02
ようやく理解が追いついてきた。どうやら彼女も、同じような場所に閉じ込められていて、剣を使って外に出たということらしい。
改めて、自分が閉じ込められている空間を眺めてみる。赤茶けた地面と、薄っすらと苔の浮いた根の壁。それ以外には何も見当たらない。剣のような、脱出に役立ちそうな武器などを隠しておける場所も無いようだった。
「ないみたい、だけど……」
「えー?じゃあ、どうするのよ……」
「どうするって……。そんなこと言われても……」
「……ちょっと待ってて。三十分で戻るから」
女の子の声は一方的にそれだけを告げて、早足の足音が遠ざかっていった。
宣言通り、体感で三十分経つか経たないかのうちに、再び女の子の声が外から聞こえてきた。
「おまたせ」
「……何してたの?」
「私が居た木まで戻って、剣を借りてきたの」
「借りた?誰に?」
「知らない。持ち主が誰かわかんないけど、私の物じゃないのは確かだから」
軽く息を弾ませた声が、早口で説明する。
「外から斬るわ。壁から離れて」
返事を待たずに、金属の擦過音。どうやら女の子が手に持った剣を抜刀したらしい。彼はもたもたと空洞の中央に移動する。
ほどなくして、金属同士がぶつかりあったような、甲高い音が空洞内に反響した。
「……どう?」
「ちょっと、待って!」
二度三度、その音が繰り返される。しかし、漏れ入ってくる光の量は全く変わらない。
「……ダメ。なんで?私が内側から斬った時は、紙みたいにバッサリだったのに……」
「……やっぱり」
「何よ、そのやっぱりって」
「いや、何となく、内側からじゃないとダメなような気がしたんだ」
「何なのよ、それ……」
悪態をつきながら、しばらく女の子は外壁に剣をぶつけ続けた。場所を変えたり隙間に剣先を押し込んでみたりと工夫もしているようだったが、彼の予感の通り、根の壁はびくともしない様子だった。
「……はぁ……。もう、何なのよ……」
口癖のように同じ言葉を繰り返して、女の子が剣を鞘に戻す音がする。
「これじゃ、出られないじゃない」
「……ねえ」
「何よ?」
「どうして、僕をここから出したいの?」
返事が途絶える。失望というよりも、驚きの気配が伝わってきた。
「逆に聞くけど、キミはそこから出たくないの?ずっとそこに閉じ込められたままでいるつもり?」
「……分からないんだ」
「はぁ?」
「どうしてこんな所にいるのか、自分が誰なのか……。どうするべきなのかとか、全然何も」
「……わけわかんない。分かんなかったら、とりあえず外に出てみようって、思わないの?」
「どうして?」
「どうしてって……」
苛立ちで二の句を継げなくなった女の子に、彼は初めて興味を伴う質問を投げかけた。
「教えてほしいんだ。ここの中と、外。どうして君は外の方を、自分のいるべき場所だって思うの?」
「……だって、そんな所にいたら……。食べるものはどうするの?飲むものは?きっと二、三日もしないうちに、死んじゃうのよ?」
女の子の言葉は、意図せず彼に一つのヒントをもたらした。
「……そうか、君は、生きたいと思ってるんだね?」
「……あのさ、キミさっきから私のこと馬鹿にしてる?」
「全然そんなつもりはないよ。おかげで分かった。僕は別に、ここで死ぬことも選択肢の一つだと思ってるんだ」
何も与えられていない。自分では外に出る手立てがない。垣間見える外の世界にも、理由を与えてくれるものは何もない。
なら別に、ここにい続けることを選んでも、何も不自然ではない。それが彼の中の回答だった。
「……かんない」
「え?何?」
聞き漏らした女の子の言葉に、彼は一応耳を欹てる。
「意味わかんない!」
「……っ」
想定外の声量に、彼の上半身が反射的にのけぞる。横たわる根の一本に足を取られて、尻もちをついてしまった。
「……言っておきますけどね、私だって分からないのよ!目が覚めたら薄っくらい木の中にいて、思い出せたのは自分の名前くらい。お腹も空いたし喉も乾いた。だからとりあえず外に出て、誰か近くにいないか探してみようって思った。ここまで、何か不自然な事がある?ないでしょ?!……もう、面倒くさいことでカロリーを使わせないでよね!お腹空いてるんだから!」
早口にまくし立てる言葉の最後に、ごつんという湿った音。位置からして、多分根の壁を靴底で蹴ったのだ。
言動の荒さと、有無を言わさぬ口調に呆気にとられて、尻もちをついた姿勢のまま彼は黙り込んだ。改めて考え込む。彼女自身の言にあるように、ここから脱出することは彼女にとっては、何も考える余地のないことなのだろう。
でもそれは、彼女の傍らに剣があったから――。
彼のいる空洞の闇が、少し明度を下げ粘度を増したような気がした。背筋を走る悪寒をごまかすように、彼は女の子に質問を投げかけた。
「ね、ねぇ」
「何よ」
「外って、どんな感じ?隙間からは少ししか見えなかったんだけど、どう?」
「……どんな感じって……」
女の子の声の調子が少し変わる。多分、あたりを見渡しているのだろう。
「……何もないよね?」
彼から見える範囲では、草原と空しかなかった。建物も、人の気配も、興味を唆るようなものも。
「何言ってるの」
的はずれな意見に呆れたような声で、女の子は否定する。
「凄いから。早くキミも出てきて、見てみなよ」
「え、凄いって、何が?」
「あ、ちょっとは外に興味沸いた?じゃあナイショ。自分で見ないと答えはわかりませーん」
彼は、自分の心の仕組みに感心した。自分に見えなかったものがあるかもしれない。それを自分以外が知っていて、自分だけが知らない。そこに気持ちを突き動かすからくりがあった。
「……少しだけ、手伝ってくれる?」
言って、彼は腰の荒縄を解く。手頃な高さの隙間からその先端を外に押し出す。
「この縄の先端を、こっちの穴から中に戻して」
指示の通り、女の子の指先が縄の先を空洞の中へ戻してくる。縄を輪っか状にきつく結ぶ。
「そうしたら、君が持ってる剣の鞘の先を、壁と縄の間に差し込んで」
「……これでいいのかな?」
「そのまま鞘を、時計の針みたいにぐるぐる回してほしいんだ」
「回す……って、こう?」
「そう。そのまま、続けて」
縄は鞘の回転数が増えるに連れて、徐々に引き絞られていく。縄の輪の中に挟まれた根は、少しずつ締め上げられ、縄を通した穴が微かに拡大されていった。指先しか出なかった穴は、手首が通るまでになった。
「あ、これだけ穴が拡がれば……」
「うん、剣を貸して」
柄の部分から空洞の中へ差し込まれる剣。分類するならサーベルと呼ばれるような、細身の剣だった。とてもこの頑丈な根の壁を切り裂けるとは思えないが、女の子の言葉を信じてみるしかない。
大きく振りかぶって、斜めに振り下ろす。切っ先がブツブツと、根の一本一本を断ち切っていく感触が柄に伝わってくる。振り下ろすごとに、空洞の中へ侵入する光が濃くなっていく。十数回それを繰り返した時、ようやく彼の体が出入りするだけの出口が完成した。
這い出した彼を待っていたのは、暖かな日差し。闇に慣れた目には眩しすぎるほどの陽光の洪水。そして、彼と同じ服を着た小柄な女の子の笑顔だった。
「出て来られたね」