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月に喘ぐ  作者: sadaka
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夜空に浮かぶは赤い月(4)

 国内のほぼ中央に位置している城を抜け出した海雲とアゼルは所用で一度白影の里へ立ち寄った後、王城の周囲に展開する街へと繰り出した。夕方の賑わいに包まれたアゼルは嬉しそうに伸びをする。

「たまにはこうして息抜きをしないとな。城は肩が凝る」

「たまには、じゃないだろ?」

 些細な言い違いだが意味が大きく変わってくるアゼルの一言を聞き逃さず、海雲は呆れながら突っ込みを入れた。王城を出た途端、すれ違う人々が一様に頭を下げてくる。それは滅多に国民の前に姿を現さない王族の中でアゼルだけがしょっちゅう街へ足を運んでいるからだ。

「俺の顔くらい、誰でも知っているさ」

 平然とシラを切るが、おそらくアゼルも白影の里の者が護衛に着いていることくらい承知しているのだろう。だからといって供回りも連れずに出掛けるのはやめてもらいたいと、海雲は小さく息を吐いた。

「父ももっと子供をつくればいいのにな」

 ふと、アゼルがそんな科白を零した。考えていたことがあまりに違っていたので海雲は驚いた。現国王には正妻の他に側室が二人ほどいるが、子供はアゼルと菜の花だけである。

「王位を継ぐのが嫌なのか?」

「嫌とは言っていない。ただ、何があるか分からないのだ、子供は多いに越したことはない」

 図星だったのか、アゼルは苦笑しながら弁解混じりのことを言う。海雲もアゼルの心情にそれ以上深入りすることはせず、話を合わせた。

「後継者争いを心配しておられるのかもしれないな」

「そうかもしれないな。この国に前例はないが、外では多くの国がそれで滅びているのだろう?」

 アゼルが伝え聞いた内容を確認するように問いかけるので海雲は慎重に頷いた。国の繁栄よりも特殊な目的で建国された赤月帝国の王達にその心配があるとは思えないが、それでも王も人間(ひと)の子である。絶対に有り得ないと、断言するのは危険すぎるのだ。

「用心深いに越したことはない。いい王じゃないか」

「まあな」

 海雲に父を褒められたことが嬉しかったようで、アゼルは少し照れくさそうな笑みを浮かべた。それでいて、アゼルのはにかんだ顔には誇らしさも滲み出ている。海雲も微笑みを返したが、内心では少し羨ましいと思っていた。

「さて、酒場にでも行くか」

 夕陽に染まった街を眩しそうに見渡し、アゼルはそんな提案をした。毎度のことではあるのだが、海雲は一応釘を刺す。

「あまり飲むなよ。俺が王に怒られる」

「心配するな。領分は弁えているつもりだ」

 話をしながら歩いていると、路上で遊ぶ子供達の姿が目に留まった。細い木の枝を使って打ち合いをしている姿に気を良くしたらしく、アゼルが子供達の傍へ寄る。

「そんな構えじゃ駄目だ。もっと腰を低くして力を入れる」

 突然声を掛けられた子供達はビックリしたようだったが、相手が誰だか判ると途端に笑みを見せる。

「王子さま!」

「王子さま! 剣の使い方を教えてよ!」

 無邪気にはしゃぐ子供達の声に、周囲の視線が集まった。アゼルは女子供に人気があるので、特に彼らを中心に人の輪が形成されていく。自身も輪の内に取り込まれた海雲はまた長くなりそうだと思いながら小さく肩を竦めた。







 その日の仕事を終えたサイゲートは酒場に行くという仲間達に連れられて夕暮れの街を歩いていた。すでにあちこちの家から煙が立ち上り、街は夕餉の香りに包まれている。誰かの腹が盛大に鳴ったので仲間内で笑いながら歩いていると、前方に人だかりがあった。

「何の騒ぎだ?」

 仕事仲間が興味本位で近づいて行ったので、サイゲートも続いた。人だかりを構成しているのは主に女子供で、サイゲートは背伸びをして輪の中心にある物を窺う。そこには木の枝を武器代わりにしている子供達と、指導しているような少年の姿があった。

「ああ、ありゃ王子だな」

 隣にいた仕事仲間がつまらなさそうに言ったのでサイゲートは驚いた。街中によく姿を見せると聞いてはいたが、実際に見るのは初めてである。人垣に遮られてよく見えない少年の顔を見ようと、サイゲートはさらに背伸びをした。

(あれが、王子……)

 輪の中心にいる少年は質素な格好をしているが、それでも周囲の庶民とは違う。端正な顔つきにはどこか威厳のようなものが漂っていて、それは笑顔にも見てとれた。

「俺らみたいな庶民とは住む世界の違う人だ」

「ちっ、おもしろくねえ」

「行こうぜ。時間の無駄だ」

 口々に悪態をつきながら、連れが輪から外れて行く。それでもサイゲートは目が離せず、子供に笑いかけている王子の姿を見つめていた。

「おい、行くぞ」

「あ、はい」

 もう少し見ていたかったのだが親方に促され、サイゲートも仕方なく踵を返す。しかし王子が発した一言に、再び動きを止めた。

「海雲、お前も来いよ」

 サイゲートにも馴染みのある名が王子の口から出た途端、足が地面に張り付いたように動かなくなってしまった。背にしている人だかりから聞き慣れた声も聞こえてくる。

「そろそろ行きましょう。もうすぐ日が落ちます」

 聞こえてきたのは紛れもなく海雲の声だった。サイゲートは人だかりを振り返り、再び背伸びをして輪の中心を見る。それまでは王子を囲んでいる群衆に混じっていたのか、そこには海雲の姿もあった。

 海雲は王子と親しそうに、何かを話している。たったそれだけの事なのにひどくいたたまれない気持ちになり、サイゲートは顔を歪めながらその場を立ち去ろうとした。しかし海雲がちょうど振り向いたので、目が合ってしまう。

「何やってんだ、行くぞ」

 わざわざ呼びに戻って来てくれた親方に再度促されたので、サイゲートは海雲から目を逸らして人混みに背中を向けた。







 夕暮れの街で知った姿を偶然見かけたので、海雲は声をかけようと思って唇を開きかけた。目が合ったので相手もこちらを認識していたはずなのだが、輪の外にいた彼は逃げるように立ち去っていく。喉元まで出かかった名前を飲み込んで、海雲はアゼルを振り返った。

「王子、そろそろお戻りになりませんと王も心配なさいます」

「そうだな……そろそろ帰るか」

 いつもは渋るアゼルもアッサリ頷いて、子供達と民衆に別れを告げて人混みを離脱する。もう酒場へ行くような気分でもなくなっていたので海雲は王城へ足を向けながらアゼルに話しかけた。

「今日はやけに早く納得したな」

「海雲、何かあったのか?」

「……何故?」

「顔が強張っている」

 アゼルに指摘されて初めて、海雲は眉根を寄せていたことに気が付いた。表情を改めて一つ咳払いをした後、海雲は弁明する。

「いや、人混みに知り合いがいたようでな。目で追っていたら自然とあんな顔になった」

「里の者か?」

「いや」

「声を掛ければ良かっただろう」

「それが、逃げられた」

「逃げられた? 女か?」

「違う」

「まあ、そう怖い顔をするな。きっと、むこうにも事情があったのだろう」

「事情、ね……」

 いつもなら苦笑いを浮かべる場面だが、海雲はそのことも失念して真顔のまま呟いた。確かに、誰かが彼を呼んでいたような気もする。だがそれにしても、あんな風に逃げ去ることはないだろう。それも、気にしてくれと言わんばかりの表情を置き去りに。

「……顔、強張っているぞ」

 アゼルが同じ科白を繰り返したので海雲はハッとして苦笑いを浮かべて見せた。

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