血色の和平(2)
「支援、か」
海雲から話を聞いた王は、呟きを零しながら空を仰いだ。その反応から察するに、まったく考えていなかった内容でもないらしい。
(よく、そんなことを思いつく)
もはや苦笑する以外に術がなかったが謁見の間では不謹慎なので、海雲は胸中でそう呟いた。
サイゲートが切り出した話の内容は、未だ赤月帝国を包囲している大聖堂の兵達へ支援を施すというものだった。だがこれは、サイゲートが考えた案ではない。初めに言い出したのは菜の花であり、サイゲートはその考えに賛成したから伝えただけなのだと言っていた。
こちらから攻め込んだのならばまだしも、今回の戦争は理不尽な理由であちらから仕掛けてきたものである。この和解交渉自体こちらから譲歩したものなのに支援までするなど、海雲は考えてもみなかった。だが、これ以上の戦争を回避するための手段として支援は効果的である。言われてから気が付いたのだから己の頭の堅さに笑ってしまうと、海雲は自身を皮肉った。無論、菜の花には意図的な策略など何もないだろう。ただ極寒の中、食べる物もなく着る物にも乏しい流民を哀れだと思ったにすぎない。姫は、それでもいい。しかし王までそうでは困ると、海雲は考えに沈んでいる王を見据えた。
「上策だと思われます」
「大聖堂から民心を引き離す、それが出来ると思うか?」
打てば響くような王の対応に海雲は感心の念を抱いた。
(さすがに、王は考えておられる)
戦争を回避するには相手の兵力を殺いでしまえばいい。大聖堂の兵など土地を失った流民から構成されているのだから、尚更である。彼等は大聖堂に帰依した訳ではなく、ただ安全に暮らせる場所を欲しているにすぎないのだ。今は、まだ。
「可能だと思われます。またこの機を逃せば、以後は無理でしょう」
「そうだな。人間とは馴染む生き物だ」
王の言葉は核心をついている。今ここで大聖堂から流民を引き離しておかなければ、彼等は次第に帰依するだろう。それは赤月帝国の今後の在り方に大きな闇を投げかけるのだ。
「双方に、あれだけの犠牲を払った後です。流民の受け入れは簡単には進まないでしょう。相互理解にどれ程の時がかかるかは、やってみなければ判りません」
「どちらにしても、これから和解をしようという相手を見殺しには出来ぬ。我が国は大聖堂兵へ食料や衣服を供給する。それで、良いな?」
「はい。すぐにでも里の者を向かわせましょう」
王に深々と一礼し、海雲は謁見の間を後にする。すぐさま王城を出て白影の里へと向かいながら、海雲は支援の持つ複雑な意味合いについて考えを巡らせていた。
一度は敵対した流民に支援をする、それは今、この状況を打破するためには最上の選択かもしれない。だが流民に支援を施すということは各地に溢れている同じ境遇の者達を招き寄せる結果になってしまうだろう。対外的な印象を考慮すると、赤月帝国は流民を受け入れる姿勢を見せなければならないのだ。
(……だが、森はすでに亡い)
秘密を抱える赤月帝国を優しく抱くように護ってくれていたかげろうの森は、先の戦闘でだいぶ焼かれてしまった。これからこの国は流民が流れ込み、大いに栄えてしまうだろう。それはもう、避けられないことだった。
(しかし大聖堂の関与がなかったとしても、いずれは同じ道を辿ったはずだ)
それが早まったにすぎない。やりきれない虚脱感に襲われながらも、海雲はそう考えることで自身を納得させようとしていた。
今回の一件で、大聖堂は流民という兵力を失う。だがその程度のことで大聖堂の上層部が赤月帝国を諦めるとは思えなかった。
「……そうか」
屋敷へ戻るなりもたらされた報告を聞き終えて、海雲は短く息を吐いた。大聖堂の本拠地でも、和解交渉への動きが濃厚であるらしい。
慎重に審議すると言って結論を先延ばしにしてきた大聖堂から、赤月帝国の王に向けた正式な回答がきた。その内容は交渉の場を持つことは望ましいことであり、こちらも相応の返礼を持って迎えるというものである。会談まで漕ぎつけたのだから形としては一歩前進したことになるが、間を置いての対応に海雲は不信感を募らせていた。新興国家のくせにやたらと仰々しい文言も白々しい。
「出立は三日後か」
アゼルが確かめるように言ったので海雲は彼の顔色を窺いながら頷いて見せた。大聖堂の対応は海雲にとっては満足のいくものではなかったが、アゼルにしてみればそうでもないらしい。早く出発したいと無言の内に言っているアゼルはおそらく、これ以上無駄な血を流したくないと思っているのだろう。
「父は、あの件については何も言わなかったな」
「……そうだな」
アゼルに応えながら、海雲は謁見の間で王と対面した時のことを思い返していた。
深々と雪が降りしきっていた早朝、大聖堂から使者が来たとの報せを受けた海雲は急いで王城に赴いた。海雲が到着した時にはすでに会合が始まっており、この場では主に使者からの話を聞いた。その後に使者を排した内々の話し合いがあり、謁見の間にてアゼルが使者として赴くことが正式に宣下されたのである。宣下に立ち会ったのはアゼルと海雲だけだったが、王はアゼルの言う『あの件』については一言も触れなかった。
「何故だと思う、海雲?」
王が口外しなかった内容は大聖堂との戦が始まった要因であり、アゼルが疑問に思うのも当然のことであった。意見を求められた海雲は空を仰ぎ、王の真意を慮る。
今回の戦はもともと、赤月帝国がある情報を握っていたために起こったものである。実際に兵として戦っている流民達には半ば無関係ではあるものの、その情報は大聖堂の上層部にとっては脅威なのだ。和解へ向けた交渉をするというのであれば、大聖堂の上層部は必ずその話題に触れてくるだろう。王もそのことは重々承知しているはずである。にもかかわらず、あえて口に出さなかったということは……。
「譲位を、考えておられるのかもしれん」
海雲が熟考した末に出した憶測を伝えるとアゼルは複雑な表情をして目を伏せた。今のアゼルにとって王位は重荷なのだろう。しかし赤月帝国の次代を担うのは間違いなく彼であり、ゆくゆくはアゼルの考えが国を動かしていくのだ。海雲はここで初めて、常々考えていたことを口にしてみた。
「直接お言葉を賜るまでは何とも言えんが、お前はどう考えている?」
赤月帝国の握る『情報』を、どうするのか。もし譲位が行われるのであれば、アゼルの返答次第で白影の里はその役目を終えることになるかもしれない。アゼルがそこまで思いを及ばせていたかは分からないが、彼は何の躊躇いもなく海雲の問いに答えた。
「大聖堂次第だ」
「……そうか」
話し合い、それほど意見の相違がなければ譲渡してもいい。アゼルはそう、言っていた。
これから敵地へ赴くアゼルには国内のことにまで気を回している余裕はないだろう。今は対外的なことだけを考えていればいいと思っている海雲は胸中を明かすことをしなかったが、密かに拳を握り締めた。




