12
大きさは、彼らが『出てきた』それらとは比べ物にならないほど巨大で、ちょっとした一軒家程度ならその洞の中に収まってしまいそうな風情である。根の壁から上に繋がる幹は、蔦のドーム屋根の中央を貫いて更に上空へと続いているようだった。
「……木の上に根を張って木が生えてるなんて……」
ユーリがぼそりと漏らすが、その後は続けなかった。この世界で目にするものの奇妙さをあげつらっても実りがないことが分かってきたのだろう。
「……来たか」
不意に、根の壁の影から声がして、二人はビクリと肩をすくめた。
現れたのは、緑のローブ姿の初老の男性。イムランだった。
「……どうしてここに?」
敵意と取られても文句は言えないような険しい視線と言葉を飛ばすハル。
イムランはバツが悪そうに足元を見ながら、ぼそぼそと答える。
「なんとなく予感がしてな。ここで待って、来なければ無事村を出たということにしようと思った」
「……」
「できれば、来てくれるなと思っていたよ。外に出て話が済むなら、それが一番良かった」
「……何を言ってるんです?」
言い訳のように漏らす言葉は繋がりに乏しく、ハルは苛立つ。一方で、彼が動転しているということも感じ取っていた。
「……こんなことを言って許されるものではないと思うが」
まるで彼自身の咎であるかのように声を絞り出すイムラン。
「この村に留まることは出来ないか?」
「……は?」
理解出来なかった。木の家に匿ってくれた時には、村を出て治療しろと言っていたはずだ。言っていることが真逆だ。
そもそも、何故二人がこの村に留まることが、彼の償いになるのだろうか?
「条件を満たしさえすれば、その娘をなんとかできる可能性もある」
「条件……?」
全ての疑問の解決を先送りして、最大の関心事にだけ反応を返す。
「司教様の祝福を受けるんだ」
「……それで、助かるんですか?」
不信感も露わに、言葉を返すハル。
「助かる、と言えるのかどうかな……。その娘を森がどう見極めるかにもよるが……。うまく行けば」
一度言葉を切って、生唾を飲み込むような間を空けてから、重々しく口を開く。
「『再生』することができる」
「……」
ハルの眉間に寄る皺が深くなった。イムランは理解の気配を示しながらも、諭すような表情を浮かべて続ける。
「外から来たお前たちに信じろと言っても難しいかもしれんがな、本当のことだ。聖堂の修道女に会ったか?」
「……アミルさん?」
吐息の合間に、ユーリがその名前を挙げる。
「そうだ。あの娘も、幼い頃にシシメヒヒに襲われた。祝福を受けたおかげで、一度は全身の血液を失って命を落としたが、再び命を授かった」
「馬鹿馬鹿しい」
嘲るように、ハルが吐き捨てる。隣で、ユーリが小さく驚く気配がした。
「そうやって再生とか蘇りとか、奇跡みたいなペテンを演出して、自分たちの教えを有難がらせてる。ずっと昔から繰り返されてる手口だって、少し考えれば分かることのはずなのに……」
「グリアリスの教えと加護は本物だ。過去のどんな例とも比べ得ない」
「きっと誰しもがそう信じてた。自分の信じる教えだけは本物だって。でも奇跡なんて現実には起こらない!海を割ったり、空を飛んだり、そんな秘法を目の前で再現できる人は、誰もいないじゃないか!」
静謐な樹村の空気を波立たせて、ハルの叫び声が響く。
イムランは哀れむような、眩しいものを見るような微妙な表情で、怒れる少年を見つめる。
「……しかし、再生を果たした人間はいる。これは偽らざる真実だ。私の信仰と人生にかけて誓おう」
教義で嘘はつけない。ただし本人が真実だと認識して主張する分には、その実態が偽であっても嘘にはならない。だとしたら、そんな宣誓には何の意味もない。そう断じて反発を強めるハル。
しかし、その怒気を真っ向から受け止めて、イムランはなおも平静に、懺悔めいた口調で続ける。
「……アミルが襲われた時、もう1人犠牲者がいた。名前は、イザベル。私の娘だった。2人は親友で、私の娘がアミルを家の外に誘い出したらしい。私には、『絶対に外には出ない』と『嘘』をついていた」
ユーリが小さく息を呑む。
「アミルは祝福を受けて再生を果たしたが、私の娘は……イザベルは……」
「そんな……」
ハルの憤りは許容量を振り切って、果てに脱力感をもたらした。
絶句したハルと入れ替わるように、ユーリが身を乗り出す。
「イザベルさんは、どうして助からなかったんですか……」
「……」
沈痛な表情と沈黙が、どんな言葉よりも明確な返答だった。
「祝福を、受けさせなかったんですか!?どうして!?」
ユーリが悲鳴のような声で詰問する。
再生の真偽はどうあれ、わずかでも可能性のある措置を取らなかったことが、彼女には信じがたいのだろう。
「……私は、アミルと彼女の家族に……いや、すべての教徒たちに顔向けできなかった。娘が教義に背いた挙句、他人の命まで危機に晒して……。その上で、司祭様に祝福などいただけるはずも……」
俯くイムラン。
それ以上は言葉にならないようだった。
「…………」
似ている、とハルは感じた。
上へ上へと恵みを求めて、異様なまでに重力に逆らい背伸びをして、支え合うような、縛り合うような、競い合うような、奇妙な関係を築く森の植物たち。
そこに住まう住人たちもまた、絡まりあったジレンマの関係に苛まれている。
彼らは森と共生しているのではなく、ハルたちと同じように森に閉じ込められているのではないだろうか。そんな気さえして来る。
「……笑っても詰っても構わん。蔑まれても致し方あるまい。ただ、再生については、伝えておきたかった」
「……」
「この木の中に司教様はお住まいだ。……祝福を受けるなら決断は早いほうが良い。……ではな」
それだけ言い残して、イムランはゆっくりと踵を返す。
「……死なせない」
その背中から目をそらしたまま、ハルが誰にともなく宣言する。
「……僕は、死なせない。再生なんて、胡散臭い力にも頼らない。この村と教えの隙間を突いて、必ず助けてみせる」
立ち止まりハルの言葉をすべて聞き届けてから、イムランは振り向く。
何かを言いかけて、結局彼は無言のまま去っていった。
取り残された陰鬱な空気を無理やり振り払うように、ハルはユーリの肩を担ぎ直した。
「……とりあえず、中に入れないか確かめよう」
「……」
返答がなかったことにハッとなり、弾かれたようにユーリの様子を確かめる。
「……あ、うん……。大丈夫」
意識を失ってしまったのかと思ったが、違ったらしい。呆けていたところに突然声をかけられたような反応で、何やら取り乱している。
「ねぇ……ハル」
「ん?」
「……ありがとう」
「……」
感謝される筋合いのないことだと思いながら、微かに報われたと感じてしまう自分が不思議だった。
「……お礼は、ちゃんと助かってからにして」
ぶっきらぼうに答えて話を終わらせる。
まだ具体的に彼女を助ける手立てを思いついたわけでも何でもないのだ。
改めて根の壁に向き直る。
観察する限り、大きさ以外は二人の知る木と全く同じようだった。
あの時と同じように、中に入るためには根を切断する必要があるのだろうか?
しかし、司教が住んでいるということは、出入りの手段があって然るべきだ。
周囲を確認して回ろうと足を踏み出しかけた瞬間、ハルの目の前の根ががさりと動いた。
「……?」
まるで見えない手で掻き分けられているかのように、小さな隙間がメキメキと音を立てて広がっていく。
あっという間に、身を寄せ合う二人がちょうど通れるだけの入り口が眼前に出来上がった。
「……入ってこい、って言ってるみたい」
「……」
罠かとも疑ったが、どのみちこの中以外に行き先はない。
意を決して、足を踏み入れる。
ひんやりと湿った空気に包まれ、鳥肌が立ちそうだった。
闇に目が慣れるまでの間、ウロの中はほとんど何も視認できない暗さだった。
ちょっとしたホールを思わせるその空間の中に、微かな光が2つ浮かんでいる。
いや、2つではない。4つ、6つ、8つ……偶数で急速に増えていくその光の正体に気づいて、ユーリが体を慄かせる。
半球状の内壁と天井全体に、びっしりと、シシメヒヒたちがぶら下がっていた。
縞模様のしっぽを根の隙間に差し込んで絡ませ、逆さ吊りの状態から首だけを擡げて二人を睨みつけている。
ハルとしては、この光景は予想の範囲内ではあった。正午を過ぎると森の奥へ引き返していくというシシメヒヒたちの行き先は、ハルたちと同じくここしかありえない。
ただ、その数と整列ぶりには圧倒されるものがあった。
ゆっくりと、眼球だけを動かしてウロの中を見回す。
司教は?こんな数のヒヒたちに囲まれた環境で、果たしてどのように過ごしているというのだろうか。
「……すまないが、後ろを閉めさせてもらうよ」
それは、まるで頭上の木の葉が風に揺られて擦れ合うかのような、穏やかさに満ちた声だった。
先程入り口が設けられたときの逆回しで、根の隙間が塞がる。
ウロの中の闇はより一層深くなり、ヒヒの瞳も、漏れ入る光が絶たれたことによって輝きを弱めた。
「こんな時間にこの子達が外に出てしまうのは、良くないからね」
ハルは必死で目を凝らす。老人らしき男の声の発生源を探すが、音が反響していることと、その独特な声質のせいで容易ではない。
「さて……この森に来訪者なんて数十年ぶりだが……どちらからいらっしゃったのかな?」
「……」
「ああ、姿が見えないと話しづらいだろうね」
言葉と同時に、天頂部近くの根が採光用のスリットを作り上げる。ウロの中は瞬時にして陽光に満たされた。
明るくなって改めて見るとやはり異様な光景だった。居並ぶシシメヒヒの数は、百数十というところか。一匹の例外もなく、身動き一つしないままハルたちを凝視している。
そして、ちょうどハルたちの正面に位置する内壁に、それはいた。
ごつごつとした根の壁の間に、ほんの一箇所、質感の異なる一角が存在する。
色こそ周囲と同じ樹皮色だが、そのフォルムは間違いなく、人間の顔面だった。
根の壁に、能面のような『顔だけ』が浮き上がって、その口から声が発せられている。
ユーリの何度めかの戦慄。
「はじめまして。私は『樹人』。外の連中が司教と呼んでいるのは、私のことだ」