと考えています」


 武力で制圧すれば、短期間で多くの者を黙らせ、従わせることができる。

 だが必ず、制圧された側の大きな不満、そして、武力の犠牲になった者の悲しみや憎しみを伴う。

 それは大きな力となり、また戦へと発展する。

 どこまでも負の連鎖が続いていく。


「必要なのは、人の心を変えること。そして、そのために、教育が重要だと考えているのです」

「よい、お考えですな」


 栗原も共感した。

 時間はかかるが、平和的、かつ、恒久的変化になるだろう。


「参与はじめ、役人たちの意識改革は重要です。ですが、その。大人になるとなかなか」


 雪原が言葉を濁すと、栗原は笑った。


「なかなか。大人は頭が固くていけませんな。自分の未熟さや過ちを認めることもできず、考えを変えようとしない。誇りもあるから、目下の者や新参者の言うことなど、なおのこと聞きませんしな。相手が正しいと思えば、より一層かたくなになり、聞き入れないとくる」


 栗原に代弁され、雪原は苦笑した。

 栗原も元宰相、それも、下級武士から異例の出世をした身だ。

 外交官から陸軍総裁、宰相という、これまた異例の出世をした雪原の苦労が分かる。


「そこでまずは、若い世代の教育に力を入れたい、と考えているのです」

「なるほど。世代交代によって、国にはびこる意識そのものを変えるお考えですな」


 栗原の理解は早い。


 子供に次世代的な思想を説き、教育を受けされる。

 そうすることで、その子供たちが大人になり、社会を担うようになると、国全体がその考えに染まる。


 ちょうど、男女平等の教育を受けた世代が大人になり、社会をけん引する立場になることで、男尊女卑が当然という考えが、時代遅れとされるのと同じだ。


 そうして、悪しき習慣、思想を排除していく。


「そのために、各国に国営の学校を作ろうと考えておりまして。旧都にも一校考えているのです。それで、栗原殿には、ぜひ、そこで教鞭をとっていただきたい」

 そう言うと、

「お引き受けいただけますよね?」

 と、栗原の顔を覗き込んだ。


 この方法は、平和的、かつ、恒久的変化をもたらす。

 しかし、大きな危険を伴う。

 

 子供とは、純粋なものだ。

 それ故、いかようにも染まる。

 教育者は、信用に足る人物でなくてはならない。


 広い視野を持ち、この国の未来を、人を、平和を、真に思う人物でなければ。


 栗原は茶をすすると、やれやれといった顔をした。

 以前会った時には、国政に戻ってほしいと言われ、今度は次世代の教育に協力しろと言う。

 年寄りを休ませてはくれないらしい。


「しかし、私に何を教えろとおっしゃるのです」

「読み書きそろばん、おできになりますよね?」

「そりゃまあ、それなりに」

「十分ですよ」


 雪原は嬉しそうに微笑み、

「それから、剣術も」

 と加えた。


「剣術も、ですか」


 それは栗原には意外だったらしい。

 平和を目指すこれからの時代に、似合わない気がした。


「人を殺す(すべ)としてではなく、その心を教えていただきたいのです」

「心を?」

「ええ」


 雪原はまた栗原の顔を覗き込んだ。


「お引き受けいただけますよね?」

 

 微笑んでいる。

 穏やかだが、有無を言わせない圧がある微笑だ。


「仕方ないですな」


 栗原は茶を置いた。

 こう迫られては。


「できる限り、お力になりましょう」


 折れた。

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