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意のままに根を操作できるのも納得だ。彼にしてみればそれはおそらく、手足や指先を動かしているようなものなのだろう。
「先程の話は、聞かせてもらっていたよ。その娘の再生が目的ではないんだそうだが……」
その常識離れした容姿とあまりにミスマッチな、老紳士然とした口調と声質。その相手をハルは、何故か不気味だとは感じなかった。敵意や害意などという陳腐なものとは無縁な、超然とした雰囲気を感じるせいだろうか。
「……この娘の傷を塞ぎたい」
しかし警戒心を途切れさせず、簡潔に告げる。
「如何にして?」
こちらを試す意図も、嘲るような響きも感じられない。感情のこもらない質問。
ハルは改めて、その手段について知恵を巡らせる。
「……この猿たちは」
上手く立ち回れば、何か有益な情報を引き出せそうな予感があった。
「どうして、人を襲う?捕食のためでもないのに、何故人間を傷つけようとするんだ」
「……」
微かに、樹人が逡巡するような間を開けてから、答える。
「彼ら樹村の人々の、敵であるためだよ」
「……敵?」
意外な答えに、ハルの声が上擦る。
「人間というのは、自分たち以外に敵の存在を持たないと、お互い同士を敵視し始めてしまう生き物だからね」
「そんな理由で……」
「極めて原始的で、かつ効果的な方法だよ。命の危機に晒される環境の中で、積極的に同種で殺し合う種はいないだろう」
「……」
「他に何か聞きたいことは?いや……」
気が変わった、とでも言うように、樹人は付け加える。
「あと二つ、君の質問に答えよう。あと二つだけだ。それも是か非かで答えられる問に限る」
嫌な予感が当たったという顔で、ハルは奥歯を軋らせる。
「……どうしてそんな制限を?」
「質問を返すが、どうして私は君の質問に答える必要があるのかね?三つ答えるだけでも有難いと思ってもらいたい」
「……」
その口調に覚えがある。いつかどこかで聞いた、温度のない無関心な拒絶。
口汚く不満を吐き捨てようとするが、ふさわしい言葉が出てこず、小さく舌打ちをするにとどまった。
「そこの娘さんは、大人しく落命するか、さもなくばこの森の住人として再生するか。そのどちらかが自然な結末と言えるだろう?」
「誰が、そんなことを……」
慌てて口を噤む。危ない。下手なことを口走ると質問としてカウントされかねない。
薄く笑ったような気配で、樹人は続ける。
「かといって、外様の君たちに我々の仕来りを丸呑みしろというのも酷だ。だから残りの質問は、譲歩だと思って欲しい。我々の信念に則り、偽りのない答えを返すことを誓おう」
恩着せがましい。理不尽だ。何様のつもりだ。
叫び散らしたい言葉たちを全て飲み込んで、一つ大きく息をつく。
山ほどある疑問の中から、尋ねるべき内容を選定する。
まず1つ、どうしても確認しておかなければならないことは……。
「この傷は、高温殺菌で出血を止めることが出来る。そうだな?」
ユーリを救える唯一の手段の前提。これだけは明らかにしておかなくては。
仮に火を起こせたとしても、イムランの情報が誤りだったとしたら目も当てられない。
かといって、これ以外に解決の糸口は存在しないのだから、この質問は是と答えてもらわなければならない。
「残り2つのうち、1つはその質問でいいんだね?」
樹人の声は、憎らしいほどに平板で、ハルの焦りに拍車をかける。
「……ああ。早く答えろ」
「殺菌、という言葉には語弊があるな。その傷は菌に冒されているわけではない。言うなれば、それは一種の『呪い』のようなものだ」
「答えは是か非かだけのはずだろう」
「そうだったね。……そう怖い顔で睨まないで欲しい。実態は違えど、回答は肯定だよ。確かに、傷口に焼けた金属などを押し付けて接合すれば、それ以上出血することはない」
とりあえず、胸を撫で下ろす。これで、半分はクリアだ。
質問できる内容はあと一つだけ。
聞き出したいのは、止血を行える場所がどこにあるかの情報だ。
それは、この村の中にあるはずだ。火を使用することが禁止されていたとしても、ないはずはない。
ハルは自分の中にある仮定をもう一度、脳内で検証し直す。
今までこの村で目にしてきたもの、耳にした事柄、すべてを組み合わせて模索する。
――間違っていない。合っているはずだ。
「……」
そう確信しながら、質問を紡ぎ出すことが出来ない。
もしどこかで勘違いをしていたら?
自分が見聞きしたものとその認識が正しいという保証がどこにある?
恐らく、自分の想定に誤りがあった場合、ユーリは命を落とす。
一人の人間の生死が自分の言動に懸かっている。
――果たして自分は、そんな大それた責任を負えるような人間だっただろうか。
「急いだほうがいいのではないかね」
樹人の言葉に、知らず俯きかけていた顔を上げる。
いつの間にか、ユーリの瞼が落ちていた。その顔色は、紙のように白い。
「……っ」
揺さぶって声をかけてみるが、微かに呻く程度の反応しか返ってこない。
失血は、もう意識を保てないレベルまで進んでいる。
迷っている時間はない。
「樹人!」
「何かね」
「……この上に」
目眩に似た拒絶反応を無視して、何とか口にする。
「この上にある空間に、登る方法はあるか?」
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長い沈黙。
質問の真意を捉えかねているのか。
浮かびかけたその疑念を、ハルは自分で打ち消す。
回答は二択の筈だ。あるなるある、ないならないと言えばいいだけだ。
答えあぐねる、または答えられないということは、そこにもなにか意味があるのかもしれない。
「残念ながら」
相変わらず起伏のない声色で、樹人が切り出す。
その前置きから肯定の答えは、どうあっても続かないだろう。
「回答は否定だ」
「……」
全身を強張らせたハルに、樹人はほんの数秒の猶予を与えてから提案する。
「さて、そのお嬢さんをどうする?無駄死にさせるか、この森の一部として再生させることを望むか?」
樹人の声を無視して、ハルは腰の荒縄を解き、ユーリの体を背負う形に担ぎ直す。ぐったりと脱力したその細い体を、ハルは自分の背中にしっかりと括り付けた。
「どうするつもりかね?」
やはり答えず、ユーリの剣を抜く。ゆっくりと振り返り、根の壁に向けて無造作に刀身を振り下ろす。
ざくり、と音を立てて斜めに根が裂ける。剃刀のような凄まじい切れ味だった。
「……その剣は」
恐らく、2人を無事に脱出させるつもりなどなかったであろう樹人が、二の句を継げずにいる。その狼狽の気配を背中に受けながら、もう一度剣を振るう。根が蠢いて隙間を修繕するよりも先に、二度三度、切っ先をぶつける。太刀筋などまったく意識していない、ただ振り下ろすだけの動作。しかし、根の壁は紙のように脆く綻び、ハルの前に出口を広げた。
「君は……君たちは一体」
根の壁の穴を塞ぐことも忘れて、樹人が問いかける。
驚きを隠しきれないその声に少し溜飲を下げて、ハルは外に向けて歩き出しながら短く呟く。
「……こっちが聞きたいよ」