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月に喘ぐ  作者: sadaka
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血色の和平(9)

 赤月帝国の国民に敵襲が告げられたのは夜半の出来事だった。だが前回の急襲とは違って敵の動きは捕捉されているので、起き出しに移動を強制された人々も大きな混乱を起こすこともなく避難している。朝が来る頃には街中から人の姿が消え、赤月帝国の城下街は無人の静けさに包まれた。もっとも空は今日も厚い雪雲に覆われているため、夜と朝の境目は非常に曖昧なものではあったのだが。

 避難先の王城で国民に知らされたのは、大聖堂(ルシード)軍がかげろうの森に侵攻してきているということだった。人々はどのような感情も面に表すことなく説明を聞いていたが、サイゲートは眉根を寄せる。食事をすることすらままならず、防寒着すらまともなもののなかった大聖堂の兵に赤月帝国は支援を施した。なによりも和解交渉の使者が大聖堂に出向いているのに、何故その最中に敵襲を受けなければならないのか。

(何があったんだろう)

 この襲撃には、何か理由があるはずである。そうでなければおかしいとサイゲートは思ったが、彼にはそれを知る術がなかった。無力なサイゲートの脳裏にふと、玉座に座していた初老の男の姿がよぎる。

(王は……どうするつもりなんだろ)

 攻められているのであれば、こちらも何らかの対応をしなければならない。まだ敵陣に赴いている使者すら帰って来ていないのに、また戦争を始めるつもりだろうか。白影の里の棟梁である海雲すらも不在であるというのに。そこまで考えたところで、サイゲートは別の不安を覚えた。

 戦が始まってから、海雲には別人のようにやつれてしまった時期があった。それは白影の里の棟梁である彼が全軍を指揮するからに他ならず、今まではその統率力があったからこそ敵を退けることが出来たのだ。だが今回は、赤月帝国の軍隊である白影の里も頭を失っている。そのような状態で迫り来る敵をどうにかすることが出来るのだろうか。

(弱気になるな!)

 頭を振り、サイゲートは自身を一喝して弱気を振り払った。アゼルも海雲もいない今だからこそ、自分がやらなければならない。何か出来ることがあるのなら、ほんの少しでも。それが護ると誓った者の責務だ。

 家族と共に王城一階にある広間にいたサイゲートは人目を忍んでそっと動き出した。広間を抜け出したサイゲートが向かったのは、王がいると思われる城の上階である。だが城内の警備も甘くはなく、謁見の間がある二階へ上がることも出来ずにサイゲートは武装した兵に制された。しばらく問答したものの、埒が明かない。ついには二人がかりで両脇を抱えられ、連行されるように広間へと戻ることになってしまった。

(……考えてみれば当然、か)

 兵に自由を奪われながら歩かされているサイゲートは苦く口元を歪めた。生まれついた身分だけを見れば相手は王様であり、サイゲートはその王様の支配する国の一国民でしかないのだ。だが王は、サイゲートに必要な人間だという言葉をくれた。その一言は今も、サイゲートの胸で確かに息衝いている。

「サイゲート様」

 普段ならば決して耳にすることのない呼ばれ方をしたので、サイゲートはその声を上げた人物に気付くのが遅れた。サイゲートを束縛している兵達の方が先に反応を示し、彼らが歩みを止めたのでサイゲートも自然と立ち止まる。運のいいことにアゼルの私兵が現れたので、サイゲートの連行状態は解除されることとなった。つい先刻まで自分を戒めていた兵達が巡回に戻っていくのを見送ってから、サイゲートはアゼルの私兵である若者を振り向く。

「助かった。ありがと」

「何故、あのようなことになっていたのですか?」

「王に会いに行こうとしたらあの人たちに止められて、無理に階段を上ろうとしたらつかまった」

「……相変わらず、無茶をなさいますね」

 同年代と思われる少年が苦笑したので、サイゲートも苦笑いを浮かべる。だが無茶も、時には必要なのだ。

「それより、ちょうど良かった。聞きたいことがあるんだ」

「王がこの事態にどう対処なさるのか、ですか?」

 関心があることは同じなようで、少年は打てば響くような返答を寄越した。少ない言葉で話が通じることに爽快感を覚えながらサイゲートは頷く。

「もう決まったのか?」

「いえ、正式な発表はまだ何も。ですが、おそらく王は……」

 少年はそこで言葉を切ったが、彼が何を言いたいのかはサイゲートにも解っていた。おそらく王は、戦わないだろう。交渉のために王子を敵陣に送っているうえ攻められた理由も不鮮明なのだ。王はそのような中で人間の命を奪う決断を下せる人ではない。

「ここに立てこもるのかな」

「状況次第ではどうなるか解りませんが、おそらく。アゼル様や海雲様が戻られるまで、手出ししないでしょう」

「……アゼルが帰ってきたら、悲しむな」

「……そうですね」

 少年もサイゲートに同調したため、彼らの間にはしんみりとした空気が漂った。再びこのような事態に陥らないために、アゼルは敵国へ出向いているのである。だが彼の意思とは無関係なところで事態は展開しており、またしても衝突は起こってしまった。アゼルの嘆きを思えば痛みを感じずにはいられなかったが、戦火の只中に立たされているサイゲート達には傷心に浸っている暇はない。まずは二人が戻って来るまで、この城を死守しなければならないからだ。

「手伝わせてくれ。オレも何かしたいんだ」

 サイゲートの申し出に少年は喜んでと応じた。兵の詰所となっている場所へ案内すると言って少年が歩き出したので、サイゲートも後を追う。蕭然とした空気を拭った少年達は国を護る者としての顔つきになり、王城の廊下を闊歩した。

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