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弥生の暗号

作者: 育岳 未知人


『この物語に登場する歴史的名称や遺跡は、事実に基づいたものである。』



一、プロローグ



「お父さん、私、社会科で卑弥呼のことを習ったのよ。」と美知は、うれしそうに笑って言った。つい先日、光一は新聞で、ビッグバンから約8億年後の初期宇宙に、巨大なガス状の天体が発見され、古代日本の女王卑弥呼にちなんで『ヒミコ』と名付けられたことを知り、美知に女王卑弥呼の話と、この約128億光年という途方もなく遠方の初期宇宙に存在するという『ヒミコ』という天体の話をしていたのだ。そして、自分でも『古代日本』と『宇宙』という一見何の関わりもない二つのテーマが光一の頭の中で化学反応を起こし、その興味は尽きないのだった。光一は美知の教科書を手に取り、卑弥呼が女王として君臨していたと言われている邪馬台国のページを開いてみた。そこには、朝鮮半島から九州へと続く国々の道程が記されてはあったが、途中からは疑問符が付いており、諸説あるようであった。


美知は何でも知りたいお年頃の十四歳、光一は中年を過ぎて少しくたびれて来た父親四十八歳、わからないことがあると、とことん追求したくなる二人は、邪馬台国への旅に出発することにした。と言っても、いったん宇宙の『ヒミコ』は置いといて、まずは地図と本の世界が広がる2次元の古代日本についてだけどね。


邪馬台国のことでわかっていることと言えば、卑弥呼は邪馬台国の女王で、時は稲作が始まったとされる弥生時代の頃ということくらいだった。何から調べたらいいのか、困ってしまった二人は、ネットで邪馬台国を検索してみた。すると、ウィキペディアの邪馬台国の説明には、「魏志倭人伝」という中国の歴史書に記載されているとのことであった。まずは、魏志倭人伝を入手して、そこから旅を始めることにした。

中国の魏王朝(西暦220年 ~ 265年)のことを記した「魏志」は、日本でも横山光輝の漫画などで有名な三国志の一つで、その中でも倭人(昔の日本人)のことを記した魏志倭人伝は、当時の日本の状況を知る有力な手がかりとなる資料である。

アマゾンで検索すると岩波文庫で以外と安く購入できることがわかり、光一はさっそく注文した。

数日後、届いた包みを開けると、以外と薄い一冊の本が現れた。購入した文庫本には、魏志倭人伝の他に、後漢書倭伝(後漢書東夷伝)なども併載されていた。

そこには難解な古文や漢文の茫洋とした2次元の世界が広がっていたが、格闘を重ねていくと新しい発見があり、3次元・4次元の世界へとつながって行き、思いがけない出会いが二人を待ち受けていたのである。




二、倭国とは何か?




魏志倭人伝を開くと、冒頭に『倭人は帯方の東南大海の中にあり・・・旧百余国。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十国。』と続いている。邪馬台国は一つの国ではなく、三十国以上から成る連合国家の一つだったのだ。そして、その国々に住んでいた人々を『倭人』と呼び、連合国家全体を『倭』と呼んでいたようである。したがって、卑弥呼は、倭全体を統治する女王だったのである。


さらに読み進めると、倭の北の境界が見えてきた。『郡より倭に至るには、海岸に従って水行し、韓国を経て、或いは南し或いは東し、その北岸狗邪韓国に至る七千余里。・・・』

『郡』とは冒頭に『帯方』とあるように『帯方郡』を指している。『韓国』とは、この当時(2~3世紀頃)と言えば『馬韓』を指しているものと思われる。そして、韓国から南や東に行った先に北岸である(南岸ではない)『狗邪韓国』があると言っているので、『狗邪韓国』は韓国の範囲ではないことがわかる。つまり、『狗邪韓国』は倭の北岸と伝えているのである。『狗邪韓国』とは、後に日本が『任那みまな』と呼んだ朝鮮半島南岸の出先機関で、『伽耶かや』などとも呼ばれていた地域を指しているものと思われる。


「じゃあ、南の境界はどうなの?」

学校から帰ってきた美知が、冷蔵庫のケーキをおいしそうに頬張りながらにわかに質問した。

「それがわかれば苦労はないよ。おいおい、それは父さんの誕生日に母さんが買ってくれたシャトレーゼの和栗のモンブランだぞ!」

そう言いながら、諦め顔で光一は、それとなくページをめくってみた。

この本には、後漢書東夷伝(後漢書倭伝)も併載されている。後漢書東夷伝は、後漢のことを記した後漢書のうち朝鮮半島や日本などの東夷について列伝としてまとめたものである。ただし、成立年代は魏志倭人伝より新しく後漢滅亡から200年以上後らしい。

ところが、その一節に『建武中元二年、倭の奴国、奉貢朝賀す。・・・倭国の極南界なり。光武、賜うに印綬を以てす。』とある。建武中元二年の中国は、後漢の時代で、西暦57年にあたる。

すると、美知が笑って言った。

「それって博多で見つかった金印のことじゃない?」

光一は倭の範囲を思い浮かべてみる。

「北は朝鮮半島南部から南は福岡市くらいまでの範囲だったってことか?」

「いやいや、玄界灘を挟んだ両岸だけだなんて、そんなに狭い土地に三十国から百余国の国があったとは思えないぞ。」

再度、後漢書東夷伝を冒頭から見てみると、『倭は韓の東南大海の中にあり、・・・凡そ百余国あり。武帝、朝鮮を滅ぼしてより、使駅漢に通ずる者、三十許国なり。』とある。

『朝鮮』とは、中国が漢の時代の頃だと、朝鮮半島にあったと言われるいわゆる『古朝鮮』のことだと思われる。古朝鮮には、檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮という3つの時代を経た緩やかな連合国家が存在したとされているが、衛氏朝鮮以外はいずれも伝説めいていて真偽のほどは明らかではない。しかし、後代の歴史的存在が明らかな李氏朝鮮と区別するために、これらの古代朝鮮のことを総称として古朝鮮と呼んでいる。この古朝鮮が滅ぼされる前には倭は百余国あったわけで、それが、古朝鮮を滅ぼすことで通訳の居る国に限定されているとはいえ三十許国に減ったということは、つまり、倭は古朝鮮という連合国家の一部を成していたということではないだろうか?

「古朝鮮が滅ぼされる前は、倭って以外と北のほうに交じり合って存在していたのかも知れないね。」


「でも教科書にも載ってる邪馬台国は玄界灘を渡った後に、さらに南に水行十日陸行一月なのよ。投馬国のほうだって南に水行二十日だし、どっちも遠いわ。」美知が怪訝そうに言った。

「世界では紀元前から帆船があったみたいだけど、まだ道は整備されていなかっただろうから陸行は徒歩かもね。橋もなかっただろうから川を渡るのも大変だよね。それを考えるとこれだけの日数かかってもそんなに遠くまでは行けないよ。」

「でも、船の速度を遅く見積もって徒歩と同じくらいだとすると、毎時4kmで6時間進めば、1日に20km以上は進むだろうから、20日で400kmは進むことになるわ。」

「確かに福岡からそれぐらいずっと南に行くと少なくとも鹿児島や宮崎辺りまでは行くことになるなあ。」

「でも、邪馬台国は最後に長い陸行が入るから沖縄や奄美のような島じゃないわよね。投馬国だって人口が五万余戸とかなり多いので島じゃなさそうだしね。」

「そうなると、南の境界は、南の島じゃなくて、鹿児島や宮崎辺りってことか。いくら金印が出たからって福岡じゃ道程記述と矛盾するな。歴史書だし、でたらめ書いてるとは思えないしなあ。」

「・・・」

「もしかしたら年代が違うってことじゃないかな?つまり、ずっと昔、前漢の武帝が古朝鮮を滅ぼす前には、倭は古朝鮮と交じり合って九州辺りまで100余国存在していたけど、古朝鮮が滅ぼされて漢四郡が置かれると、馬韓と共に朝鮮半島の南西部に逃れ、後漢の頃には、金印が見つかった福岡市辺りまでの30余国になった。しかし、その後の魏の頃には今度は馬韓を百済が統一したので、倭はさらに後退せざるを得ないから、北の境界が朝鮮半島南岸の狗邪韓国(伽耶)までとなったが、その代わりに南の境界を九州南部まで広げ、倭国の領土を拡大したということじゃないかな?」


ここで、倭国の範囲を整理しておこう。


『年代』          『倭国の南北の境界』    『通訳のいる国』

前漢の頃(紀元前150年頃) 古朝鮮~福岡辺りまで     100余国

後漢の頃(西暦57年頃)   馬韓~福岡辺りまで       30余国

魏の頃(西暦250年頃)   狗邪韓国~鹿児島や宮崎辺りまで 30余国



『朝鮮半島と九州の概図』 『倭国の南北の範囲』


 *     *

  *     *

 *古朝鮮    *    ↑

   *     *    |          

  *馬韓    *    |  ↑

  *      *    前  |

 *  伽耶 *      漢  後  ↑

 ******       の  漢  |

              頃  の  |

              |  頃  魏

    ****      |  |  の

  ** 福岡 *     ↓  ↓  頃

  **    *           |

   *  宮崎*           |

   *鹿児島*            ↓

    ***



「じゃあ、東西の境界はどうかしら?」

「西は中国までは含まないだろうから、九州の西岸ってとこかな。五島列島も含まれるかもね。東はどうだろう?」

「色んな国が列挙されてるけど、方角や距離がまったく書いてないから、よくわからないわ。」


 東の境界 :?

 西の境界 :九州西岸(五島列島含む)


二人は、あちこち調べてみたが、手掛かりは掴めず、ここからは膠着状態で、進まない。

「今日のところは、ここまでにしておこうか。」

「結構手強いわね。長期戦になりそうね。」




三、卑弥呼?との対話




久しぶりに友人の多歌志からラインのメッセージが届いた。彼はナゴヤドームの中日・阪神戦ナイターのチケットが手に入ったからいっしょに野球観戦しないか?とのことだった。光一はあまり野球に興味はないが、松坂大輔が登板するとのことで、それには心が動いた。それにスタンドで飲むビールも格別だし、光一は二つ返事で快諾した。

静岡からだと名古屋でナイターを見て帰るのはしんどいし、名古屋のホテル予約と新幹線のチケットを購入し、会社には明くる日の有休を出して、準備OK。


球場に着くと、多歌志はすでにスタンドに陣取ってビール片手にほろ酔い気分だ。

「こんな暑い夏の夜はナイターで一杯やるのが最高だね。」

途中からの合流となった光一はまだ付いて行けない。さっそくキャピキャピの売り子さんからビールをいただくと、マウンドの松坂に目をやった。今夜は背中を痛めてからの復帰戦ということで期待が膨らむ。4対2で中日リードの6回、フォアボールや高橋周平のタイムリーヒットなどで一挙に4点、8回に阪神が3点返したが、9回終わってみると8対5と中日の勝利に終わった。二人は上機嫌で球場を後にし、栄の街の夜は更けて行った。


その夜、光一は夢を見た。卑弥呼(いや卑弥呼らしき女性)と球場で野球観戦していた。彼女は、緋色と紫色のラインが施された貫頭衣に勾玉と管玉を通した首飾りをして、頭には古墳島田のような髷を結っていた。すると彼女が言った。

「次のバッターがホームラン打つわよ。」

「・・・」

確かに2ランホームランだった。

「どうしてそんなことがわかるんだい?」

「私は伊勢の神様に仕えているから何でもわかるの。」

「伊勢の神様って?」

「宇宙を司る日の巫女 天照大御神よ。」

「君は伊勢の神様とどういう関係なんだい?」

「私は伊勢の神様の宇宙意志を受け継いで神になったわ。だから、神は私たちの中にいるの。私は神であり、巫女なの。」


明くる日は暑く焼けつくような日だった。朝食を済ませた光一は、昨夜の夢が忘れられず、伊勢まで足を延ばし、伊勢神宮に参拝しなければならないと思った。名古屋駅で伊勢市までの切符を買うと、伊勢神宮に向かっていた。外宮に参ってから内宮に参るのが通例らしいのだが、光一は天照大御神に会いたくて、まず内宮に向かった。

鳥居を潜って五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、参道を進むともう汗だくになった。宇治橋は、日常の世界と神聖な世界を結ぶ架け橋と言われる。そういえば、『宇治橋』とは、宇宙を治める天照大御神と自分をつなぐ架け橋なのかも知れない。光一は参道を進むにつれ、気が遠くなってくる感覚を覚えた。何とか手水舎まで来て、木立ちの中を進むと急にさわやかな風が火照った身体を癒してくれる。

本殿の階段を上り、作法どおり二礼二拍手一礼で手を合わせ「私は貴方様に会いに来ました。これから何をすべきかお教えください。」といったようなことを念じてそこを退いた。


少し小腹が空いてきたので、おかげ横丁で冷やし伊勢うどんを食べると、今度はおはらい町で赤福のセットをいただき、一休み。


バスに乗り、次は外宮に立ち寄る。ここは天照大御神の食事のお世話をしてくれるという豊受大御神が祀られている。光一は、内宮と同様に本殿にお参りし手を合わせた。

すると木立ちの中から昨夜の夢の卑弥呼らしき彼女の声が『隠された歴史の扉を開くのよ!』と微かに聞こえたような気がした。光一は、もう一度耳を澄ませてみたが、それっきりで小鳥の鳴き声にかき消されてしまった。


光一は、外宮を後に、帰宅の途に就いた。新幹線の中でまどろみながら車窓を眺めていると、ふと頭に浮かんだことがあった。「天照大御神は日の巫女、つまり卑弥呼なら、豊受大御神は台与とよではないだろうか?」

魏志倭人伝には、卑弥呼の死と、それを十三歳で受け継いだ台与のことが記されている。夢の中の彼女も、伊勢の神様の宇宙意志を受け継いだと言っていた。豊受大御神と台与のいずれも『とよ』ではないか。光一は、魏志倭人伝と神話が重なり合って行くのを感じた。




四、古事記との出会い




光一はさっそく神話のことが知りたくて、古事記を注文することにした。この本もまた岩波文庫で結構安価に購入することができた。

「こじきならもっと詳しいことがわかるかも知れないよ。」と朝のテレビを見ながらおいしそうにピザトーストをかじっている美知に声をかけた。

「えっ、乞食になるの?」

光一は憮然として答えた。「おいおい、いくら父さんの給料が安いって言ったって、乞食になるつもりはないよ。ほら、これは神話なんかが載ってる古事記っていう本さ。」

「へえー、なんか難しそうな本ね。これで何がわかるっていうの?」

「この本は魏志倭人伝なんかと同様に太古の昔から日本の皇室のことを記録した歴史書でもあるんだ。」


古事記は、上巻の序段の記述によると、第四十代 天武天皇の命によって稗田阿礼 が口に出して何回も読誦していた皇室の記録「帝紀」と、神話や伝説を記した「旧辞」を、第四十三代 元明天皇の命によって太安麻呂が記録し、西暦712年に献上したものとある。日本の有名な歴史書としては、この他に「日本書紀」という歴史書があり、この古事記と日本書紀の各々の末尾を合わせて、「記紀」と呼んだりする。日本書紀は、日本最初の正史として、舎人親王らの編纂により、西暦720年に完成したが、その成立の経緯は明らかでない。

古事記の構成は、上巻と中巻と下巻の三巻構成になっており、上巻は序段と日本創造から神武天皇(神倭伊波禮毘古命)誕生までの神話、中巻は初代 神武天皇から第十五代 応神天皇までの天皇の略歴とエピソードをまとめた記録、下巻は第十六代 仁徳天皇から第三十三代 推古天皇までの天皇の略歴とエピソードをまとめた記録である。


『古事記の構成』


上巻:

序段と、日本創造から神武天皇(神倭伊波禮毘古命)誕生までの神話


中巻:

初代 神武天皇から第十五代 応神天皇までの天皇の略歴とエピソード


下巻:

第十六代 仁徳天皇から第三十三代 推古天皇までの天皇の略歴とエピソード


「何となく構成はわかったけど、取っ付きにくい本に変わりはないようね。」

「そうだなあ、でも、まず知りたいのは、神話の話なんだ。魏志倭人伝に記された時代と古事記に記された時代にはどこかに接点があるはずなんだよ。僕の感では、魏志倭人伝に登場する卑弥呼と、古事記の神話に登場する天照大御神は同一人物じゃないかと思っているんだ。」

「だから、この前、父さんは伊勢神宮に行ってお札もらって来たのね?」

「そのとおり、というか、伊勢神宮で不思議な体験をしたんだ。だから・・・」光一は、美知と妻の文江にそのときの夢と木立ちの囁きの話を掻い摘んで話した。

「邪馬台国を調べ始めたと思ったら今度は神様のことを調べだしたのね。なんだか不思議な話だけど、どちらも導かれてるってことなのかしら。」

文江が訝って言った。

「でも神話って架空の話じゃない? 歴史と接点なんてあるの?」

美知も怪訝そうに言った。

「昔の偉人は、真実を神話や昔話などのカプセルに暗号として組み込んで語り継がせ、理解できる人物や社会環境が整って初めて明らかになるようにしたと思われるんだ。ダビンチコードって映画知ってるかい?」

「知ってるわ。ラングドン教授がダビンチの謎を追う話ね。だから、卑弥呼らしき人は、『隠された歴史の扉を開くのよ』って言ったのね? 」

「そうだと思うんだ。」

「何だかおもしろくなってきたわね。」




五、天岩戸隠れ




私たちはさっそく、気になっていた古事記上巻の天の石屋戸の段を開いてみた。そこには、誓約(約束)をして勝ち誇ったように、悪戯し放題で暴れまくる弟の須佐之男命に、困り果てて岩屋に隠れてしまう天照大御神の姿があった。

「そういえば、魏志倭人伝にも、卑弥呼には弟がいて、卑弥呼の補佐をしていたと書いてあったわね。」

「よく読んでるなあ。卑弥呼は敵対していた狗奴国との抗争の中で亡くなるが、その抗争の火種を作ったのは須佐之男命で、彼が約束を破って秩序を乱し、好き放題したので、狗奴国が怒ったのかも知れないな。そして、『隠れる』とは、天皇が亡くなることを意味するらしいが、天照大御神が岩屋に隠れたのは亡くなったことを意味しているんじゃないだろうか。」


天照大御神が隠れると高天原も葦原中国も真っ暗になり、万の災いが起こるようになる。困った神々は、集まって考えに考えて、岩戸の周りで太陽の出現を乞う儀式や、歌や踊りとにぎやかな笑い声を響かせる。そして、どうしたのかと気になった天照大御神が岩戸を少し開いたところを引っ張り出し、世の中に明るさが戻るのである。

天照大御神の岩戸隠れで、天上界を意味する高天原と、地上界を意味する葦原中国のいずれも暗くなり、災いが起きるのである。つまり、高天原を統治していた天照大御神が亡くなることで、直接関係のない葦原中国も暗くなり、災いが起きるということは、運命共同体であることがわかる。


魏志倭人伝に置き換えてみると、卑弥呼が亡くなった後、男王を立てても国中が服せず、殺し合うという状況は、災いと言えなくもない。卑弥呼は倭国の王なので、高天原は倭国とすると、地上界を意味する葦原中国とはどこだろうか。そして両国は運命共同体なのである。狗奴国は敵対しているので葦原中国ではない。

高天原で悪行を尽くした須佐之男命は、高天原を追放され、地上に下ろされる。降りた所は出雲である。須佐之男命は、八岐大蛇を退治して地上に出雲国を切り開くのだが、その後を継ぐことになる大国主命は、意地悪な八十神の迫害に遭いながらも、根の国に居る須佐之男命から課せられた試練に耐え、須佐之男命の娘である須勢理毘賣命の助けを借りて根の国を逃れ、遂に出雲国の王となり国土を急拡大して行く。そして、建てた国が葦原中国ではないだろうか。そこへ、天照大御神は、大国主命に国譲りを迫り、広大な葦原中国という地上の大国をも手中に収めていくのである。高天原の意のままにならない須佐之男命に取って代わった大国主命とは、高天原から国譲りを迫られるという関係性を考えると、彼もまた元は高天原の出身で、出雲国をコントロールするために高天原から派遣された天照大御神の使者だったのかも知れない。


光一は、宇宙のヒミコを思い浮かべてみた。

ビッグバンによって宇宙が生まれたとするビッグバン宇宙論によれば、古代宇宙にある天体『ヒミコ』は、ビッグバンから8億年後にあたる129億年前の初期宇宙で、その頃の宇宙には小さな天体しか存在しなかったとされており、ビッグバンの10億年後頃から少しずつ小さな天体が合体集合してクエーサーや銀河が誕生して行ったと考えられてきた。ところが、ヒミコの大きさはすでに地球がある天の川銀河の半分ほどの5万5千光年にも広がっている。その質量は太陽の400億個分と試算され、同時代の他の銀河の10倍以上になるのだ。なぜそのような規模になったのかは未だ謎なのである。卑弥呼の拡大政策もまさに謎多きビッグバンだったのではないだろうか?


『古事記上巻 神話』          『魏志倭人伝 史実』

天上界 → 高天原   → 暗くなる  倭国 → 殺し合う

姉 天照大御神       ↓     姉 卑弥呼 → 台与

隠れる → 現れる     ↓     死去 → 受け継ぐ

              ↓運命共同体

地上界 → 葦原中国  → 暗くなる  出雲国?

弟 須佐之男命 → 大国主命      弟 名前は不明

    高天原の使者?↑


しかし、このようにして、天上界に加え広大な地上界をも手中に収めた天照大御神であったが、狗奴国との戦闘に倒れ、世の中が暗くなってしまうのである。

そこへ、再び天照大御神が岩屋から引っ張り出されると、明るさを取り戻す。引っ張り出されたのは十三歳の台与ということか。だから、伊勢神宮外宮の祭神は、『豊が受け継いだ』という意味の豊受大御神となるのではないか。


「神様が死ぬことにはできないので、一度隠れて現れるという表現になったのかも知れないね。」

美知がスマホをいじり ながら相槌を打った。

神話が史実と同じことを物語っているようだ。光一は、魏志倭人伝と古事記の神話が解け合っていくのを感じた。




六、神武の架け橋




古事記上巻の神話が事実を記したものだとすれば、古事記の中巻や下巻の天皇記との関係はどうなるのだろうか?

古事記上巻は、「別天つ神五柱」と「神代七代」の合計十二代の神の羅列と、神代七代の最後の夫婦神である伊邪那岐神と伊邪那美神による国生みと神生みで始まり、最後に迦具土神を産んだ時に伊邪那美神が火傷を負って亡くなることで夫婦神の神産みが終わる。しかし、伊邪那美神を忘れられず、死後の世界である黄泉の国へ訪ねて行った伊邪那岐神は、八柱の雷神に追われて黄泉の国から命辛々逃れて小門の阿波岐原に至り、天照大御神と月読命と須佐之男命の三貴子を生むのである。そして、天照大御神には高天原を、月読命には夜の国を、須佐之男命には海原を、それぞれ統治するようにと命じる。その後、先にも述べた、天照大御神と須佐之男命の誓約の話、高天原を追われた須佐之男命の八俣の大蛇退治の話、大国主命の国譲りの話、邇邇芸命の天孫降臨の話などが続くが、最後を見ると、『神倭伊波禮毘古命』が生まれるところで終わっている。

一方、古事記中巻では、この神倭伊波禮毘古命である神武天皇が、日向を発って神武東征するという神武天皇記から始まり、第十五代の応神天皇記で終わっている。

これは一見、上巻から中巻へと直列に話がつながっているように見える。しかし、天照大御神=卑弥呼とすると、卑弥呼が死去した年代は西暦248年頃なのに、神武天皇の即位年代は紀元前660年とされており、辻褄が合わないことがわかる。


『古事記上巻』

別天つ神五柱~神代七代 ・・・ 天照大御神 ・・・ 神倭伊波禮毘古命

(最後は伊邪那岐神)  (卑弥呼 西暦248年死去)

                   ↑

        神武天皇即位が卑弥呼死去より後になり矛盾

『古事記中巻』   ↓

神倭伊波禮毘古命 ・・・・・・・・・・・・・・・ 第十五代 応神天皇

(神武天皇 紀元前660年即位)


「神話と天皇記をつなぎ合わせるために、上巻の最後に神武天皇が生まれたことにしたんじゃない?」

「つまり、上巻と中巻は直列ではなく、並列的に同じ年代を表しているってことか。上巻の神の系譜が中巻の天皇の系譜を表しているとしたら・・・」

私たちは、上巻の神の系譜をウィキペディアで調べ、上巻と中巻から語尾以外にも『神』の付く神と天皇を洗い出してみた。


 『語尾以外に神の付く神と天皇』

上巻 [神]産巣日神 [神]倭伊波禮毘古命

中巻 [神]武天皇  崇[神]天皇 応[神]天皇


「上巻では『神産巣日神』以外には、神武天皇の神倭伊波禮毘古命だけよ。」

「ということは、『神産巣日神』が神武天皇に対応しているんじゃないか?」

「順番に並べてみましょうよ。」

私たちは、上巻の系譜と中巻の系譜を並べて比較してみた。


『上巻(神話)』 ←並列?→ 『中巻(天皇記)』

天之御中主神

高御産巣日神

神産巣日神          神武天皇

宇摩志阿斯訶備比古遅神    綏靖天皇

天之常立神          安寧天皇

国之常立神          懿徳天皇

豊雲野神           孝昭天皇

宇比地邇神          孝安天皇

角杙神            孝霊天皇

意富斗能地神         孝元天皇

於母陀流神          開化天皇

伊邪那岐神          崇神天皇

天照大御神          垂仁天皇

天忍穂耳命          景行天皇

邇邇芸命           成務天皇

火遠理命           仲哀天皇

鵜葺草葺不合命 ← 一致 → 応神天皇


神産巣日神=神武天皇として並べると、終わりがぴったり一致することがわかる。試しに、天照大御神に対応する垂仁天皇記とその前の崇神天皇記を調べてみると、崇神天皇の御子の倭日子命という方の陵に人垣を立てたと記されているが、魏志倭人伝の卑弥呼が亡くなったときも、奴婢を殉葬したことが記されており、共通していることがわかる。同じ崇神天皇の御子の垂仁天皇は、伊久米伊理毘古伊佐知命という諱(いみな:お名前)を持たれており、『伊久米いくめ』は、邪馬台国の官の名前『伊支馬(いきめ?)』ともほぼ一致する。

「少しずつ歪みを入れて気づかれないようにしているようだな。日本書紀には垂仁天皇記に野見宿禰が殉葬の代わりに埴輪を立てることを提案したことが記されているらしい。卑弥呼だって、殉葬なんてしてほしくなかったんじゃないかな。」


 『魏志倭人伝』      

①卑弥呼の死と台与の継承       

②卑弥呼死去時に奴婢の殉葬

③邪馬台国の官の名:伊支馬いきめ

              

 『古事記上巻(神話)』

①天照大御神の天岩戸隠れと再登場

②(相当する記述無し)

③(相当する記述無し)

               

 『古事記中巻(天皇記)』

①(相当する記述無し)

②崇神天皇の御子 倭日子命の陵に人垣

③崇神天皇の御子 垂仁天皇の諱:伊久米いくめ                


光一は、神話と天皇記も解け合って行くのを感じた。




七、弥生の終わりを探る




「古事記下巻の最初に登場する仁徳天皇は、大阪の巨大な前方後円墳の仁徳天皇陵で有名よね。だから仁徳天皇の時代はすでに古墳時代ってことじゃない?だから、古事記上巻の神話と古事記中巻の天皇記が同じ年代を並列に記述されているとすると、やはり、『神』の付く中巻末の応神天皇と上巻末の鵜葺草葺不合命の辺りを調べていくと弥生時代の終わり頃のことがわかるかも知れないわ。」

「美知いい所に気が付いたね。」

私たちは、さっそく中巻と上巻を比較検討することにした。

「応神天皇のお母さんは神功皇后でしょ、そして、鵜葺草葺不合命のお母さんは海神の娘で豊玉毘賣命ってことは、神功皇后=豊玉毘賣命ってことよね。」

「おい、それちょっと気になるなあ。『豊』って豊受大御神=台与とも同一人物かも知れないぞ。」

「夫の仲哀天皇の記述は少しで、在位9年間の後を神功皇后が引き継いで統治したのよ。だから、仲哀天皇は台与が受け継ぐ前の政治的混乱を来たした男王じゃない?」

「そうなると、卑弥呼の後を継いだ男王が混乱を来たしてその後を台与が引き継いだ訳だから、うまくつながるな。でも、問題がある。天照大御神の垂仁天皇から仲哀天皇までの間に景行天皇と成務天皇がいるんだ。間が空くのはおかしいよ。」

「・・・」

「待てよ、成務天皇は天孫降臨した邇邇芸命じゃないか。天上界から地上界に降臨したんだから、高天原の統治はしてないんだよ。だから、在位期間ゼロと考えていいんじゃないか。」

「景行天皇も同じかしら?」

「在位期間をネットで調べてみよう。」

「景行天皇と成務天皇の両方とも在位期間は60年だわ。」

「60年?確か前に聞いたことがあるぞ。そう干支だ。干支は、正式にはよく知られている ね・うし・とら・う などの十二支に、十干という(きのえ)(きのと)(ひのえ)(ひのと)(つちのえ)(つちのと)(かのえ)(かのと)(みずのえ)(みずのと)を60まで組み合わせた60を周期としているんだ。つまり、60年もゼロ年も同じだってことさ。」

「だから、垂仁天皇から仲哀天皇までの間は空いていないってことね。やっぱり、神功皇后は台与ってことね。」


 『垂仁天皇(卑弥呼)と神功皇后(台与)の間の年代差推定』

    天照大御神   垂仁天皇 卑弥呼

    天忍穂耳命   景行天皇 60年在位 → 在位なし

    邇邇芸命    成務天皇 60年在位 → 在位なし

↓   火遠理命    仲哀天皇 9年在位 → 男王?

妻 母 豊玉毘賣命   神功皇后 台与

  ↑ 鵜葺草葺不合命 応神天皇


「じゃあ神功皇后のことをもっと調べてみるか。」

「神功皇后は大変な働きをされた方のようで、熊襲や新羅と戦ったりしてるわ。そして仲哀天皇と住んでいたのは福岡市の香椎っていう所みたいよ。」

「海神の本拠地も福岡近辺と聞いたことがあるから、海神の娘である神功皇后もその辺を根拠地にしていたのかも知れないね。」


「それなら、垂仁天皇の宮を調べることで、卑弥呼の居た邪馬台国の位置がわかるかもしれないわね。」

「師木の玉垣宮だってさ。注釈に奈良県磯城郡と書いてある・・・」

「魏志倭人伝の行程では、鹿児島か宮崎辺りじゃなかったっけ?また難題だな。」

「そういえば、奈良県桜井市にある箸墓古墳は、卑弥呼の墓じゃないかって噂されてるようだよ。」

「じゃあ、邪馬台国は奈良にあったってこと?」

「・・・」

「卑弥呼の拡大政策はまさに謎多きビッグバンなんだよ。鹿児島や宮崎から一挙に奈良にワープしたって不思議じゃないさ。ここにも何か隠された秘密があるんじゃないのかな?途中で挫けた倭国の範囲を、もう一度チャレンジして、探ってみないか?」




八、新しき国々




二人は、魏志倭人伝と古事記をもう一度よく見直してみることにした。古事記からは、卑弥呼=天照大御神=垂仁天皇の一つ前で、やはり、『神』の付く天皇である崇神天皇=伊邪那岐神を調べてみると、卑弥呼のビッグバンの準備期間とも言える、まさに『国生み』が成されているのである。

倭国である高天原から、新たな国を生み出すという神話は、きっと倭国以外の国々が綴られているに違いない。そう思って、調べていくと、まず、淡路島、次に四国、次に九州、次に壱岐、対馬、佐渡、そして本州などとなっている。これでは、日本全体であり、倭国と倭国以外の国の違いがわからない。

そこで、伊邪那岐神の神話に対応する崇神天皇記を調べてみると、四道将軍という地方遠征の話が載っているではないか。四道将軍の派遣先は、北陸、東海、西道(山陽道)、丹波とある。また、東海と北陸の進軍には両軍が最後に会津で出会うとされているので関東甲信も含まれていると考えられる。したがって、四道将軍が国生みの一環としてなされたとすれば、これらの地域は倭国ではないことがわかる。また、弥生時代の環濠遺跡が東北や北海道には発見されていないので、東北や北海道はこの時代にはまだ倭国の影響が伝わっているとは思えない。そして、以前の検討どおり奄美や沖縄などの南の島を除くと、倭国の対象範囲は、残りの九州と四国と山陰と近畿ということになる。



『概略日本地図による倭国の範囲推定』


  ※「〰」は海を示す、「〃〃」は近畿の延長を示す

   ( )内は対象外、[ ]内は四道将軍派遣先のため対象外

   よって( )や[ ]に囲まれていない部分が倭国の範囲の対象


       〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰

      〰〰〰〰〰(北海道)〰〰〰〰〰

      〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰

      〰〰〰〰〰〰(東北)〰〰〰〰〰〰

     〰〰〰〰〰[関東甲信]〰〰〰〰〰

    〰〰〰〰[北陸]    [東海]〰〰〰

   〰〰〰〰[丹波]   近畿〰〰〰〰〰     北

  〰〰〰〰山陰 [西道]〰〰〃〃〰〰〰〰     ↑

 〰〰〰九州〰〰〰〰〰〰四国〰〰〃〃〰〰  西 ← → 東

 〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰     ↓

 〰〰(奄美)〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰     南

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 〰〰(沖縄)〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰

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今度は、魏志倭人伝をもう一度丹念に調べてみると、『女王国の東、海を渡ること千余里、また国あり。皆倭種なり。』とある。東に海を渡って行くということは、東に海があって、その先に国が無ければならない。その条件を満たすのは、九州と四国だけとなる。

さらに、『南に侏儒国あり、・・・周旋五千余里ばかりなり。』とあるが、四国の南には島などは無く、倭の行程記述が朝鮮半島から壱岐・対馬を通って記述されており、仮に倭の範囲に四国が含まれていると仮定した場合、少なくとも途中に九州も含まれるため周旋五千余里という記述には当てはまらない。だから、四国とは考えられない。したがって、倭国は九州と言える。

「つまり、倭国の東西の範囲も九州の西岸から東岸までということになるのね。」

「倭国(高天原)の範囲は九州だけだが、同時に、四道将軍として記されているように、すでに北陸や東海方面など日本各地に交易の拠点を造って行ったんだ。当然、大国主命の国譲り神話の舞台になった葦原中国の中心地となる出雲のある山陰も対象だったはずだ。そして、崇神天皇記には『三輪山伝説』も載っているから当然近畿だって国生みの対象さ。」

「だから、奈良に卑弥呼の墓があってもまったく不思議は無いってことね。」

「そのとおりだよ。天孫降臨した邇邇芸命の父親である天忍穂耳命:景行天皇は、景行天皇記に『纏向の日代宮に坐す』とあるが、箸墓古墳はこの纏向遺跡にあるからね。」


『国生み・四道将軍の範囲』


     〰〰〰〰〰関東甲信〰〰〰〰〰

    〰〰〰〰北陸    東海〰〰〰

   〰〰〰〰丹波   近畿〰〰〰〰〰

  〰〰〰〰山陰  西道〰〰〰〰〰〰

  〰〰〰〰〰〰〰〰〰四国〰〰〰〰 

  ⇒ 国生み・四道将軍による遠征で、交易の拠点を開拓



『倭国(高天原)の範囲』


        北 朝鮮半島南岸

 西 九州西岸          東 九州東岸

        南 鹿児島・宮崎


話をもとに戻そう。

邪馬台国と投馬国は宮崎と鹿児島ではないかと見当を付けていたので、再度その線で絞り込んでみる。女王国の東に海があるという記述から、女王の住んでいる邪馬台国の東には海が広がっているということになる。すなわち邪馬台国は宮崎ということになる。


    『邪馬台国と投馬国の位置推定』


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〰〰〰〰〰〰    九州    〰〰〰〰〰

〰〰〰〰〰〰          〰〰〰〰〰〰

〰〰〰〰〰〰〰鹿児島    宮崎〰〰〰〰〰〰

〰〰〰〰〰〰(投馬国)(邪馬台国)〰〰〰〰〰

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宮崎市には生目古墳群があり、その『生目』は邪馬台国の官『伊支馬』と同じ『いきめ』なので、天照大御神=垂仁天皇の『伊久米』に由来すると考えられる。そして、宮崎周辺には『天岩戸隠れ』を始め多くの神話が残されている。


「そうなると、残りの投馬国は、鹿児島ということになるな。」

「なるほど、なんとか倭国の範囲が固まったわね。でも、まだ邪馬台国の『水行十日陸行一月』という行程記述がシックリこないわ。福岡からだと水行だったら船で博多湾を東に進んで関門海峡を越えて九州東岸をそのまま南に下れば宮崎に着いちゃうわ。陸行する必要ないじゃない。」

「そうかあ、一筋縄じゃ行かないな。」

「・・・」

「もう一度行程記述を見直してみよう。」

一般的には、一大国は壱岐で、末盧国は唐津だと言われているから、伊都国までの行程記述は以下のようになっている。


                 (ここから放射状)↓

狗邪韓国 ⇒ 対馬国 ⇒ 一大国 ⇒ 末盧国 ⇒ 伊都国

    海千余里 南海千余里 海千余里 東南陸行五百里


伊都国は、倭国全体を監察し、帯方郡の役人が必ず立ち寄る場所なので、ここからは放射状になるとしよう。

「五百里は対馬と壱岐の距離の半分くらいだから、この行程記述だったら、伊都国は福岡じゃなくて、佐賀辺りになるんじゃない?」


末盧国(唐津) 東→  伊都国(福岡?)

       東南↘

           伊都国(佐賀?)


「伊都国は呼び名や遺跡などから福岡県糸島市辺りに比定されるのが一般的なんだ。」

「でもこの記述には暗号なんてないわ。明らかに佐賀方面になるわよ。」

「そういえば、佐賀には吉野ヶ里遺跡っていう弥生時代の大規模環濠遺跡があるぞ。佐賀からなら、有明海の河口から筑後川を水行で遡上して、日田辺りから陸行で宮崎まで行けるから、問題が解決しそうだな。」

「糸島の遺跡は古くから発掘されていて、『いと』だから、伊都国として認知されるようになったんだろう。これまた大変なことになって来たぞ。こうなったら、一度現地を訪れてこの目で見てみなきゃなあ。」

「美知、お前も行くか?」

「無理よ、学校があるじゃない。」

「そうだなあ。宮崎と福岡か、一人で行ってくるか。息子の大海の顔も久しぶりに見たいしな。今度2~3日休みを取って、『神話が誘う弥生の里九州一人旅』と洒落込むか。」

「父さん、結構盛り上がってるわね。兄貴、元気にやってるかなあ。」




九、神話のふるさと




光一は、さっそく旅行の計画を立て始めた。福岡だけなら、新幹線という手もあるが、宮崎を廻るには、飛行機が断然便利である。調べていたら、どんどん夢が膨らんできた。宮崎には、例の生目古墳群や西都原古墳群に代表される九州有数の古墳があり、天岩戸隠れや禊ぎや天孫降臨など古事記の神話の伝承が息づく神話のふるさとである。そして、福岡ソフトバンクホークスや読売ジャイアンツ、広島東洋カープを始め多くの球団が冬季合宿のキャンプ地として利用するなど、トロピカルな雰囲気を漂わせる温暖な町なのである。


さらに調べていくと、昭和の頃には新婚旅行のメッカと持て囃され、川端康成 原作のNHK連続テレビ小説『たまゆら』がこの宮崎を舞台に放映されたようである。たまゆらとは、勾玉を二つ三つ糸に通して、静かに揺すると玉が触れ合って微かな音がする。その音をたまゆらと呼ぶのだそうだ。古のミステリアスな雰囲気が漂っている。これは決して新婚さんの物語ではなく、定年を迎えた初老の主人公が退職を機に旅行を思い立ち、古事記を片手に神話の町 宮崎を訪れるというものらしい。

遠からず定年を迎える光一にとって、初冬のこの時期に行くにはうってつけの観光地だなと、彼はほくそ笑みながらできるだけリッチな旅行をと計画を立ててみる。とはいえ、経費削減の折、天岩戸隠れ神話に纏わる高千穂町などへも行きたいのは山々なのだが、そう遠くまでは行けないと諦め、結局そこから少し予算を切り詰めて、以下のように絞り込んだ。


  一日目

羽田発10時頃 宮崎着12時頃 空港でレンタカー借りる

生目古墳群 江田神社 みそぎ池 住吉神社 シーガイア宿泊

  二日目

西都原古墳群 レンタカー返す 高速バス発12時半頃 福岡着17時頃 

ビジネスホテルチェックイン17時半頃 大海と待ち合わせ18時

  三日目

平原遺跡 吉野ヶ里遺跡 福岡空港発16時頃


初日は、まず、宮崎空港でレンタカーを借り、例の生目古墳群を見学し、伊邪那岐神に習って身を清めるために禊ぎをと、阿波岐原の江田神社とみそぎ池、それに元住吉と言われている創建2400年の住吉神社に参拝し、近くのシーガイア シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートでトロピカルな風を感じながら宿泊、二日目は、九州最大の男狭穂塚や女狭穂塚のある西都原古墳群を見学して、宮崎駅でレンタカーを乗り捨て、高速バスで一路福岡へ向かい、大海と一杯やるというものである。シェラトンホテルも冬場なら結構リーズナブルに宿泊することができる。

そして、三日目は、伊都国の謎を解くために福岡県糸島市の平原遺跡と、佐賀県神埼市の吉野ヶ里遺跡を訪れ、帰路に着くという二泊三日の計画である。


旅行社に依頼して、チケットを受け取り、十二月初旬に、光一は羽田発の飛行機の中にいた。アナウンスでは、上空の気流も穏やかで、宮崎の天候も快晴とのことである。これから始まる気ままな旅も良好な滑り出しだ。

家を出るとき、美知と文江がお土産を無心した。「古墳の土産はいらないから、美味しいものにしてね。」

光一は、古事記をカバンに詰めながら、「美味しいかどうかは神のみぞ知るなんてね。」などとうそぶいてみせた。

「じゃあ、買って来てほしい物リストをラインで送るからね。」美知がダメ押しの一言を浴びせかける。

光一は、もう一度携行品チェックリストに目を通し、早々に家を出た。


これから着陸態勢に入る旨のアナウンス。フラップが下りてゴウゴウと音がしたら、まもなく宮崎の海岸線が見えてきた。

 宮崎ブーゲンビリア空港の到着ロビーを出ると、外はまぶしい陽光に包まれていた。レンタカー事務所に着くと、手続きをして、さっそく車を預かり、空港を後にした。続く椰子の木の街路樹がようこそ南国宮崎へと出迎えてくれているようだ。光一は、旅先とはいえ贅沢は禁物とばかりに、適当なコンビニを見つけて、昼食を取ることにした。ささやかながら、焼き肉弁当とペットボトルのお茶と缶コーヒーを買って、一休み。ラジオからは、浅田真央が久しぶりにグランプリファイナルで優勝したニュースが流れている。真央ちゃんのトリプルアクセルが際立つ。

 光一は、食事の後、ひとときの休憩を挟んで、生目古墳群のある生目地区に向かった。大淀川を渡りしばらく行くと右手に埋蔵文化財センターの生目の杜遊古館が見えてきた。左手には、生目の杜運動公園が広がっている。

と、そのとき、急にハンドルを取られて、何とか路肩に寄せて停止した。パンクである。光一は、運動公園の駐車場に車を停め、レンタカー会社に連絡した。パンク修理キットが入っているので、自分で修理しろとのこと。こっちは何も悪いことしてないぞと思いながら、渋々パンク修理に取り掛かった。グランドでは、親子連れが楽しそうにバドミントンなどのスポーツに興じている。慣れない作業のせいか、思い通りにいかない。何度も説明書を読み返しながら、何とか修理が完了したのは15時を回った頃だった。

光一は、すぐに遊古館の駐車場まで車を走らせ、文化財を見学することにした。生目古墳群には全部で51基の古墳が点在し、その中でも1号墳と3号墳が際立って大きかった。1号墳は箸墓古墳の1/2の相似形という噂があると以前に聞いたことがある。パネルによる他の古墳との比較展示を見ながらその大きさを確認した。確かに箸墓古墳の半分くらいであることがわかる。そして、驚いたことに、1号墳は、後円部の一部が削り取られているのだ。どういうことだろう。


『生目一号墳の概形(前方後円墳の後円部の左下に削り取られた痕がある)』


      ***

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光一は、土器や埴輪などの出土品も一通り見学して、遊古館の横の坂道を上り、古墳群を整備した史跡公園に出た。広々とした台地の上に古墳が点在している。日が暮れかかって夕日が古墳を照らし、もの悲しい気分になった。光一は、1号墳と思しき方向に一礼し、その場を立ち去った。


今日はこの辺でホテルに直行しよう。光一は、パンク修理車に乗り、シーガイアに向かった。




十、卑弥呼との夜




車を駐車場に停め、チェックインを済ませると、ホテルの部屋はオーシャンビューで値段にしては十分すぎるものだった。


夕食は1Fのガーデンビュッフェでディナーをいただく。すると、隣の席に深田恭子似の魅力的な女性が一人で食事をしている。美しい女性だが、どことなく憂いを秘めているように見える。光一は、思い切って声をかけ、ご一緒しませんかと誘った。

「どちらから?」

「宮崎の地元なんですよ。ときどき、気分転換に食事に来るんです。」

「そちらは?」

「静岡からです。」

「富士山のきれいなところですよね。一度富士山に登りたかったわ。」

「僕は昔一度登ったことがあるんですが、高山病にかかって大変でした。もう、登りたいとは思いませんね。遠くから見ているのが一番ですよ。」

「なんか悲しそうに見えたけど、どうかなさったんですか?」

「いいえ、そんなことはありません。私、よくそう見られるんですけど、結構、お笑いなんか好きなんですよ。」

「好きな芸人とかいます?」

「パンクブーブーなんか好きですよ。」

光一は、えっ、何で昼間のこと知ってるの?などと思いながらも笑って答えた。

「パンクブーブーは、語り口につい引き込まれて聞き入っちゃいますよね。僕は、サンドイッチマンなんかも好きですよ。」

「サンドイッチマンも軽妙なやりとりが面白いですね。」

「よかったら、ライン交換しませんか?」

「いいですよ。」

「郁美さんて言うんだ。いい名前ですね。」

「光一さんも素敵ですよ。私の知り合いにとっても似てるので驚いたんですよ。」

「僕が似てる?どんな人ですか?」

たけるっていう真っ直ぐで勇敢な人。」

「そんな素敵な人と似てるなんて光栄です。」

「でも、もう昔の話。あの人はもう遠くに行ってしまったの。」

「・・・」

「沢山頂いてお腹は満たされてきたけど、もう少しお話しません? 私、いい所知ってるんですよ。」

「僕もまだ飲み足りないので、ご一緒しますよ。」

二人は、2Fのバーで飲み直すことにした。


そこは、星空を模したプラネタリウム・バーだった。128億光年という途方もなく遠方の初期宇宙に存在するという天体『ヒミコ』のことが思い出された。薄明りに煌めく星々は、時空を超え、二人の距離を急速に近づけて行った。

「何を飲む?」

「私、テキーラ・サンライズをいただくわ。」

「じゃあ、僕はマッカランの12年ものをロックで。」

「無数の星々の中から二人が巡り合ったなんて奇跡じゃないかな。」

「遠慮しなくていいから、君の心の中の痛みを、僕に打ち明けてくれないか?」

「・・・私、以前に沢山の人を死なせてしまったの。私にはどうしようもできないことだったんだけど、罪もない人たちが犠牲になったことが悔やまれるの。そして、そのこととは裏腹に宇宙を照らす光明として人々に崇められたわ。でも、そのことが気になって、これまでずっと、あてもなく宇宙を彷徨っていたような気がするわ。」

「そうだったのか、でも、犠牲になった人達がいたとしても、それは君のせいじゃないよ。時代や風土がそうさせたんじゃないかな。」光一は卑弥呼が亡くなったときの殉葬のことを思い浮かべた。

「君は、それより遥に多くの人々の救いであり、光明だったじゃないか。君のお蔭で、悪しき風習が改められたとすれば、それはよかったんじゃないかな。」

「そう言ってもらえると、繋がれていた鎖が解けて少し心が軽くなったみたい。」

彼女のふくよかな胸の辺りからだろうか、たまゆらの優しい音が聞こえてきた。

「人は生まれた時から天命を背負っているわ。そして、それに気付いて天命を全うするか、途中で重荷を降ろしてしまうかは、その人に委ねられているの。」

「・・・」

「太陽は宇宙から地球を満遍なく照らすけど、地球には雲があり、地上は平坦じゃないから、日の当たる場所と影になる場所ができるわ。影になるものは人であろうと物事であろうと世の中から隠されているものなの。そしてそれは時間と共に変化するのよ。だから、あなたに一つ言っておきたいことがあるの。」

「どんなことかな?」

「時が満ちて来たわ。私たちは今スタートラインに立っているのよ。」

「今がスタートライン?」

「きっとわかるときが来るわ。」

光一はまだよく呑み込めなかったが、宇宙への限りない広がりと、何か新しい時代を予感させる言葉に高揚感を感じた。

「さあ、時空の旅を楽しんで、もっと、飲もうよ。」

二人はまた、たわいない話に花を咲かせ、お酒が進んで行った。


「私、だいぶ酔ったみたい。外に出て少し酔いを醒ましてくるわ。」

「じゃあ、僕も付き合うよ。」

「いいのよ、あなたはここに居て。」そう言って、郁美は席を外した。

光一もかなり酔いが回ってきたようだ。


しばらくすると、彼女が戻ってきた、と思ったら、顔かたちが先ほどと違っているように見える。よく見ると、以前に球場の夢に出てきた卑弥呼らしき彼女のようでもある。笑顔が可愛くて健康そうだ。

「待たせてごめんなさい。」

「いや、いいけど、君の名前をもう一度教えてくれないか。」

「私の名前は豊野花ほのかよ。私たちは糸で結ばれてるのよ。」

光一は何が何だかわからなくなって来た。


目が覚めると光一はベッドの上だった。そして、よく見ると、ベッドの上には、エメラルドグリーンの勾玉が転がっている。光一は、それを大切にカバンに詰め込んだ。起き上がってカーテンを開けると、東の水平線に赤く眩い朝日が今まさに昇ろうとしていた。光一は、思わず手を合わせ、昨夜の巡り合いに感謝した。

光一は熱いシャワーを浴び、昨夜の余韻を反芻した。郁美はやっぱり卑弥呼だったんだろうか。だとしたら、豊野花は台与?彼女たちは、隠された弥生の暗号を、この私に解き放せと言っているのだろうか?そして、それが私に課せられた天命なのだろうか?暗号が解けたとしても、こんなしがない中年のサラリーマンに何ができるというのだろうか?


テレビを付けると、話題は、再生可能エネルギー、火力発電と温暖化問題、原子力発電所の再稼働問題など、日本のエネルギー政策をどうするかで持ちきりだった。スマホに目をやると、ラインの着信が。美知からだ。「お土産は、マンゴーラングドシャと、めんべいね。よろしく。」光一は、大きめのスタンプでOKと返し、着替えて、朝食を食べにガーデンビュッフェへ降りて行った。

朝食を食べながら、昨夜の席を確認したが、昨日と何も変わりはしなかった。郁美は宮崎の人だから、宿泊はしないはず。しかし、ここは宿泊者だけが利用できるようになっている。そして、私がヘベレケに酔っている間に彼女は姿を消した。どこまでが現実なのだろうか。


朝食を済ませて、身支度をすると、チェックアウトをして、駐車場に向かった。果たして例のレンタカーはそこにあった。やはりタイヤはパンク修理が施してあった。光一は、負傷した車では遠くへも行けず、計画を変更して、西都原古墳群は諦め、江田神社とみそぎ池だけを廻って宮崎駅に向かうことにした。


江田神社は、シーガイアの目と鼻の先にある。車を神社の駐車場に停め、鳥居を潜って参道を進むと、思ったより地味な本殿に出た。古事記には、黄泉の国から帰還した伊邪那岐神が筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊ぎを行い、穢れた身体を清めたことが記されている。伊邪那岐神を主祭神として祀るこの神社には、天岩戸で天鈿女命が実のついた枝を手に持って踊ったことで知られる招霊木や楠木のご神木があり、パワースポットしても人気があるようだ。光一は、本殿の前で手を合わせ、新しい国々を生み広げた伊邪那岐神がパートナーの伊邪那美神を黄泉の国に奪われ、命辛々辿り着いたときのことを思い浮かべた。この場所は開墾されて江田と呼ばれているが、その昔は海に面していたようで、船で辿り着いた宮崎という土地で一から出直すスタートラインとなったのではないか。

光一は、そのまま奥に進んでいき、みそぎ池に出た。古事記には、伊邪那岐神が、左目を洗うと天照大御神が生まれ、右目を洗うと月読命が生まれ、鼻を洗うと須佐之男命が生まれたと記されている。天照大御神と同一人物とした卑弥呼は、伊邪那岐神の庇護の下、この地で倭国の女王として立ち、世の中を明るく照らしていったのではないだろうか。

つまり、ここが卑弥呼のスタートラインだったのである。しかし、郁美は『私たちのスタートライン』と言ったのだ。しかもそれが日の当たる今だと言っているようである。では、光一にとってのスタートラインとはいったいどういうことなのだろうか。そして、豊野花は、『私たちは糸で結ばれている』と言った。私たちとはいったい誰を指すのか。郁美と豊野花と光一も?


光一は、みそぎ池を後に、駐車場まで戻り、宮崎駅に向かった。最寄のガソリンスタンドでガソリンを満タンにすると、レンタカー会社は、駅のすぐ傍にあった。車を返却して、パンクの状況を詳しく説明したら、追加料金は請求されずに済んだ。光一は、気を良くして車から降ろした荷物をヒョイと担いで駅まで歩いた。




十一、宮崎から福岡へ




宮崎駅からは福岡行きの高速バスフェニックス号が30分間隔で出発している。所要時間は4時間半程度なので、光一はバス停の時刻表を確認し、早めの昼食を済ませて、12時のバスに乗ることにした。おっと忘れてはいけない。土産物売り場でマンゴーラングドシャを二つ購入した。バスに乗車すると、座席は思ったよりゆったりできた。これから4時間半のバスの旅である。バスは、宮崎自動車道から九州自動車道に入り福岡まで途中下車しながら走って行く。長い乗車時間で、備え付けのビデオをみたり、音楽を聞いたりしながら、時間をつぶさなければならない。そうこうしているうちに、いつの間にか光一は眠りに落ちていた。


そこは龍の形をした宙船の上だった。船長と思しき厳つい男が「皆の者、追手からは逃れたぞ。碇を降ろせ。これからこの小門の地を我らが住処とする。一から出直しだ。」そう言って、停泊中の船々から人々が上陸してきた。船長の傍には三つの輝く人影が付き添った。その中には、郁美と思われる女もいた。

「私たちの故郷には帰れないの?」彼女は言った。

「ここが第二の故郷だ。ここに都を作るのだ。倭奴は倭の守りの要だ。狗国との国境を固めて体制を立て直せ。」そう言って船長は皆を窘めた。

そして、龍と鳳凰が刻まれた虹色に光る大きな鏡と、エメラルドグリーンに輝く幾つかの大粒勾玉で結ばれたネックレスを彼女に渡し、昼の国を治めるようにと命じた。

また、一人の若者には、月と星で黄金に輝く打ち出の小槌と、漆黒の闇に一筋の光を灯す篝火を渡し、夜の国を治めるようにと命じた。

残るもう一人の若者には、白銀に光る龍の冠と、研ぎ澄まされ岩をも砕く閃光を放つ鋼鉄の剣を渡し、この宙船に乗り海原を治めるようにと命じた。



どのくらいの時間が経ったことだろう。窓から外を眺めると、バスは北熊本サービスエリアに停車していた。光一はトイレ休憩に、バスを降りた。

「また、夢を見たのか。」

バスがまもなく博多に着く頃、光一は、大海に確認のラインメッセージを送った。程なく返事があり、「もう一人連れがいるからよろしく。」とのこと。「連れとは誰だろう、彼女かな?それとも?」光一は、色々と思い浮かべてみたが、心当たりがないので、会ってからのお楽しみとばかり、考えるのを諦めて降車の準備を始めた。

博多駅はクリスマスのイルミネーションが煌めき、ファンタスティックな夕暮れを迎えていた。ビジネスホテルへは、歩いて数分で着いた。チェックインして部屋に入るとこじんまりとはしているが清潔な香りがする。取り急ぎ土産を手にホテルを出た。待ち合わせは、天神の福岡三越ライオン広場とのこと。博多駅から地下鉄に乗り、天神で下車する。少し歩くと、ライオン広場も飾り付けがされてクリスマス一色である。光一は、ベンチに座ってスマホをいじりながらしばらく待った。

すると、「やあ、久しぶり。」

「おう、元気にしてたか?」

「紹介するよ、友達の穂乃香さん」

「初めまして、穂乃香です。いつも、大海さんにはお世話になっています。」

よく見ると、夢に出てきた卑弥呼らしき『豊野花』にどことなく似ている。

「初めまして、大海の父親の光一と言います。こちらこそ、大海がお世話になっているようで、よろしくお願いしますね。これ、ささやかですが、宮崎の土産です、マンゴーラングドシャ、二人で食べてね。」

「ありがとうございます。おいしそう。宮崎にも行かれたんですね。」

「あいさつはこれくらいにして、早く店に行こうよ。」

「どこか、いい店知ってる?」

「寒いから、中洲でもつ鍋でもすすりながら一杯やるのはどうかな?」

「いいねえ。」私たちは、博多の屋台が並ぶ中洲方面に向かった。

中洲は那珂川と博多川に挟まれた中州に位置する地区で、日本でも有数の歓楽街である。那珂川沿いの遊歩道には沢山の屋台が立ち並んでいる。そう言えば、宮崎のシーガイアの近くにも同じ『那珂』という地名がある。

「この店どうかな。おいしそうだね。入ろう。」私たちは、ネットで探した一軒のもつ鍋屋に入った。

「まずは、みんなで乾杯!」私たちは生ビールを飲みながら、もつ鍋が煮えるのを待った。

大海ひろみ、大学の方は忙しいのかい?」

「今は、卒論でいっぱいいっぱいだよ。」

「そういえば、考古学を専攻していたよな?テーマはどんなのだい?」

「『青銅器分布と鉄器普及の相関について』だよ。」

「面白そうだね。古代日本には青銅器が入って来ると、それほど遅れることなく鉄器も入ってきたんだよね。鉄器を多く手中に収めた勢力が実権を握ったとすると、その分布を調べることで権力の変遷がわかるかも知れないね。父さんも、最近、邪馬台国にはまっていてね。生目古墳群を見たくて宮崎に行ったんだ。」

「何かわかったの?」

「卑弥呼の墓と呼ばれている箸墓古墳は知ってるよね。その1/2の相似形と噂されている1号墳は、後円部が削り取られていたんだ。そして、不思議な体験をしたんだ。」光一は、宮崎での出来事を掻い摘んで話をした。


鍋がグツグツと煮立ってきたので、私たちはみんなで鍋から取り分け、思い思いに味わっている。柔らかなもつとシャキシャキとした野菜の食感、旨味の効いたスープがお腹に沁み渡る。さらに、ビールをグビッと流し込む。


「なるほど、卑弥呼の邪馬台国は宮崎にあって、その墓が生目古墳群の1号墳で、殉葬者の怨念がその古墳を削り取ったってこと?」

「まあ、そういうことだ。」

「でも、箸墓古墳はどうなるの?それに、宮崎には古墳はあるけど、三種の神器と呼ばれるようなものは出土してなかったと思うけど。」

「箸墓古墳と生目1号墳はどちらかがレプリカじゃないかと思うんだ。天皇陵なんかは、古墳時代になって近畿地方に沢山作られたけど、例えば神武天皇など被葬者の時代はもっとずっと古いから、墓が複数あったって不思議じゃないだろう。それに、卑弥呼の時代には、すでに近畿地方も開拓されていて倭国の交易拠点として整備されていた可能性が高いんだ。大海の言うとおり、宮崎には三種の神器のような青銅器などの出土品は少ないけど、それには理由があると思っている。」

「どんな理由?」

「父さんは、福岡と宮崎には繋がりがあると思っている。福岡と宮崎には共通点があるんだ。中洲を流れる那珂川の『那珂』という地名は宮崎にもあるし、宮崎の『小戸(小門)』という地名も福岡にある、それに・・・。」光一は、伊邪那岐神の国生みと小門の阿波岐原の夢の話をした。

「福岡から近畿方面に国生みの航海に出た伊邪那岐神は、争いになり、宮崎に逃れたのではないかと思っているんだ。だから、福岡には多くの遺跡と華やかな出土品があるが、宮崎からは見つかっておらず、古墳だけがあるということじゃないかな。」

大海はまだ、半信半疑で鍋をつついている。

「穂乃香さん、つまらない話ばかりでごめんね。穂乃香さんはどんなことやってるの?」

「つまらないことなんかないですよ。歴史には多少興味がありますから。私は、ケーキのお店で働いていて、できればパティシエになりたいなと思っているんです。」

「パティシエかいいなあ。私の好物のモンブラン作ってもらえるとうれしいな。」

「父さん、調子乗りすぎ。」

「そういえば、豊野花ほのかって子も夢に出てきてね。どことなく穂乃香ほのかさんに似てたかも。」

「穂乃香、父さんの夢なんかに勝手に出ちゃだめだよ。」

「違うわよ、お父さんの夢は豊 (とよ) に野原の野に花の豊野花さんでしょ。あれ、とよのかさん、それイチゴみたい。」

「なるほど、父さんはイチゴの夢をみたのかな?でも、その豊野花って子が卑弥呼の後を継いだ台与とよじゃないかと思うんだが、その子は、僕に『隠された歴史の扉を開くのよ』って言ったんだ。」

「卑弥呼と台与か、確かにどちらも、古事記や日本書紀には表だって登場してないもんね。歴史は隠されてるかも知れないな。」

「でも、魏志倭人伝と古事記にも接点があったんだよ。神話を記した古事記の上巻と天皇記を記した中巻が同じ時代の史実を並列に記しているようなんだ。それに従うと、卑弥呼は天照大御神で垂仁天皇ということになる。魏志倭人伝の邪馬台国の官の名前に『伊支馬(いきめ?)』とあり、宮崎の生目古墳群の『生目いきめ』と同じで、垂仁天皇のお名前の『伊久米いくめ』とも類似する。そして、台与は海幸山幸の神話に出てくる海神の娘 豊玉毘賣命とよたまひめのみことで神功皇后なんだ。豊玉毘賣命と恋仲になる山幸彦は、釣り針を無くして兄の海幸彦に責められ困り果てて海神のところに相談に行くんだが、神功皇后の夫は仲哀天皇だから、山幸彦=仲哀天皇とすると、山幸彦&豊玉毘賣命、仲哀天皇&神功皇后という関係も神話と天皇記で一致することになるんだ。さっき話した『那珂なか』という地名は仲哀天皇の『なか』に由来しているんじゃないかと思っている。魏志倭人伝の邪馬台国の官の名前にも類似する『奴佳鞮(なかてい?)』とあるから、仲哀天皇が元々住んでいたのが宮崎でそこから福岡の海神のところに行ったとすれば、両方に同じ『那珂』という地名があっても不思議じゃない。そして、二人が住んでいたのは福岡市の香椎っていうところで、海神の本拠地も福岡近辺と聞いたことがあるから、神話と天皇記の一致がさらに裏付けられるのさ。さらに、天照大御神を祀る伊勢神宮の内宮と対をなす外宮の祭神の豊受大御神の『とよ』と、台与の『とよ』と、豊玉毘賣命の『とよ』は同じ『とよ』で一致する。」

「父さんも結構入れ込んでるね。でも、なかなか周りの人は信じちゃくれないんじゃないかな。」

「そうなんだ。夢でも歴史の扉を開けろって言われたけど、どうしたらいいかよくわからないんだ。もっと、信者を増やさないとなあ。」

「本でも書いてみたら?」

光一はハッとして、郁美の言葉を思い出した。『私たちはスタートラインに立っているのよ。』そうなんだ、彼女たちと出会って体験したことや夢に見たことを、これから本に書き記して物語を書いてみてはどうだろうか。

「大海、いいアドバイスをありがとう。父さん本書いてみるよ。」

「じゃあ、福岡も、調べた方がいいね。僕のいる伊都キャンパス辺りは、伊都国にも比定されているし、平原遺跡など、貴重な遺跡が点在しているんだ。」

「実は、父さんも明日帰る前に、平原遺跡や吉野ヶ里遺跡辺りを見学しようかと思っていたんだ。」

「両方廻るのは時間的にきびしいんじゃない?」

「そうか、じゃあ、吉野ヶ里遺跡は今度ということにして、今回は平原遺跡を見学して帰るか。」

「平原遺跡ってどんな所?」

「あそこは、方形周溝墓の1号墓から、40面ほどの銅鏡や勾玉や太刀なんかが出土しているよ。銅鏡のうち5面は、卑弥呼が使っていたとされる八咫鏡と同じような超大型の内行花文鏡なんだ。そして、銅鏡は割られていたんだ。」

「卑弥呼と何か関係がありそうだね。そういえば、例の豊野花は、『私たちは糸で結ばれているのよ』って言ったんだ。『いと』とは糸島の糸であり、伊都国の伊都かもしれない。」

「もう一つ不思議なことがあるよ。その墓から東南に直径約70センチメートルくらいの縦穴があって、それが墓から見て東南の日向峠の方角に位置しているんだ。何か太陽信仰などに関係しているんじゃないかと言われているけど、はっきりしたことはわかっていないんだ。」

「そうか、平原遺跡にも何かの秘密が隠されていそうだね。面白くなってきたぞ。」


「穂乃香さん、今日はありがとうね。パティシエ楽しみにしてるよ。大海も卒論頑張ってな。」光一は勘定を払うと、付き合ってくれた二人にお礼を言った。

「こちらこそ、ありがとうございます。ごちそうさまでした。今日は面白いお話をいっぱい聞けて楽しかったです。」

「親父も元気でな。本、楽しみにしてるよ。」

光一は二人と別れて、博多駅方面のホテルに帰って行った。




十二、弥生の糸




その夜はぐっすり眠った。朝、目が覚めると、顔を洗ってすっきりしたところで、昨夜の帰り道に買ったサンドイッチとトマトジュース、それにコーヒーで朝食を取った。平原遺跡のある糸島市へは、地下鉄がそのままJR筑肥線に乗り入れており、乗り換えなしで行くことができる。平原遺跡の出土品は、近くの伊都国歴史博物館に収蔵されているらしい。遺跡方面に行くコミュニティバスの運行表を見ると、まず、博物館を見てから、遺跡を訪ねるほうが効率がよさそうだ。つまり、博多から地下鉄に乗り、最寄の波多江駅で降り、そこからコミュニティバスに乗って、伊都国歴史博物館で降りる。

光一は身支度して、チェックアウトすると、さっそく博多駅へ向かい、地下鉄に飛び乗った。電車は、35分くらいで、波多江駅に着いた。コミュニティバスは「はまぼう号」という小型のバスで、手軽な市民のバスになっているようだ。さっそく乗り込むと、10分ほどで博物館に着いた。

博物館は4階建ての立派な建物である。入館料を払い、中に入ると、3階の常設展示室に行き、例の銅鏡と対面した。割れたものをつなぎ合わせてあるが確かに大きい。これは、やはり卑弥呼、いやその後を受け継いだ台与の鏡に違いない。すると、平原遺跡は台与の墓なのか?そして、鏡はなぜ割られていたのか?

光一は館内を一通り見て回り、博物館を後にした。ここから平原遺跡までは徒歩で30分くらいかかるようであるが、次のバスを待つのも時間がもったいないので、歩くことにした。途中に怡土小学校があった。この辺の地名は、『怡土いと』と呼ばれており、やはり、伊都国に比定される根拠となっているようである。

遺跡は、平原歴史公園として整備され、被葬者の鎮魂を目的として宇宙を意味するコスモス園が併設されており、花の咲く秋には行楽客で賑わいそうだが、今は静かに眠っている。話のとおり、1号墓があり、そこから東南の日向峠の方角に大柱が建てられていたようだ。「そうか、日向峠は、その遠方の日向である宮崎をも指しているんじゃないだろうか?」光一は、糸がつながるのを感じた。

そこから帰りのバスに乗り、博多に着いたのは、午後一時を回っていた。光一は、お腹ペコペコでラーメン屋に入り、豚骨ラーメンに紅ショウガを沢山載せて汁まですくって食べた。そして、空腹感を満たしてホッとしたところで、預けていた荷物を取りにホテルに戻り、福岡空港に向かった。

出発の時刻までは、まだ1時間以上あったが、早めにチェックイン・手荷物検査を済ませて、おっと、忘れてはいけないとばかり、めんべいとビールとナッツを買い、搭乗口で一杯やりながら待った。

光一は、まだ気になっていることがあった。伊都国から邪馬台国への行程は、『水行十日陸行一月』だが、やはり、糸島からは、水行だけで行くことになってしまうのである。関門海峡の流れが速いから、一旦船を降りて、歩くのであろうか?しかし、近畿地方へも航海していたはずだから、そんなことは考えにくい。

どうしても、有明海と筑後川に通じる吉野ヶ里遺跡が気になる。光一は、スマホで、今回行けなかった吉野ヶ里遺跡の周りを、グーグルマップで『い・と』の付く地名がないかそれとなく探してみた。すると、遺跡のすぐ手前に、『伊保戸』という地名があるではないか。『保』を抜くと『伊戸いと』である。『保』の漢字の意味は保護などの守るという意味を持っており、倭国の検察機能を持っていた伊都国を表しているようにも思える。また、宮崎と福岡に共通する小戸(小門)に通じる『伊小戸』とも読める。やはり、吉野ヶ里遺跡は伊都国と関係あるのではないか。福岡で見つかった金印には『漢委奴国王』と刻まれているが、『委奴』は『倭の奴国』ではなく、『委奴国=倭奴国』で、その当時の倭国を『倭奴国いとこく』と呼んでいて、糸島市も神埼市もその範囲に入っていたということではないだろうか。そして、宮崎に中心が移り、倭国全体の検察役として吉野ヶ里が担うようになって伊都国と呼ばれたということではないだろうか。

伊都国の官の名前を、魏志倭人伝で調べてみると、『爾支 (ニキ) 』とある。ニキとは、邇邇芸命 (ニニギノミコト) のことではないだろうか?以前に邇邇芸命=成務天皇という結論を得ている。そして、成務天皇は景行天皇の御子であり、景行天皇記には倭建命ヤマトタケルノミコトの活躍が克明に記されている。これは、伊都国の官=邇邇芸命=成務天皇=倭建命であることを物語っているのではないだろうか?

光一は古事記に導かれ宮崎を訪れ、郁美や豊野花と宇宙に抱かれた不思議な夜を過ごし、彼女たちの魂と触れ合ったのだ。そして、それをスタートラインとして彼女たちの本当の姿と歴史の真実を物語として世の中に知らしめていくことが自分の使命ではないかと悟った。それはつまり伊都国の官として、彼女たちを守る使命を担っていた倭建命の姿と重なって見えた。光一は、卑弥呼(郁美)の宮崎と、台与(豊野花)の福岡と、それを守る倭建命(自分?)の佐賀が赤い糸で結ばれて行くのを感じた。


搭乗ゲートを通り飛行機に乗り込むと、スマホを機内モードに切り替え、音楽を聴いた。中島みゆきの『糸』だ。温かく愛を紡ぐ歌声が流れる。光一はいつの間にか眠りに就いていた。


パリーン。何かが割れる音。豊野花の哀しげな顔。


光一は、目が覚めて、割れた銅鏡を思い出した。なぜ、銅鏡は割られなければならなかったのか?豊野花は、海神の娘である。活躍した彼女とは裏腹に海神の身に何かがあったのだろうか?海神はある時突然に安曇族として各地に散って行く。そのきっかけは、朝鮮半島での白村江の戦いでの大敗によると言われている。そのときの指揮を執ったのが、安曇族率いる水軍であったようだ。責任を取らされたということだろうか。いずれにしろ銅鏡は割られ、豊野花の存在は闇に葬られ、神功皇后としてのみ記録されたのである。郁美はどうか?彼女も事実と切り離され、死後の世界で天照大御神としてのみ崇められたのである。今回の一連の出来事は、闇に葬られた彼女たちの一人の女としての魂の叫びだったのかも知れない。宇宙を彷徨っていた彼女たちの魂は、歴史の真実が解き明かされ、生前の自分たちの姿が明らかにされることを強く望んでいるのではないだろうか。


飛行機は、シートベルト着用のアナウンスがあり、間もなく着陸態勢に入り始めた。光一は、シートベルトを締め直し、彼女たちの願いを叶えるために、何としても本を執筆しなければと自分自身を奮い立たせるのだった。




十三、倭国の始まり




あれから一年近く経ったある日、一通のメールが届いた。出版社からだ。何とか出版に漕ぎ着けそうとのこと。光一は、陽だまりの中で、思い切り深呼吸をした。宮崎のホテルで浴びた朝日を、そして、あの夜の出来事を思い出した。何とか郁美と豊野花の願いを叶えられそうだ。寂しいことだが、もう、二人が夢に現れることも無くなった。とはいえ、こんな風に、時折、あの時のことを思い浮かべては、本の執筆に没頭する毎日である。


そんな時、美知がこんな宿題を持ちかけてきた。「我が家のルーツを知りたいの。」

「うちは名家じゃないし、家系図なんかもないしな。曾おじいちゃんが福岡の傘屋の家から分家して我が家が始まったようだけど。その前になると、もうわからないなあ。」

「じゃあ、まあ、我が家のルーツは傘屋ってところね。」

「そうだな。でも、どうしてそんなこと聞くんだい?」

「実は、友達の遥香の曾おじいちゃんが中国の満州出身だって聞いたから、うちの家系にも外国の血が混じってないかって思ってね。」

「そういうことか。でも、うちだって、ずっと遡ると弥生時代や縄文時代の頃には、大陸や南の島から移ってきたのかも知れないね。」

「・・・」

「そうだ、弥生のルーツに繋がらないかな。」

「父さん、何言ってるの?」

「いやあ、今書いている本の結末を考えていたのさ。」

「父さん、出版社と話したりして、もう作家気取りだね。」

「そんなことはないよ。でも、せっかく魏志倭人伝や古事記のことを勉強して弥生の始まりにも近づいてきたから、もう少し頑張って弥生のルーツも探ってみようかと思ってね。美知、いっしょにやるか?」

「少しばかりは興味があるけど。父さんが頼むんだったら手伝ってもいいわよ。」

「弥生時代の土器と縄文時代の土器って、全然違うよね。弥生時代には稲作が始まったし、単に弥生のルーツが縄文ってことじゃなくて、大陸の民族辺りにルーツがあるように思うんだ。」

「そうね。古事記なんかをもっと調べたら、日本の王家のルーツが見えてくるかも知れないわね。」

「古事記の語尾以外に『神』の付く神や天皇を調べた時、神武天皇=神産巣日神としたよね。でも、この神武天皇や神産巣日神辺りについては、まだあまり調べきれてないような気がするんだ。だから、ここを調べてみたら、倭国建国の頃のことが何かわかるかも知れないよ。」


    ↓未調査  ↓神武天皇に同じ

 上巻 神産巣日神 神倭伊波禮毘古命

 中巻 神武天皇  崇神天皇      応神天皇

    神武天皇記 国生み・崇神天皇記 海神訪問・応神天皇記

    ↑未調査  ↑調査済み     ↑調査済み


二人は、まず古事記上巻の神産巣日神について、確認してみた。しかし、名前が羅列してあるだけでそれ以上のことはわからない。次に古事記中巻冒頭の神武天皇記を調べてみることにした。ところが、場所は高千穂の宮で兄の五瀬命と政をやるにはどこがよいかと相談し、日向から発って神武東征の旅に出るというものである。

「高千穂や日向と言えば、宮崎じゃない?倭国の始まりは宮崎からってことになるわ。」

「そんなはずはないよ。倭国の範囲は、北の境界が朝鮮半島の南岸で、その昔の南の境界は福岡だったよね。」

「じゃあ、神武天皇記に記された時代は倭国の始まりの頃じゃないってこと?」


そういえば、郁美が宮崎でスタートラインと言ったことを思い出した。しかし、それは高天原である倭国から、天孫降臨して葦原中国を治めるためのスタートラインだったのではないだろうか。とすれば、宮崎は倭国のスタートラインではなく、逆にゴールだったということになる。では、倭国のスタートラインは、どこだったのか。宮崎と福岡は糸で結ばれていた。もしかすると、郁美(卑弥呼)から福岡の豊野花(台与)に受け継がれたのは、元の地に戻ったということではないだろうか?博多行きの高速バスの中で見た夢の中で、故郷とされた倭奴とは、福岡のことだったのではないだろうか?


福岡  卑弥呼→台与の継承は戻り?  宮崎

豊野花(台与)  ←←←←←←←←  郁美(卑弥呼)

高天原(倭国)のスタートライン?   葦原中国(倭国外)のスタートライン


「父さんは、神武天皇記が、高天原(つまり倭国)の始まりと、葦原中国(つまり倭国外)の始まりの両方を表しているんじゃないかと思うんだ。古事記の上巻と中巻は同じ時代を並列に記述していたよね。だから、古事記上巻の最後という倭国のゴールと、古事記中巻の最初という倭国のスタートラインの両方に登場する神武天皇は、両方の時代を表しているってことにならないだろうか?つまり、宮崎と福岡の両方について記述してないかってことなんだ。福岡県糸島市の平原遺跡の先には、『日向峠』がある。同様に『高千穂』という地名もあるかも知れないよ。ネットで調べてみよう。」


「高千穂はやっぱり、宮崎県と鹿児島県の県境にある高千穂峰と、宮崎県の高千穂町しかないわ。でも、日向峠の近くに高祖山という山があるみたいよ。」

「それって、高千穂=高千峰で、高祖山系の山々を示すと考えられないだろうか?」

「そう考えると、確かに神武天皇記が二つの意味を持っていることになるわね。」

「高祖とは、前漢の初代皇帝の劉邦など、始祖に贈られる称号なんだ。神武天皇は倭国の初代皇帝として高祖山と名付けたのかもしれないな。」

そんな話をしていると、美知が突然ノートパソコンの画面を突きだした。

「これって凄くない?グーグルマップで見ると、高祖山と日向峠を結ぶ線の延長線上に、宮崎県の高千穂町があり、それをさらに延長すると、宮崎県日向市に繋がるのよ。」


     高祖山

       \

       日向峠

          \

            \

             \

             高千穂町

                \

                 \

                 日向市



「これは偶然じゃないかも知れないな。高祖山と日向峠の関係を拡大して宮崎にコピーしたということじゃないだろうか?」

「いよいよ福岡と宮崎が糸で結ばれてきたわね。」


「でも、もう一つ糸で結ばれた所があるんだ。それが、佐賀の吉野ヶ里遺跡だよ。『神』の付く神武天皇と、崇神天皇と、応神天皇の三天皇は、建国や遷都などの一大イベントに関係している特別な働きをされた天皇じゃないだろうか。応神天皇は弥生の最後だから近畿地方に遷都して大和(大倭)を建国した、崇神天皇は倭国以外の国生みだから出雲や近畿と倭国へもアクセスのよい宮崎に遷都した、そして、神武天皇は弥生の始まりの福岡から有明海や筑後川などで九州南部へ拡大した倭国への交通に便利な佐賀辺りに遷都して倭国を建国したんじゃないかと思うんだ。だから、神武天皇記や伊邪那岐神の国生み神話は、共通する遷都や建国に纏わる出来事を重ね合わせて表現しているのかも知れない。」


『神武天皇記の重ね合わせ』

 神武天皇        崇神天皇           応神天皇

 佐賀遷都・倭国建国?  宮崎遷都・倭国以外の国生み  近畿遷都・大和建国

 ←←←←←←←←←←←←←← 重ね合わせ? →→→→→→→→→→→→→→


「確かに伊邪那岐神の国生みにも、倭国外の国生みといっしょに倭国の国生みのことも記されていたわ。でも、崇神天皇=伊邪那岐神の国生みは、福岡からの遷都じゃないの?」

「倭国を南九州に拡大するにつれ、倭国全体の統制を佐賀が担うようになり、福岡と佐賀を合わせて倭奴としたんじゃないかな。」

「だから、福岡と宮崎に加えて佐賀も糸で結ばれているのね。」

「そう、だから、神武天皇記と国生みから、もう少し確証を得たいな。」

「じゃあ、神武天皇記と、伊邪那岐神の国生み神話をもう一度調べてみましょう。」


二人は、まず神武天皇記を、最初からもう一度読み返してみた。

「神武天皇記では、白檮原宮で即位するけど、佐賀にも樫原湿原っていう所があるわ。他にも、歌に出てくる伊勢、伊那佐山なんかも佐賀の地名にあるみたい。そして、樫原湿原は、福岡の高祖山から佐賀に抜ける山道の途中近くにあるわ。」


倭国建国 高祖山の高千峰で思案して 日向峠を発ち 樫原湿原で即位

大和建国 高千穂の宮で思案して   日向を発ち  白檮原宮で即位


次に、伊邪那岐神の国生み神話を、最初からもう一度読み返してみた。

「最初に生んだのは淤能碁呂島よ。」

「淤能碁呂島は、玄界灘に浮かぶ小呂島や能古島に比定されるようだよ。」

「やっぱり福岡ね。」

やはり、倭国の国生みは福岡からなのだ。


倭国の始まり 倭国の拡大  倭国の終わり(大和の始まり)

神武天皇   崇神天皇   応神天皇

倭国建国   倭国遷都   大和建国

福岡→佐賀  福岡→宮崎  宮崎→近畿

      (佐賀は守り)




十四、卑弥呼との別れ




「じゃあ、福岡へやって来たのは何者なんだろうか?」

「倭国の範囲は、北は朝鮮半島南岸から南は福岡だったわよね。だから、朝鮮半島から来た民族と考えるのが自然じゃない?」

「でも、倭国の範囲だからって、朝鮮半島から来たかどうかはわからないよ。稲作の起源は中国の長江(揚子江)流域らしいから、日本にやって来たのも、中国の民かも知れないよ。」

「困ったわね。何から調べたらいいの?」

「最初の国生みは、玄界灘の淤能碁呂島だったよね。福岡と言えば海神わだつみが思い浮かぶんだけど。海神は渡来人だったと考えられないだろうか?」

「それじゃあ、困ったときのネット検索で、海神を調べてみましょうか。」

「海神は海を司る神らしいけど、『海神』だけでは、あまり気になる記事はヒットしないわ。」

「じゃあ、まずは、中国の魏王朝より古い『漢』や『秦』とAND条件で調べてみて。」

「『海神』と『秦』で面白い記事があったわ。」

「徐福という人が、秦の時代に不老不死の薬を求めて、どうも日本に来たらしいわ。『史記』という文献に載ってるみたいよ。そして、海神から名のある男子と童女と諸々の工作品を用意すれば薬をくれると言ったらしいわ。」

「秦の時代といえば紀元前220年頃だな。その頃には海神は日本にいたということか。」

「じゃあ、その前の時代の『呉』や『越』や『楚』で調べてくれないか。」

「これはという記事は見当たらないわ。」


「朝鮮半島も当たってみよう。」

「韓流ドラマの『海神ヘシン』のことばかりよ。」

「ドラマになるということは、海神の文化があったってことだね。」

「でも、時代背景は9世紀頃の話らしいわ。」


「じゃあ、古い時代の情報を優先して、このくらいにしておこうか。」


紀元前3世紀頃、海神が福岡へやって来た 


光一は、徐福や海神のことが記された史記が気になり、図書館で借りることにした。

史記は、漢の時代の司馬遷という人が編纂した中国初の正史と言われる歴史書で、『本紀』12巻、『表』10巻、『書』8巻、『世家』30巻、『列伝』70巻から成る。徐福や海神に関わる記述は、『秦始皇本紀』と、『淮南衡山列伝』に見える。徐福を徐市、海神を大神や神などとも記述されたりしているが、同じと捉えると、以下のとおり確認できる。


『秦始皇本紀』

既已,齊人【徐市】等上書,言海中有三神山,名曰蓬萊、方丈、瀛洲,僊人居之。請得齋戒,與童男女求之。於是遣【徐市】發童男女數千人,入海求僊人。

方士【徐市】等入海求神藥,數歲不得,費多,恐譴,乃詐曰:「蓬萊藥可得,然常為大鮫魚所苦,故不得至,願請善射與俱,見則以連弩射之。」始皇夢與【海神】戰,如人狀。


『淮南衡山列伝』

【徐福】入海求神異物,還為偽辭曰:「臣見海中【大神】,言曰:「汝西皇之使邪?」臣答曰:「然。」「汝何求?」曰:「願請延年益壽藥。」【神】曰:「汝秦王之禮薄,得觀而不得取。」『即從臣東南至蓬萊山,見芝成宮闕』,有使者銅色而龍形,光上照天。於是臣再拜問曰:「宜何資以獻?」【海神】曰:「以令名男子若振女與百工之事,即得之矣。」」秦皇帝大說,遣振男女三千人,資之五穀種種百工而行。【徐福】得平原廣澤,止王不來。


文中の『即從臣東南至蓬萊山,見芝成宮闕』の部分は、魏志倭人伝の東南至る伊都国を彷彿させる。徐福一行が末盧国に比定した唐津に着いたとしたら、東南にある蓬莱山は、吉野ヶ里遺跡や、神武天皇が即位したとする樫原湿原辺りになるではないか。そして、芝が不老長寿の薬とされる霊芝とすると、樫原湿原辺りなら標高600mくらいで、その自生する環境となる高湿地の林と合致する。すなわち、徐福が会った海神は神武天皇ではないだろうか。


そんなある日、光一は夢を見た。朝靄に煙る林に射し込む朝日を浴びながら、郁美は霊芝を手に立っていた。

「ありがとう。あなたのお蔭で、私たちは解き放たれて、隠された歴史の扉は今開かれようとしているわ。宇宙の意志が遥か彼方から光と共に降り注ぎ、私たちの祖先は海を渡って来たのよ。星空に煌めく海や川は各地に誘い、私たちを豊かにしてくれたわ。そして、蓬莱山に辿り着いたの。ここは素晴らしい所よ。私たちの国造りはここから始まったのよ。」

「ここもスタートラインだったんだ。」

「そうね、私たちの祖先のスタートラインだわ。ここから、海に上る朝日を求めて、国造りがスタートしたのよ。東へ東へと私たちの夢は広がって行ったわ。そんな時いつも私たちを支えてくれたのがあなただったの。これからも、運命の糸は、世代を超えて繋がって行くのよ。」


「でももう、私たちがあなたに会えるのは、これが最後みたい。」

光一は、郁美がとても愛おしく思えた。

「どうして会えなくなるんだい。行かないでくれ!」

「大丈夫。私たちは、この空が尽きるまで、降り注ぐ日の光のように、いつもあなたのことを見守っているわ。」

そう言って、郁美は朝日の中に消えて行った。


久しぶりに会えた郁美はもう会えないと言った。私たちとは、郁美と豊野花、そして遠い祖先の神々をも指しているのだろうか。彼女たちの役目は終わったということなのだろうか。


倭国を造った海神なる民族は、海を渡って来て、福岡に辿り着いた。そして、その中から神武天皇が、蓬莱山なる樫原湿原の宮で倭国王として即位し、そこをスタートラインにして、倭国の国造りが始まったということか。さらに、彼らは宇宙意志を受け継いだ神々として、古代日本の歴史の真実と共に、時空を超えた宇宙の歴史をも語り継いでいるのだろうか?神々の世界は宇宙に繋がっているのかも知れない。そして、そこには自分も関わっていたということだろうか。


「速く起きないと会社に遅刻するわよ!」

目が覚めると、目の前に、文江が立っていた。

「やっぱり夢だったのか。」

カーテンの隙間から射す日差しが眩しい。時計を見ると、7時を回っている。光一は、慌てて簡単な食事と身支度を済ませて家を出た。ふと耳元でたまゆらの音が聞こえたような気がして、光一は、ポケットに手を入れると、形見にと、残されたエメラルドグリーンの勾玉で拵えたキーホルダを思わず握りしめた。



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