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壱.日之出峰

 柚月が雪原の別宅に帰り着いたのは、昼過ぎ。


「ただいま」


 玄関の戸を開けると、雪原の愛人、鏡子が血相を変えて出てきた。鏡子は、町を歩けば人が振り向くほどの美人だ。そのきれいな顔が、ゆがんでしまってる。

 柚月はその顔を見た瞬間、あ、やばい、と本能的に感じた。


「柚月さん!どこに行っていたの⁉ 出かけるときは、声をかけてくださいって、いつも言っているでしょう!」


 鏡子の掴みかかってきそうなほどの剣幕に、柚月はすぐには声もでず、苦笑いになる。


「まあまあ、柚月も子供ではないのですから」


 穏やかな声で助け舟を出したのは、雪原である。

 鏡子が尋常ではない様子で玄関に駆けて行ったので、様子を見に、ひょっこり顔を出した。が、それが雪原の不運だ。とんでもなく厳しい目で鏡子に睨みつけられ、今度は雪原が、やや、これはまずい、と直感した。


 柚月は前科がある。

 先の戦が終わった直後、運び込まれた本陣の医務室から突然姿を消し、十日も行方知れずになった。最後に姿を見たのは、雪原の世話係であり、共にこの家で暮らしている椿だ。

 

 柚月の無事が分かるまで、鏡子は椿とともに大いに心配し、夜もろくに眠れなかった。

 以来、柚月には、出かける際は必ず声をかけるように、と厳しく言っている。にもかかわらず、今朝、朝食の席に現れないので部屋を見に行くと、すでにもぬけの殻だった。

 そして、今である。


「すみません、朝から。あの…、日之出峰に、行ってて」


 柚月がやっと発した言葉に、雪原も鏡子も「あ」と思い、今度は二人が言葉を無くした。

 鏡子は強く責めることができなくなり、「今度からは、本当にちゃんと、声をかけてくださいね」と念を押すと、部屋へ戻っていった。


「では、昼食にしますか」

 残された雪原が柚月に微笑みかける。


 もう昼は過ぎている。

「まだだったんですか?」

 柚月は驚いて目を丸くした。

「お預けだったのですよ、柚月が帰って来ないから」

 雪原は冗談っぽく柚月を責めたが、その目は温かい。



 気持ちの整理ができたのか、あるいは、何かを断ち切ったのか、柚月の顔は、幾分、すっきりしている。それが、雪原の心を明るくした。


 先の戦は、柚月にとって、辛い物だったことは明らかだ。


 この戦の根は深い。

 (もと)となったのは、二百年の時をかけて、人々の心の中に育った憎しみである。

 水面下に隠れていたその憎しみが、明らかな荒波となって姿を現したのは、先の将軍の死。それを機に、この将軍の二人の息子をめぐって、城内が割れたところに始まる。

 その混乱に乗じて、西の国「萩」から、|楠木良淳≪くすのきりょうじゅん≫率いる「開世隊(かいせいたい)」が、兵を挙げたことで、事態はさらに悪化した。


 柚月はもともと、この開世隊の隊員、それも、政府要人を暗殺する人斬りだった。それが、政府で二番目の地位、将軍補佐を務める宰相、雪原麟太郎の元に来たのは、仲間の裏切りにあったからだ。

 殺されかけたところを、当時陸軍総裁だった雪原が助けたのが縁だった。


 開世隊は、もとは、楠木が開く私塾「明倫館(めいりんかん)」の塾生で作られたものだ。幼くして天涯孤独となった柚月はそこで育ち、この明倫館からともにいる者たちは、家族のようなものだった。

 中でも楠木は、柚月にとっては師であり、父でもあった。


 その裏切りは、ただの仲間の裏切りではない。家族からの裏切りだ。

 柚月は、帰る場所も無くした。


 しかもその後、その開世隊(かぞく)は、内部抗争を起こし、発展して分裂、楠木率いる開世隊は、脱退する隊員を狩り始め、追われることになった者は、新たに「擾瀾隊(じょうらんたい)」を結成した。


 一方で、楠木は、その混乱を隠れ(みの)に着々と事をすすめ、国元の萩を巻き込んで開世隊を萩との連合軍にし、さらに、当時将軍の座にあった冨康(とみやす)をも取り込んで総大将に据え、都に攻め込んできた。


 肩書に縛られ、実力を評価しない。そんなこの国を恨み、自分こそが国を統べるにふさわしいと、毒々しい情念を燃やして。


 それが、先の戦である。

 政府軍は擾瀾隊の援護もあり、勝利することができた。


 だが。


 この戦を終わらせるため、交戦の最中、柚月は楠木の元に向かった。師と仰ぎ、父と慕った楠木を斬る、そう決意して。


 再会した楠木は、すでに人の様をしていなかった。

 まさしく、鬼。

 憎しみにとらわれた鬼と化し、柚月に刀を向けたて来た。そして、柚月の目の前で討たれた。

 討ち取ったのは、雪原の護衛隊だった。


 さらに、唯一無二の親友である瀬尾義孝(せおよしたか)は、行方知れずとなり、いまだその消息はわかっていない。


 戦場で最後に彼を見たのは、現将軍、剛夕(ごうゆう)と、その護衛に当たっていた椿である。

 椿は、表向きは雪原の世話係だが、その実は、雪原の護衛であり、お抱えの人斬りでもある。次期将軍に据えるべき剛夕の護衛には適任だった。


 城に敵が迫り、雪原から、剛夕を市内になる本陣へ連れるよう命が下ると、椿は剛夕とともに城をでた。

 日之出峰を抜けて、市内へ。


 だが、その道は至難を極めた。

 山中で、敵である開世隊と遭遇したのだ。そして、そこを助けたのが、義孝だった。


 義孝は、幼い頃から、柚月とともに明倫館で育った。当然、開世隊の人間だ。かつて、仲間とともに柚月を裏切り、殺そうとした。


 だが、後悔しかない。


 悔やみ、迷いながら楠木の計画に参加し続け、その任務で訪れた日之出峰で柚月と再会し、仲直りをしたばかりだった。


 そして、共に新しい国を生きようと、約束をしていた。


 義孝は、椿と剛夕を逃がすため、追っ手の足止めをかって出ると、銃声を残し、消えた。そのまま行方知れずとなり、遺体も見つかっていない。


 状況から考えて、生きてはいない。


 誰もがそう思っている。だが、誰も、柚月にそうは言えない。柚月はまだ、微かな希望を、すがるような思いで持ち続けている。その灯が消えれば、柚月は生きていけないのではないか。そう皆が案じるほど、柚月にとって、義孝は特別な存在だ。


 柚月が今朝から行っていたという「日之出峰」は、楠木が討たれた場所であると同時に、そんな義孝が消えた場所でもある。

 

 柚月にとって、特別な場所なのだ。


「山は寒かったでしょう」


 雪原の声は、柚月の心中を想う優しさと、体調への気遣いが混ざっている。柚月はつい先日まで、熱を出して寝込んでいた。


「はい。でも、雪が降る前に、一度行っておきたくて」


 楠木の最期の場所に。そう言いたいことも、雪原には伝わった。


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