血色の和平(11)
空には厚い雲が垂れ込めており、その夜も深々と雪を降らせていた。雲の先の天空には今宵も紅い光を放つ月が浮かんでいるはずだが、赤月帝国の象徴たる月は戦火を逃れるように姿を眩ませたままだった。住人の消えた街も雪に埋もれたまま、未だ本来の姿を取り戻してはいない。そんな月のない夜、抜け道を使って王城を脱したサイゲートは無言で先を急いでいた。真っ白な衣服を身にまとっている俊足の者に先導されながら目指している先は、白影の里である。どのような理由があって自分がそこへ赴かなければならないのか、サイゲートは知らない。ただ王に行ってくれと頼まれ、それで向かっているだけなのだ。
赤月帝国が大聖堂の侵攻を受け、籠城を始めてからすでに数日が経過している。大聖堂兵は王城を取り囲むように展開しており、城を抜け出すのは非常に危険な行為なのだ。そのような状況において、王が何の理由もなくサイゲートを派遣するなどということは考えられない。そういった事情の下に城を抜け出したのである程度の覚悟はしていたのだが、白影の里に到着してその姿を目の当たりにした時、サイゲートは言葉もなく立ち尽くした。
「……海雲?」
ようやく呟きを零すことが出来たのは、血の気のない顔をして横たわっている海雲を目の当たりにしてからどれくらい後の出来事だっただろう。サイゲートが名を呼んでも、海雲は目を開かない。その姿は死人のようで、サイゲートは顔色を変えながら室内にいた老人に詰め寄った。
「まさか……」
「息は、しています。ですが、危険な状態です」
言葉を詰まらせたサイゲートの意を正しく汲み取り、白髪の老人は淡白な口調で応えた。とりあえず生きてはいることに、サイゲートはホッとする。老人に座るよう促されたので、サイゲートは畳に腰を落ち着けながら顔をしかめた。
「どうして、こんなことに?」
室内には老人の他にも数名の姿があったが、誰からも答えは得られなかった。大聖堂の本拠地でいざこざがあり、誰も現場を見ていないのだという。話を聞くことで少し冷静さを取り戻したサイゲートは周囲に視線を走らせ、それから疑問を口にした。
「……アゼルは?」
海雲と一緒にいたずのアゼルの姿が、見えない。それが何を意味するのか、尋ねる前にサイゲートは知っていた。サイゲートの考えを肯定するように、室内にいる者達は一様に目を伏せる。重い眩暈に襲われながら、それでもサイゲートは話を続けようとした。
「くわしく、聞かせて」
おそらくそれが、王がサイゲートを選んで白影の里へやった真意だろう。何が起きたのか推測するためにも具に経緯を聞いておかなければならないと思ったサイゲートは拳を握りながら返答を待つ。室内には重苦しい沈黙が流れていたが、やがて一人の青年が口火を切った。
「同行した者が駆けつけた時には棟梁と首のない遺体が一つの部屋で倒れていたそうです。棟梁は腹部に傷を負っていただけでしたが、残された遺体には激しい裂傷の痕がありました」
「それは、どういうこと?」
「集団で暴行されると、そのような傷跡が残ります。おそらくは首を落とされるまでに、痛めつけられたのでしょう」
「……そう」
「首は見付かりませんでしたが着衣などから遺体は王子であると判断し、里へ運びました。すでに腐敗が始まっていましたので埋葬済みです。全ての墓と言えば王はお解りになるかと」
「それ、オレが行っても平気?」
「ご案内いたしましょう」
主に口を開いていた青年が頷いたので、サイゲートはもう一度海雲に視線を移してから立ち上がった。そのまま海雲の屋敷を後にし、雪を被った森へと足を踏み入れて行く。新雪に足跡を残しながら辿り着いた先は墓と言うには何もない、殺風景な場所だった。
気を利かせて一人にしてくれた青年に無言で感謝を示し、サイゲートはただ雪があるだけの墓に視線を転じた。樹木のある周囲は新雪の白さを際立たせているが、全ての墓は掘り起こされたために一部分だけ土が剥き出しになっている。そこにアゼルがいるのだと思うと、彼の死が実感として胸を貫いた。
(……アゼル、どうしてお前が殺されなきゃならなかったんだよ)
どんな感じで話が進んで、何故こんなことになったのか。サイゲートに、それを知る術はない。海雲がついていながらという思いがないわけでもなかったが、瀕死の彼を見てしまった後だけに責める気持ちも浮かんではこなかった。
サイゲートが知り合った当初から、アゼルという人物は人間をこよなく愛していた。人間が内包している闇に触れてしまい一度は失望したものの、旅立つ前の彼は確かに気力を取り戻していたのである。必死で立ち直ろうとしていたアゼルを、海雲は止めることが出来なかったのだろう。証人がいないので真実は闇の中だが、サイゲートはそう思った。
(だけど……許せない)
アゼルと海雲は話し合いのために敵陣へ赴いたのである。和解交渉に対する海雲の複雑な本心を知っているだけに大聖堂ばかりを責めるわけにもいかないが、それでも、命まで奪うことはないではないか。そう思うと、怒りが腹の底から湧いてきた。
「だけど、カタキをとるなんてオレには言えない。きっと、そんなこと望んでないんだろ? けど、王や海雲との約束はまもる。この国は、オレが守るから」
地中のアゼルに語りかけたサイゲートはいつの間にか頬を伝っていた涙を拭い、怒りや憤りを胸の底に沈めてから全ての墓に背を向けた。




