07
「私達人間の営みは、この世界を止め処無く巡る生と死の輪廻の中にあります。私達が口にする物、身につけるもの、目にする物手に触れるもの、全ては生まれ、そしていつか消えていきます。何かが生まれることや作り出されることだけを賛美した人々は、無自覚のうちに、やがて訪れる終わりの時を恐れ、遠ざけようとしました。それが魔女の怒りを買った」
「はぁ……」
「我々に必要なのは、物事の片方だけを見つめることではありません。ものの在り方とその失われ方、それが在りし時に担う役割を知り、慈しむことです。そして進むべきは、この世界を形作る尊き輪廻の真の意味へと至る道です。すなわち……」
たっぷり三秒、勿体を付けてからアミルは、とっておきの秘密を打ち明けるような口調で宣言した。
「生と死を含む、『再生』こそ我らが信仰の対象です」
迷いのないその言葉は、彼女がどれだけグリアリスに深く帰依しているかを二人に訴えていた。ハルは自分の胸の中に、微かな感情の小波を感じた。何かを手放しに信じて、自分の生きる道標とする人の在り方に、羨望を感じていることを自覚した。
「生も死もありのままに受け止めること。自然であること。教義について簡単に言ってしまえば、たったこれだけのことなんです。噛み砕くと、生き物として共存するために助け合うこと。争ったり傷つけ合ったりしないこと。嘘をつかないこと。どれもごくあたり前のことですけどね」
その時、ユーリのお腹が情けない音を立てた。横目で睨みつけると、ユーリは澄まし顔で咳払いをして誤魔化そうとしていた。
「……もしよろしかったら、続きは昼食を摂りながらいかがですか?」
自分の説法に腹の虫で返答されたことに気分を害した様子もなく、慈愛に満ちた笑顔でそんな提案を投げかけてくる。
「いいんですか?」
遠慮も忘れて食いつくユーリ。余程お腹が空いているようだった。
「ええ。ちょうど私もこれからでしたので。準備をしますので、このままここでお待ち下さい。あ、それと……」
アミルの視線がユーリの腰に向けられる。
「……この森の植物は、ちょっと普通とは違う習性を持っていますので……。お気をつけ下さい」
「え……?って、な……なにこれ?!」
ユーリの慌てた声に、ハルが向き直る。異変は、彼女の剣に起こっていた。いつの間にか壁の隙間から伸びた蔦が、鞘に絡みついていた。ユーリは立ち上がって、剣を引き上げる。蔦は捉えかけた獲物を取り上げられることを拒んでいるかのように、鞘の先端を締め付ける。ユーリが両手の力いっぱい鞘を引っ張ると、蔦は力尽きたようにほどけて地面に落ちた。
「……何なの……。この蔦、まるで生き物みたい……」
気味悪そうに顔を歪めるユーリ。ハルも特に注意して見ていたわけではないが、この椅子に腰掛けたときには足元にはこんなに長い蔦はなかったはずだ。
「あら、植物だって命を持っています。そういう意味では、その蔦だって間違いなく生き物ですわ」
やんわりと諭すようにアミルが言う。
「この森の植物は、人の手によって著しくその在り方を変えられたものを嫌います。特に金属には敏感に反応して、接触と分解を試みます。大切なものでしたら、蔦に巻かれないようにお気をつけ下さい」
「分解って……」
アミルの言葉を証明するように、鞘の先端、蔦が触れていた箇所には変色が見て取れた。金属を感知した蔦が瞬時にその先端を伸ばし、巻き付いて、何らかの分泌物を付着させたのだ。ハルとユーリは顔を見合わせる。どちらの記憶の中にも、そんな振る舞いをする植物は存在しない。
「……アミルさん、この植物、その……人に絡みついて溶かしちゃったり、しないですよね?」
頬を引き攣らせた笑みに冷や汗を浮かべて、ユーリは恐る恐る尋ねる。アミルは軽く肩を竦めた。
「まさか。体の中に金属を隠し持っていたりとか、余程不自然なことをしていない限りは」
「そ、そうですよね……」
「ただ」
口調はあくまでも穏やかに、しかし妙な迫力を孕ませてアミルは囁く様に言う。
「自然であることに越したことはありません。何が森の怒りを買うかは、森のみぞ知ること、ですから」
「…………」
言い残して出ていくアミルを見送った後、ユーリは恐る恐る剣をテーブルの上に置いた。しばらく二人で様子を見守っていたが、蔦がテーブルの上に這い上がってくる気配はなかった。
「……どう思う?」
やっと、それだけ絞り出すようにユーリが尋ねる。ハルは頭を掻いて、眉を顰めた。
「さっき、君が言ってたとおりなのかもしれない」
「……さっきって?」
「ほら、おとぎ話の世界に迷い込んだみたいだって」
「ああ……」
改めて、二人で室内を見回す。芝の絨毯と苔の壁紙、天井には無数の根と蔦。絵本の中に描かれたワンシーンならば、さぞ子供の想像力をかき立てるだろう。ただ、充満する濃い緑の香りの只中にこうして放り込まれてみると、酷く落ち着かない気持ちになる。ここを自分たちが居るべき場所だとは認識できない。こんな風景は彼らにとって、空想の世界にしか存在しないもののはずだった。
「ここって、一体どういう場所なんだろう……。どうして僕たちはこんな所に……」
顎に手を当てて考え込むハル。
「ねえ、ハル。キミは、ここじゃないどこかから来たんだよね?」
押し殺した声で、ユーリが聞く。その言葉に、ハルははっとする。
「……そういうことになる、ね。ここの常識が僕らにとって非常識なら、僕らの常識が通用する世界は別にあるはずだ」
「……私も同じよ。ここは、本来私達がいるべき場所じゃない……」
「……僕たちは、何処から来たんだろう」
目を覚ましたのは木の根の中で、とてつもなく広い平原を抜けてここに迷い込んだ。どの場所にも、自分の居場所だと思うような余地はなかった。では自分が今までの時間をどんな場所で今までの時間を過ごしてきたのか。ごく自然に繋がるはずの思考の道の先が、ぷっつりと途絶えてしまっていた。
「……なんだか、歯がゆくて気持ち悪いな」
俯くと、足元は緑一色だった。目に優しいはずのその色彩に包まれても、彼の心はまったく安らがなかった。
しばらくの沈黙のあと、ユーリは短く嘆息した。
「……思い出せない物は仕方ないよ。とりあえずご飯をご馳走になったら、他の所に行ってみよう。何か手がかりが見つかるかもしれないし」
「……うん」
「ほら、考え込まない!もう。キミって、放っとくとそうやっていつまでも黙って考え事してそうだよね」
軽く小突くように、ハルの肩に拳をぶつけるユーリ。彼女の脳天気な笑顔が、ハルには少し眩しく見えた。
「お待たせしてすみません」
円形の木製プレートを手に、アミルが戻ってくる。ユーリが顔を輝かせたあと、その表情のまま硬直した。
「どうぞ。森で採れた木の実と、豆と、野菜の種です」
直径三十センチほどのプレートの上に、ころころと小さな球体や雫型の物体がいくつも並んでいる。ユーリの反応を見る限り、これも彼女の常識の中の料理とはかけ離れたものらしい。
「ど、どうも……」
ご馳走になる立場で食事の内容に文句をつけるわけにもいかず、引きつった笑みのままプレートを受け取るユーリ。ハルもそれに倣った。アミルは向かいに座って、両手を合わせて祈りの姿勢をとる。ハルも形ばかり、真似してみることにした。
「ハル。どんぐりって知ってる?」
小声で尋ねる声に、ハルは頷いた。
「楢とか樗の木の実のことだよね」
「……何の木の実かは私よく知らなかったけど、これ、そっくりじゃない?」
「言われてみれば。ここにも、楢とか樗に似た木があるってことかな」
「そういうことじゃなくてさ……」
こそこそと会話する二人を他所に、アミルは両手で丁寧にその木の実を剥き、上品な手つきで口に運んだ。ハルもその通り真似て食べてみる。歯ざわりはお世辞にも良いとは言えず、アクの強さと渋みに顔を顰めそうになったが、食べられないほどではない。あまり味わわないように気をつけて、次々口の中に放り込んでいった。
泣きそうな顔で二人の様子を交互に見ていたユーリも、恐る恐るといった手つきで食事を始める。どんぐりのような木の実を一つ口にして、露骨に口元を歪める。どうやら口に合わないようだ。
「……ごめんなさい。慣れない方には、その……少し癖が強い味かもしれませんけど」
「い、いえ……な、なんていうか、独特なお味で……」
精一杯の気遣いなのか、ユーリは歪んだままの口で微妙な感想を返す。
「教義上、グリアリス信徒の食事は、こういったものばかりなんです。再生の象徴である植物の種子は、私達にとって特別な意味があります。栄養もとても豊富なんですよ」
「そ、そうなんですね……。あの、アミルさん、こんなこと言ったら失礼かもしれないんですけど、その、調理とかって……」
プレートの上に転がるそれらは、茹でても炒ってもいないように見えた。
「許されていません。私たちは教義で、火を扱うことを禁じられているんです」
「……火を使えないんですか?」
「ええ。炎は、専ら薪や焚き木を使うでしょう?木々は信仰の対象です。森に糧の施しをもらって、その上に植物を燃料に使うなんて、畏れ多いことだと思いませんか?」
「そ、そうですね……」
アミルの言葉に微かな憤りを感じ取って、ユーリは目の前のプレートに視線を落とす。生の豆を一つ口に含んで、なんとも情けない表情を見せる。あまりの生臭さにえづきそうになるのを耐えているようだ。最後の頼みの綱だった種も、噛み砕けずに口の中に持て余して、最後には丸呑みすることにしたらしい。