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 翌朝、朝食を知らせに、離れに行ったはずの鏡子が戻らず、雪原が様子を見に行くと、鏡子は渡り廊下の手前で立ち尽くしていた。その視線の先で、柚月と栗原が立ち合いをしている。


 雪原に気づいた鏡子が、どうしましょうと目で問うと、雪原は鏡子の肩に手を掛けて制した。視線は、二人の立ち合いにくぎ付けになっている。


 狭い庭で、木刀を手に向き合い、互いの様子をうかがっている。柚月の方が押されているのか、息が上がっている。一方、栗原は涼しい顔だ。


「まだまだじゃの、若造」


 挑発する元気まである。悔しさをにじませた柚月が、突きに転じた。速い。決して本気ではないだろう。だが、真剣なら確実に相手を仕留めている。そんな速さだ。だが、栗原はあっさりかわした。その猪突猛進な一撃を、

「イノシシか」

 と笑っている。


「くそっ!」


 柚月は肩で息をしながら、悔しそうにそう漏らすと、すっと正眼に構えた。柚月を取り巻く空気が変わった。栗原もそれを感じたのだろう。柚月に向き直る。次第に柚月の呼吸が整い、カッと強い眼力で栗原を捉えると、恐ろしい速さで胴を狙った。栗原は予想していたかのようにかわすと、面を打ち込む。その一刀が、見事に柚月の脳天を打った。


「いぃいいいいいいいぃいいいぃ!」


 痛い。とさえはっきり言えないほど痛かったのだろう。柚月は頭を押さえてうずくまった。


 勝負あった。


「修業が足りんのう」

 栗原が高らかに笑う。


「くっっそう」

 柚月は涙目になりながら、その栗原を悔しそうに見上げた。


 雪原に笑みが漏れる。いい朝だ。そう思った。




「ちょっと、城に行かないといけなくて」

 朝食を終えると、雪原はそう苦笑して、栗原の見送りに行けないことを詫びた。代わりに、柚月に関所まで送くらせるという。栗原はもう抵抗もせず、雪原の気遣いを受け入れた。


「じゃあ、ちょっと行ってきます」

 柚月は、なんの疑いもなく、面倒くさがる様子もない。雪原と鏡子、椿はそろって玄関で栗原と柚月を見送った。見送りながら、鏡子が、


「栗原様って、柚月さんの…。」


 と言いかけた。鏡子は勘づいている。たびたびの雪原の気遣い、それに対する栗原の反応。柚月は気づいていない。だが、あの二人は、きっと本当の—。


 雪原は何も言わず、ただ、含みのある笑みを浮かべ、その脇で、椿も嬉しそうに微笑んでいる。椿もまた、知っているのだ。


 鏡子はそれ以上聞かなかった。だが、不思議と安堵し、胸が温かくなった。




 日はまだ高くない。冬の空気は冷たいが、よく晴れて、気持ちのいい朝だ。町はすでに起きていて、人々が行きかい、活気がある。


 宿場町のあたりまで来ると、大工たちが景気のいい声をかけあいながら、作業をしていた。先の戦で被害が出た場所だ。だが、復興は着々と進み、何より、活気ある職人たちのおかげで、町全体が元気で明るい。


「よう、ゆづ坊!」


 威勢のいい声に振り返ると、顔なじみの大工の棟梁が手を振っていた。その後ろから、その弟子が、

「親方。もうゆづ坊なんて呼べやせんよ。宰相様のお小姓様っスよ」

 と笑った。棟梁も、「そうかそうか、そりゃ出世したな」と笑っているが、肩書など、みじんも気にしている様子はない。もとより、権力にこびない|質≪たち≫なのだろう。


「いやいや、やめてください」

 柚月も両手を振って苦笑する。そういうところを、棟梁は気に入っている。


「じいさんと散歩か?」

 柚月は一瞬、何のことだろうと思ったが、棟梁が柚月の隣りにいる栗原を見ていることに気づいた。


「ああ、いや。雪原さんの客人ですよ。帰られるから、関所まで見送りに」


 そう言うと、すかさず、

「お小姓様のお勤めっスか」

 と、棟梁の後ろからさっきの弟子が茶化した。だが棟梁は気にもとめず、どこか腑に落ちない顔で、

「そうかい」

 と言うと、

「籠でも呼んできやしょうか」

 と栗原に声をかけた。すると、栗原は、

「いやいや、お構いなく」

 と両手を振り、苦笑する。その姿が、つい先ほどの柚月の姿と重なった。


 棟梁はますます腑に落ちないような顔になる。


「じゃあ、また」

 柚月の声に我に返ると、「おう」と応えたが、まだしまりのない顔だ。


「ゆづ坊、家族いたんスね。ずっと家に帰らなかったから、独りなのかと思ってやしたよ。」


 二人の背中を見送りながら、また弟子が言う。先の戦の直後、このあたりの復興が始まってすぐに、柚月はケガをした足を引きずりながらやって来た。とても力仕事ができるような状態には見えず、皆止めたが、本人は手伝うと言って聞かない。しかも、家にも帰らず、連日泊まり込んでいた。帰る家がないのではと、内心、皆心配していたのだ。


「で、ゆづ坊、じいさんとどこ行くんスか?」

「いや、じいさんじゃないらしい。雪原様のお客なんだと」

「え?」


 弟子は驚き、やはり腑に落ちない顔になった。


 その視線の先で、柚月と栗原が肩を並べて歩いてく。その後姿。

 弟子は小首をかしげた。


「あんなに似てるのに?」


 よく晴れた冬の午前。冷たく澄んだ空気の中。柚月と栗原は、よく似た背中を並べ、よく似た歩き方で、互いに子供のようにムキになって言いあいながら、だが、どこか楽しげに歩いて行く。


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