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月に喘ぐ  作者: sadaka
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血色の和平(7)

「あら、サイゲート」

 偶然出くわした人物に呼び止められて、サイゲートは立ち止まった。彼らがいる場所は赤月帝国の王城である。中庭に面した回廊を歩いている時に、サイゲートは菜の花と出会ったのだった。

「ああ、姫……あ、いえ、菜の花姫さま」

 普段の調子で返したら隣を歩いていた人物に睨まれたので、サイゲートは慌てて言い直した。その様子を見ていた菜の花はすぐ、サイゲートの隣で背筋を伸ばしている兵に向かう。

「いいのよ。楽にして」

 菜の花がそう言うと兵は渋々といった調子で頷いた。先程から苦手な『礼儀』について説かれていたのでサイゲートはホッと胸を撫で下ろす。それから改めて、サイゲートは菜の花を見た。

「こんな所で何してるんですか?」

 赤月帝国には今日も大粒の雪が舞っていて、開放的な回廊は寒い。菜の花が眺めていた中庭も降り積もった雪があるだけであり、サイゲートは彼女が何をしていたのか疑問に思ったのだった。肩から羽織るようにしている外套を胸元で押さえている菜の花は寒そうにしながらも意地の悪い笑みを浮かべる。

「私がこんな所(・・・・)にいたらいけない?」

 菜の花の意を受けた兵が鋭い視線を傾けてきたのでサイゲートは苦笑する。揚げ足をとらないでほしいと思ったが、そんなことを口にすれば再び説法を聞かされることになりそうだったので、その言葉は胸にしまっておいた。サイゲートの複雑な表情を見た菜の花は困ったように微笑みながら真意を明かす。

「部屋にいても落ち着かなくて」

「ああ……」

 なるほどと、サイゲートは胸中で呟いた。使者の元気な姿を見るまで、彼女の不安は続くのだろう。

「それで、どうしたの?」

 菜の花が口調を一変させたのでサイゲートも態度を改めてから問いに応じた。

「いや……なんか、王様がお呼びだとかで」

「父上が?」

「何ですかね?」

「さあ……兄上のことかしら。父上に呼ばれているのなら、あまり長いこと呼び止めておくわけにはいかないわね」

「はあ……」

「一つだけ聞かせて。体はもういいの?」

「ええ、すっかり。もう仕事もしてます」

「仕事? サイゲートは何をしているの?」

「木こりです」

「樵? あなたみたいに細身の人が?」

「いや、ウデとかはけっこう筋肉ついてますよ」

「あ、ほんと。意外だわ」

 サイゲートが力こぶをつくって見せると外套の上から手を触れてきた菜の花が驚いた面持ちで言う。その直後、すっかり和んでしまった空気を壊すようにわざとらしい咳払いが聞こえてきた。サイゲートと、何故か菜の花まで慌てて、お互いに佇まいを正す。

「ごめんなさい。父上がお待ちなのでしたね」

「そ、そうですね」

 菜の花と笑い交わした後、サイゲートは咳払いの主を振り返った。サイゲートを家まで迎えに来た強面の兵は何も言わずに歩き出す。兵が菜の花に黙礼したのでサイゲートも倣おうとしたのだが、その前に菜の花の方がサイゲートに顔を寄せてきた。

「またいつでも遊びに来て。海雲もお兄様もいなくて退屈なの」

 先を行く兵の耳に入らないよう、菜の花は小声で囁く。いたずらっこのような菜の花に了承を伝えてから、サイゲートは兵の後を追った。

(はあ、またキンチョーしてきた)

 菜の花と出会ったことで多少は和らいだものの、やはり緊張が拭えずにサイゲートは嘆息した。一時的ではあるものの城内に住んでいたこともあるしアゼルの部屋に忍び込んだこともあるが、王に拝謁するとなると話は別らしい。自分の心臓が意外に脆いことを思い知らされながら、サイゲートは兵に続いて城内に入った。

 王城に身を寄せていた時は城内を駆け回っていたサイゲートにとって内部の構造は見慣れたものである。だが城内を把握しているだけに先導している兵がどこへ向かっているのかが分かってしまい、さらに緊張が高まっていく。そしてそれは王城内の二階にある謁見の間に着いた時、頂点に達した。

「謁見の間にございます」

 わざわざ説明を加えてくれた兵に促され、サイゲートは自らの手で二枚扉を押し開ける。すると扉の直線上に玉座があり、そこにはすでに座している者の姿があった。兵に小突かれて我に返ったサイゲートは慌てて室内に進入し、玉座の下で跪く。王に労いの言葉をもらった兵はすぐさま退いてしまったので、謁見の間には王とサイゲートだけが残された。

「頭を上げてくれ」

 低頭したままでいたサイゲートは王の言葉に促されて恐る恐る顔を上げる。国民に向けた演説でしか王を見たことがなかったサイゲートは自然と毅然とした姿を思い浮かべていたのだが、玉座に座っているのは一人の初老の男だった。

「君がサイゲートか。アゼルや海雲から話は聞いている」

 改めて口火を切った王には話し方や表情に柔らかさがあり、演説の時のような威厳は感じられない。近くで見ると王の顔立ちや喋り方はアゼルや菜の花と似通っており、そのことがサイゲートから緊張を奪っていった。

「わざわざすまなかったね」

「あ、いえ」

「楽にしていい。君と話がしたくて呼んだのだから」

 王の口調は演説の時とは別人のように気安く、サイゲートは戸惑いを覚えながら頷いた。これでは王と対面しているというよりも、友人の父親と話をしているようなものである。これでいいのかとサイゲートは思ったが、同時に親しみやすさが嬉しくもあった。

(……親子、だな)

 王にアゼルを重ねたサイゲートはふっと口元をほころばせた。サイゲートから硬さが消えたのを感じたのか、王が言葉を次ぐ。

「まずは礼を言わせてくれ。色々と世話になった」

「あ、いや、オレ……えっと、わたしは……」

「他に誰もいないのだ、普段の通りで構わない」

「あ、はい」

 しどろもどろになりながら、サイゲートは礼儀を正すのを諦めた。王もあまり礼儀作法にはこだわらない人物らしく、和やかに話を進める。

「体の方は、もう良いのか?」

「はい。もう仕事もしてます」

「君は樵だそうだね。堀の工事の時も世話になった」

「いえ、あれはアゼルが……」

 応えかけた言葉を、サイゲートは不意に途切れさせた。黙っただけで考えていることが伝わったのか、王は憂いを滲ませる。

「憂えているね。私もそうだ。アゼルも、海雲も」

 堀の工事をした時は人望を集めていたアゼルが指揮を執り、尚且つ国民が力を合わせたから短期間で完成させるという目標を達成することが出来た。多くの人間が共有する目的に向かって一致団結すれば、きっとどんな困難も乗り越えることが出来る。今あの時の力が出せれば……そう考えているのは、サイゲートも王も同じであった。

「公表するのは使者が帰って来てからだが、私はアゼルに王位を譲ろうと思っている」

「……えっ?」

 王が唐突に話題を変えたので思案に沈んでいたサイゲートは驚いて目を上げた。玉座に座っている王は哀しい笑みを浮かべており、深い嘆きに出会ったサイゲートは言葉に詰まる。サイゲートから視線を外した王は目を閉じるようにしながら空を仰いだ。

「赤月帝国は変わろうとしている。古い体制では対処出来なくなる日も、そう遠くはないだろう。もう私では駄目なんだよ」

 そんなことはないと、サイゲートには言うことが出来なかった。王はすでに意を決している者の表情をしており、そこには他者が口を挟む間隙などない。サイゲートに顔を戻した王は淡々と話を続けた。

「国が新しくなれば国民もそれに対応していくしかない。戦乱の殺伐とした空気が持ち込まれるのは望ましいことではないが、仕方のないことだ」

「……どうして、そんな話をオレに?」

「君はこの国をどう思う? 正直に答えて欲しい」

 問い返されてしまったサイゲートは一度閉口し、考えを巡らせた。しかし言葉を飾り立てても、それは王が望んでいる答えには成り得ないだろう。そう感じたので、サイゲートは等身大の思いを口外してみることにした。

「家だと、思っています。大切な人もいます。守りたいと、強く思います。だから何もしない人を見ると腹が立ちます。責任を他人に押し付けるのは最低です」

「そういう人間を造ったのは私だ。この国の在り方が、そういう人間を造った」

「オレには国のことはよく分かりません。でも王がそう言うのなら、そうなのかもしれない」

「正直だな」

 サイゲートの発言は一国の王に対するものではなかったが王は軽快に笑って見せる。しかし王の笑みには自嘲が含まれており、それは次第に顕著になっていった。

「私自身がそういう人間なのだ。成すべきことを他人に押し付けて、のうのうと生きている」

「それは、ちがうと思います。 ……自分が大切なのは当たり前です。けど、そのせいで自分の大切なものを失うことは、ちがう気がするんです。うまく言えませんけど、それを街の人達にもわかってもらえたら……」

「アゼルは、良い友を持った」

「……ありがとうございます」

 他に返答が思いつかなかったので、サイゲートはとりあえず礼を言ってみた。謙遜するでもなく潔い反応をしたのがおかしかったようで、王は笑っている。

「君には行動力がある。これからの赤月帝国にはそういう人間が必要なのだ。海雲と共に、アゼルを助けてやってくれ」

 言葉にする代わりに片膝をついて跪き、胸に手を当てたサイゲートは頭を垂れた。それが礼儀だからというのではなく、自然とそうしたいと思ったのである。例え王ではなくなったとしても目前にいる誠実な人の力になりたいと、サイゲートは密かに誓いを立てたのだった。

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