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ハルとユーリ 異世界の旅(仮称)  作者: けいぞう
1/15

01

 天を衝くほど高いその木は、数十メートル頭上から幹を根のように広げて、その足元に巨大な空洞を作り上げていた。彼は今、その空洞の真中に佇んでいる。複雑に絡まり合うその根の隙間から差し込んでくる陽光は、レザーウッドの蜂蜜のような濃い金色。朝焼けなのか夕焼けなのか、現状を何も理解していない頭がぼんやりと疑問を抱く。

 疑問。そうだ、疑問だ。今の彼が確かめるべきは、今が朝か夕かなどではない。毛細血管のように密に張り巡らされた根の壁は、彼を半径五メートルほどの歪な円で囲っている。何処を見渡しても、人が通り抜けられそうな隙間など見当たらない。根と根の間にある隙間も、辛うじて指先が外に出せるくらいのスリットでしかない。頭上五、六メートルあたりに見える、一番大きな光を漏れこませている大穴でさえ、顔を出せるかどうかという程度だ。

 彼は頭を掻いて考える。突然閉じ込められたこの密室に対して、不思議と興味も恐怖も沸いてこなかった。単純にこうなるに至った経緯の可能性を検証してみることにした。

(地中を潜って中に入った?)

 思いついてすぐに地面を掘り返したが、十数センチ掘り進んだところで諦めた。地面は粘土質で固く、しかも根の壁は地中でもその包囲を緩めてはいなかった。十メートル掘り下げたとしても、同じ質感の壁が行く手を阻んでいるのではと予感させた。ひりひりと痛む指先を気にしながら、別の可能性を模索し始める。

(じゃあ、上に穴があって、そこから落とされた?)

 これも望み薄だった。根が合流する上方に行くほど薄暗い。光が差し込む余地もないなら、どんなに小柄でも人の体など放り込めるはずがない。

 根を掴んで登って確かめてみようかと思いつくも、難しいだろうと考え直した。この空間は円錐の形をしている。どこから登り始めてもマイナス角度の傾斜に張り付くようにして登らなければいけないことになる。途中で手を滑らせて硬い地面に激突したら、骨の一本では済まないだろう。

(最後の可能性は……)

 瓶の中に洋梨の実が丸々入っているお酒のボトルを思い出す。当然瓶の口からは洋梨は入らない。瓶に接合された跡はない。ではどうやったか。洋梨の木の枝を瓶の中に入れて、瓶の中で実を育てたのだ。

「そんな、馬鹿な」

 考えうる最後の理屈に、我知らずため息が出る。まさか自分は、赤ん坊の内にこのウロに投げ込まれてここまで育ったというのだろうか。隙間から食事を与えられて?衣服は?風呂はどうする?

 支離滅裂な順序ではあるが、彼は自分の体と服装を確認し始めた。体型は至って標準的。年齢にしては身長がやや心もとないという感覚から、逆説的に自分の年令が十六であることを思い出した。髪は癖のない直毛で、前髪は眉の上でざっくりと切り揃えられている。身につけているのはベージュのズボンと藍色のチュニック。どちらも麻製らしく、飾り気はないが肌触りや着心地は悪くない。チュニックの上から細身の荒縄をベルトの代わりに締めている。足元は踝まである革製ブーツを履いていた。手触りから、本物の動物の革であることが分かった。

 本格的に、今の状況がどれだけ不可思議なものであるかを実感し始める。自分の名前すら思い出せないのに、自分に名前がないことはおかしいと知っている。生まれてからずっとこの空間で過ごしてきたとしか思えない状況なのに、外にはもっと広い世界が広がっていることだけは理解している。麻や動物の革を衣服に用いることに疑問を抱かなかったし、洋梨と酒の瓶に関する仕組みの知識もあった。考えるほどに矛盾だらけだった。

 頭上を見上げる。隙間から差し込んでくる陽光の角度の変化から、日が昇り始めていることが分かった。熱くもなく寒くもない気温から季節は春か秋、明るさと雰囲気から、恐らく朝の六時か七時というところだろう。

 耳を澄ましてみる。自分の息遣い以外には何も聞こえない。歩けば自分のブーツの足音が、木の根を叩けば湿った音が、ウロの中に微かに反響するだけだ。

 隙間から外を覗き見てみる。目に入ったのは緑と青。草原と、地平線と、青空だけだった。どの角度の隙間を覗いても同じだった。どうやら小高い草原の丘の上にこの木はそびえ立っているらしい。視覚的な情報は乏しいとしか言いようがなかった。

 地面に腰を落として座ってみる。静かだ。薄暗い。地面は滑らかで、ひんやりとした。細長い光の筋達が作る小さな日向が、断りもなしに彼の足の甲の上を横切っていった。

 焦るべきだろうか。声を上げて助けを求めるべきだろうか。無駄だろうと思うと同時に、それが自分の胸から沸いてきた衝動か否か、そんなことが気にかかった。何となく、出自の怪しい備え付けの知識のようなものが、そうするべきと自分に焚き付けてきているような気がしていた。果たして自分は、ここから外の世界に出ていきたいと思っているのだろうか。

 誕生の前に知識を得てしまった胎児のように、彼は膝を抱えて黙考する。自分は今、何をするべきか。何もない空間の中での思考は、自然と哲学的な方向に向かっていった。

「ねぇ、キミ」

 まるで見かねたように、その声は彼の背後の頭上から降ってきた。彼は特に驚くこともなく、ゆっくりと振り返って顔を上げる。

「……何してるの?」

 声は確かに、根の壁の外側から聞こえている。音源の高さは、座っている彼の耳から数十センチ上。女の子の声だから、恐らく壁の外側に女の子が立って、この空洞の中に向けて話しかけているのだろう。

「何って……」

 彼は自分の様子を、自分の顔についた目で確かめる。自分のことは自分では観察しづらいものだと感じた。

「座ってる、かな」

 壁越しでも分かる失望の気配。何故か彼は、姿も見えない相手がそういう反応をしていることを察知していた。

「そうじゃなくて。……もしかして、ずっとそうしてるつもり?」

 彼自身の中から聞こえた煽動と同じトーンで、女の子は責めるように言う。

「……やっぱり、そういう訳にはいかないのかな?」

 彼は頭を掻きながら、のろのろと立ち上がる。

「閉じ込められたままで、良いわけ無いでしょ?」

「……やっぱり、これって閉じ込められてるのかな?」

「他に何があるっていうのよ?」

「もしかして、僕はずっとこのウロの中にいたんじゃないかって、そう思って……」

「…………」

 壁の外の失望は、また少し色濃くなっていた。

「そんなわけ無いでしょう。早く、そこから出る手段を見つけて」

「……出る手段って言っても……」

 ひとしきり悩んだ後、彼は女の子と自分の間にそびえ立つ壁の、微かな隙間に両手の指を差し込んだ。隙間を広げようと両手に力を込める。

「……うーん……。やっぱり、ダメみたいだ」

 全力を込めると微かに根の間隔は拡がるのだが、力を緩めるとすぐに戻ってしまう。実のところ試したのは初めてだったが、それがバレると更に呆れられるような予感がして、彼は誤魔化しを含む言葉で言った。

「ちょっと待って。キミの方には、何もないの?」

「え?」

 女の子の言葉の意味が分からず、彼はオウム返しする。

「キミの方?何もない?」

「……私の木の中には、剣があったわ」

「……剣?」

「もっとよく探してみて。何か、使えるものはないの?」


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