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月に喘ぐ  作者: sadaka
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夜空に浮かぶは赤い月(9)

 アゼルと自衛団の編成に向けて具体的な話し合いをした後、海雲は彼岸の森にある白影の里へと戻って来た。里へ着いたのは夕刻だったのだが片付けなければならない諸事が山積していたため、屋敷に戻れたのは夜半である。屋敷に戻ってからも配下からの報告が続いたため、海雲は疲労を感じてこめかみに指を当てた。だが大聖堂(ルシード)の情勢はもちろんのこと、国内の様子も疎かには出来ないのですぐ真顔に戻る。海雲より若干年上の部下は気遣わしげな素振りを見せることもなく淡々と報告を続けた。

「お疲れ様です。次が本日最後の報告になります」

「そうか。最後は何だ?」

「侵入者です」

「は?」

「客間にお通ししてありますので。では、失礼させていただきます」

 部下が一方的に話を終わらせて去って行くので海雲は嫌な予感を覚えた。この話運びからいって、侵入者は警戒するに値しない人物である。さらに屋敷へ通してあるという点を考慮しても、該当する人物は一人しか思い当たらない。

(……来るなと言ったのに)

 胸中でぼやきながら、海雲は屋敷の奥にある客間へと向かった。海雲の自宅は全ての部屋に畳が敷いてあり、出入口も扉ではなく襖である。外からでは人の気配もなさそうに静まっている客間の襖を開け、海雲はうな垂れて座っている人物に目を落とした。

「どういうつもりだ?」

「お前って、エライ奴だったんだな」

 肩透かしを食らった海雲は思わず脱力しそうになった。いつになく大人しいサイゲートは物言いたげな顔をしており、そんなことを言うためにわざわざ訪れたとは思えない。海雲は反応を返さず、サイゲートが次の言葉を発するのを待った。

「……なんとなく、会いたかったから来た」

 弱々しい笑みを浮かべるサイゲートの口調には寂しさと自嘲が同居していた。複雑な表情をしているサイゲートを見据え、海雲はまったく別の話題を振ってみる。

「街は、どうだ?」

「街?」

「街の様子を探る者達もいるが、実際その場所で暮らしている者達の方が敏感に異変を感知する。ちょうど、街に暮らす誰かから話を聞きたいと思っていたところだ」

「何も、変わらないよ。少なくともオレの周りでは」

「……そうか」

 サイゲートの答えを聞き、海雲は疲れたため息を吐いた。あの演説で共感してくれた者達がいたことも確かだが、全体を見ればまだ効果は薄いようである。だが嘆いていても仕方がないので海雲は早々に話題を変えた。

「若い連中を中心に、兵に志願してきた者達で自衛団を作るつもりだ。お前は行かないのか?」

「オレは、仕事があるから」

「仕事? この非常時にか?」

「でも、誰もやらなくなったら困るだろ?」

 サイゲートの言うように、いくら戦争だからといって全員が兵になってしまったら国内の生産が止まってしまう。そうなると、生活に深刻な影響を及ぼすことも出てくるだろう。こんな時だからこそ、余計な混乱は避けるべきだ。そう思った海雲は納得して頷く。

「なるほどな。一つ、お前に教えられたよ」

「そんな風に考えてる人もいるんだ」

 海雲はサイゲートが自分の考えを持っていることに感心していたのだが、この口ぶりからすると彼の意見ではなかったらしい。感心した分、損をした気になった海雲は呆れながらサイゲートに声を投げる。

「お前自身は、どうなんだ?」

「迷ってる。なあ、どうしてこの里で一番エライ奴だって教えてくれなかったんだ?」

 サイゲートが『エライ奴』というものにこだわるので海雲は眉根を寄せた。何を聞きたいのか知らないが、随分な言い草である。

「そんなこと関係ないだろ。ちゃんと答えろよ」

「関係ないもんか!」

 俯きがちだったサイゲートが急に叫んだので海雲は瞠目した。顔を上げているサイゲートはまるで、敵でも見るかのように睨みつけてくる。煮え切らないサイゲートの態度に腹立たしさがこみ上げてきて、海雲も声を荒げた。

「少なくとも今は関係ないね! お前、何なんだよ! 何か言いたい事があって来たんじゃないのかよ!!」

「わかんねーよ、そんなこと!!」

「はあ? 意味わかんねえ」

「……オレだって、訳わかんねーんだよ」

 蚊の鳴くような声で呟き、再び顔を伏せたサイゲートはそのまま沈黙する。佇んだまま口論していた海雲はサイゲートの前に座り、無理矢理顔を覗き込んだ。

「そこまで言うなら教えてやるよ。俺が白影の里の棟梁だから何だって言うんだ。俺とお前の関係にそんなもの関係ないだろ。だから言わなかった」

「……そうだな、そんなもの関係なかった」

「過去形かよ。お前、何をそんなに気にしてんだ?」

 答えられないのか答えたくないのか、サイゲートは唇を引き結ぶ。サイゲートの真意が解らないことに苛立ちが募り、海雲は乱暴な言葉を吐いた。

「俺が王子と一緒にいた時からだろ? 嫉妬か?」

「ちがう!」

「じゃあ他にどう説明するんだよ!」

「…………」

「ほらみろ! 嫉妬じゃないか!」

「ちがうって言ってんだろ!!」

 涙目になりながら立ち上がったサイゲートは、そのままの勢いで殴りかかってきた。手加減もない拳を頬に食らった海雲はギラついた目を上げ、静かに立ち上がる。

「……ってぇな。上等だ!」

 海雲も本気で殴り返したので、サイゲートは吹っ飛んだ。だがすぐ、彼は起き上がって応酬してくる。乱闘で客間の調度品を派手に壊しながら海雲は怒声を発した。

「大体な! 男に妬いてどうすんだよ!」

「男とか女とか! そういう問題じゃない!!」

「じゃあ何なんだよ! 言ってみろよ!!」

「お前が! ちがう世界の奴なのに親しげだったからだろ!!」

「はあ?」

 前も見ずに突進して来たサイゲートを受け止め、海雲はそのまま畳に倒した。うつ伏せに倒れたサイゲートは荒い呼吸をするばかりで起き上がってこない。久しぶりに乱れた呼吸を整えてから海雲はサイゲートを見下ろした。

「お前、なにバカなこと言ってんだ?」

 同じ国内に住みながら、どうして違う世界などという発想が出てくるのか。サイゲートはおそらく身分の違いのようなことを言っているのだろうが、海雲には理解出来なかった。

「確かに俺は白影の里の……赤月帝国の軍隊の棟梁だけどな、偉いなんてことはない」

「……ふつうの人間から見ればじゅうぶんだ」

「俺は自分が偉い人間だとは思ってないし、王族を偉いと思ったこともない。王族だって、それは同じだ。お前らが勝手にそうしただけだろ?」

 責められていると感じたのか、サイゲートは反応を示さなかった。痛む唇に指を当て、付着した自身の血液を見た海雲は顔を歪めながら唇を拭う。唇が切れたせいで喋り辛かったが、海雲は言葉を次いだ。

「人間には誰しも役割がある。偉いとか、そんなものには関係なくだ。ただ、それだけのことだろ」

 白影の里で生まれ育った海雲にはサイゲートの言っていることがよく解らなかったが、そういう考え方が国民の間に浸透しているのかもしれない。人間が大勢で暮らすには役割を決めた方が効率がいい、ただそれだけのことがいつの間にか歪んでいく。それが歳月というものなのかと、海雲は小さくため息をついた。

「……起きろよ」

 這いつくばったままのサイゲートを無理に起こし、海雲は彼と共に腰を下ろす。胡坐をかいたサイゲートはまだ顔を背けていたが、それも強引にこちらを向かせた。

「いいか、俺は怒ってる」

 海雲が淡白に本心を語ると、サイゲートの目がようやくこちらを向いた。真正面から瞳をぶつからせ、海雲は言葉を続ける。

「お前とは初めて会った時からケンカしたな? それからもしょっちゅうケンカしたよな? 白影の里の者は皆、幼い頃から殺人術を仕込まれる。だからケンカなんか出来なくなる訳だ。久し振りに普通のケンカが出来た時、俺は嬉しかった。それからも、ケンカする度に楽しかった。お前は違うのかよ? 俺といる時は楽しくなかったのか?」

「……楽しかった」

「じゃあ、それでいいじゃん。つまんない事にこだわって、せっかくの関係を壊そうとするなよな」

 関係の修復には異論がないようで、サイゲートは黙っていた。しかしはっきりとした返事を聞きたかった海雲はサイゲートが本心を語るのを無言で待つ。しばらくの沈黙の後、サイゲートはぽつりぽつりと話し出した。

「お前が王子と一緒にいた時や家でおとなしくしてろって言われた時、すごく遠く感じたんだ」

「それで寂しかったのか?」

 サイゲートが素直に頷いたので海雲は堪えきれずに吹き出した。

「おまっ……お前、可愛い奴だな」

「うるさい! そんなに笑わなくてもいいだろ!」

 顔を真っ赤にして、サイゲートはそっぽを向く。直接的に向けられる視線がなくなったことで海雲は真顔に戻った。ずっと、言おうかと思っていた言葉がある。今ならば言えるのではないかと思い、海雲は口火を切った。

「サイゲート、お前この里に来るか?」

 サイゲートにしてみれば唐突な誘いだっただろう、彼は目を丸くして振り返った。海雲は表情を動かすことなく真顔のまま言葉を続ける。

「前々から思ってたんだが、家にいたくないんだろ?」

 帰り際の顔がやるせなく見え始めた時から、海雲にはそんな気がしていた。そしてそれはサイゲートの家に行った時、確信へと変わった。だが白影の里は女子供でさえ常に死を覚悟しなければならないようなところなのである。里で生まれ育ち、物心つく前からそれが当たり前な者はいいが、そうでない者には過酷すぎる環境だ。だからずっと、海雲は迷っていたのである。

「里の者になるなら、色々と厳しい条件を呑まなければならないが」

「いや、それは出来ないよ」

 熟考するでもなく、サイゲートはあっさり答えた。ここまで迷いのない返答がくるとは思っていなかった海雲は軽く眉をひそめる。

「何か、理由でもあるのか?」

「あんな家だけど、育ててもらった恩があるから」

「そうか」

「ごめん、ありがとう」

「いや、気にしなくていい。忘れてくれ」

 海雲が閉口するとサイゲートも言葉を次ぐことをしなかった。乱雑な室内には沈黙が流れたが、それは苦痛を伴うものではない。しかしそれも長くは続かず、サイゲートが沈黙を破った。

「しばらく、ここには来ないよ。戦が終わったら、また会いに来る」

「ああ。なに、戦などすぐに終わる」

「頼りにしてるよ」

 ふっきれた笑みを置き去りに、サイゲートが姿を消す。海雲はサイゲートが去った後をしばらく見つめていたが、やがて散らかった室内に目を留めて大きくため息をついた。

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