苦手な『うに』を克服する話
まずいって決めつけないでさ、ちょっと食べてみようよ?
意外と好物になるかもよ?
人間には、最初に物事、或いは人物に対し悪印象を抱いた場合、その印象が、でかいバイアスとして記憶に残り続け、それを後年に至るまで、徹底的に忌避するようになるっていう、『ファーストインプレッション効果』(私命名)ってものが、あるように思う。
例えば、こんな感じだ。
黒い海苔がジメッと縮み、しみったれたサイズの草臥れた茶色をした半固形物が飯の上にみすぼらしくのっている。
まぁ、あまり質の良くない類のうにの軍艦巻きなのだけれど、私は質にかかわらず、最初に食べたときの悪印象のせいで、こいつが長らく食べられなかった。
初めて『うに』を食べた日。
まだ、小学校の低学年だった頃の話だ。
気色の悪い見た目のそれを口に運ぶと、昼間のビーチのサンダルに絡まった海藻のような、お世辞にも心地いいとは言えない潮の匂いに、ザラつきのある触感。苦味・エグ味が、熱を持った煙のように、もわっと口の中に広がった。
私は即座にコップの水を流し込み、それだけでは足らず、大量のお茶を飲んで腹が膨れ、最低な気分になった。
これが『うに』の私のファーストインプレッションだ。
次に見た『うに』が例え、美味しそうなものだったとしても、手が出ない。
海苔はちゃんと海苔の香りがし、パリっと張っており、うにもふっくらとして明度も透明感も高くツヤツヤと輝いている。
「もしかしたら、最初に私が食べた『うに』は特別悪いもので、今度のものはおいしいのかも知れない」
頭の片隅にそんな想像は、浮かぶのだけれど、『最初に食べたときのまずさ』が、判断をミスった場合の『リスク』として脳裏に定着しているがゆえに手が出せない。
人は『未知』に対し、必要以上に『過大評価』する傾向を持っている。『未知』だったときに食べた、『うに』のまずさが必要以上に大きなバイアスとなって『リスク』化しているのだ。
合理的に考えるならば、眼の前の『うに』は最初に食べた『うに』と比べ、鮮度が高く、見た目に明らかに美味しそうではある。
つまり、冷静に考えれば、「食べる」という今回の判断が、判断ミスだったとして、私がイメージしている『うに』の味ほどは、目の前の『うに』はまずくないはずである。
しかし、手が出ない。脳裏に浮かぶのは、あの、まずかったときの『うに』の味ばかりである。
こんな感じの苦手を、克服するには、どうすればいいか?
結論を言おう。『ファーストインプレッション』を『期待感』で上書きするだけの『信頼』をしてやればいい。
何を信頼するか? それは、『自分の判断』をだ。
どうすれば、自分の判断を『信頼』できるか? これも答えがあって、「いいところを見ることに注力」すればいい。具体的にやってみようか。
「今度のうには、最初のものとは違う。鮮度も高いし、うまい可能性は高い。みろ、海苔はちゃんと海苔の香りがする。シワシワなんかじゃないぞ。パリッとしてる。うにも大きいし、ふっくらしている。色も赤みがかって明るくつやつやだ。粒だって立っている。『うに』をうまいという人は多い。きっといいものはうまいんだ。今度の『うに』は、うまいに決まってるんだぜ! こいつはうまいぜ! ああうまいさ! 俺の判断を信じろぉおお!!」
こんな感じ。ちなみに私は長らく『かにみそ』も食べられなかったけれど、同じ方法によって克服した。
多分、恐怖症の克服法なんかも同じなんじゃないのかな?
高所恐怖症だとこんな感じ。
「あそこから見える景色はきっと格別なんだぜ。最初に見た、怖いだけの梯子の下の景色とは違うぜ。きっと悩みなんてちっぽけに見える。そうさ。高いところに登ると、悩みが小さく見えるって人は多いんだぜ! 落ちる確率? 野暮なことを聞くなよ? 家に帰るまでの間に交通事故にあう確率よりは低いよ。おれは最高の景色を見るぜ! うぉぉぉ、やっぱ、怖ぇえええええ!」
まぁ、恐怖症は、根深い分、繰り返しやる必要があるんだろうけどさ。
ドSな、系統的脱感作よりも効果は高い気がする。
さあ、みんな! リスクを恐れて『苦手』に手を出さないんじゃなく、自分の判断を『信頼』してリスクを取りに行こうぜ。
きっと未知の美味しいものが待ってるよ!